- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532260972
感想・レビュー・書評
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こんなに破天荒で面白い人だったのか。
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語られている内容については、よく理解出来る。しかし、実際に自分で実践するとなると、こうは出来ないなと感じた。
自分の足で歩いて確かめ、自分の目で見て観察し、自分の頭で考える。
確かに、このスタンスは重要だ。頭で学問しても仕方ない。共感出来るが、そう言わせるだけのバックボーンを備えられていない自分には、こんなにだいそれた事は言えない。これだけの事を言うには、やはりそれなりの知識が必要なのではないだろうか。 -
この方の生き方は実に清々しいと思います。ご自身の軸を持ち、あくまでも実証を旨とするその考えと行動~年を重ねて高みから、物申される人が多い中、説得力のある短文が印象的です。
やってきた人の凄みなのでしょうか… -
梅棹氏の語り(聞き取り)を記録して本にまとめたもの。語り口は明快。そして、ページをめくるごとに金言の連続。
本書をガイドとして梅棹氏の主張の概要を把握しつつ、各論を深めるために氏の著作を紐解くのも良いのではないかと。
【無断転載を禁じます】 -
梅棹忠夫先生の最晩年の対談集.無茶苦茶なことを言うお祖父さんの話が,なぜかすんなり頭に入ってくることがある.まさにそんな感じの読後感.好き嫌いがハッキリするかもしれない.
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どうかな、おもろいかな?
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晩年の梅棹さんから、もと民博の教授で、現吹田市立博物館長の小山修三さんが、他分野にわたって聞き出した記録。実は、梅棹さんはこの本の出版前に亡くなっている。ぼくは、梅棹さんの著作集まで持っているから、それなりにファンである。ここには梅棹さんの行き方、哲学のエッセンスが詰まっていると感じた。梅棹語録はどこも面白く含蓄があるが、たとえば梅棹さんは自らも早くに博士号を取っているが、かつては文化系では博士号はなかなかとれなかったし、大学も出さなかった。梅棹さんは博士号は「運転免許」とか「足の裏についた飯粒」と言う。「運転免許」はわかりやすい。まさに現在の博士号はそうである。博士号を取らなかった人が博士号の審査をすると、とてつもなく厳しくなる。これは悪弊だ。「運転免許」と思えばなんのことはない。「飯粒」のこころは?―「取らな気持ち悪いし、取っても食えん」。これも名言である。梅棹さんはラジオ、テレビというメディアに何度も出演したが、「テレビに出たら、花形になったような気になる」ことを警戒した。小山さんが言う「あれは一種の密の味」も同感だ。「テレビは思想の媒体ではない」というのも味わい深い。場合によっては、発言者の意図と違う編集がされてしまうからだ。自戒しよう。梅棹さんは、若い頃は相手に逃げるすきのない批判をしたらしい。それをたしなめたのはフランス文学の桑原武夫である。「論争は大いにけっこう。でも、自分が優勢なときほど相手に退路をつくっておいてやったほうがええなあ。そうしないと恨みがのこり、闇討ちにあうかもしれんな」と。梅棹さんは権威に挑戦した人である。しかし、自分が権威になったことはあまり自覚していなかったのではないだろうか。