梅棹忠夫語る

  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
3.52
  • (20)
  • (37)
  • (47)
  • (10)
  • (3)
本棚登録 : 426
感想 : 57
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532260972

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • こんなに破天荒で面白い人だったのか。

  • 梅棹先生が亡くなる直前の最後の聞き書き.梅棹先生に話を聞いた小山先生との掛け合いが漫才のようで笑わせてくれるところも多いが内容は深い.キーワードだけで両先生が納得して次に進んでいるところもたくさんあるので,そこをきちんと理解しようとするとキーワードや参考文献をもとに原著にあたる必要がある.梅棹先生の膨大な著作集という広大な森にどこから分け入るのが面白そうか,さまざまな入り口を提示してくれる一冊.

    つねに未知なるものにあこがれ新しいことを知って「なるほど」と知的興奮を経験することが学問のたのしみであるとか,これから大学で研究をしようとする学生さんぐらいが読むと元気が出る話も多い.「梅棹の言うことは単なる思いつきにすぎないと言われる.わたしに言わせたら,思いつきこそ独創や.思いつきがないものは,要するに本の引用,ひとのまねということやないか」「請われれば一差し舞える人物になれ」「博士号は足の裏についた飯粒や.取らな気持ち悪いし,取っても食えん」「最近は打たれ弱い.みんな,批判されるのを嫌がる.批判されると,非難されたように思ってしまう」などなどきっと学生さんには響くところがあるはず.

    また民博をつくるとき梅棹先生は,一人ひとりの論文を読んで,学会に行って発表を聞いて,これはいいだろうと思う人材を採用したという.それで「諸君を選んだのは僕や.自由にやりたい仕事をやれ.研究者は一年中いつも研究者や.休みを取ることなんか考えるな.税金を使う国家公務員である自覚を持て」と訓辞を受けたら背筋が伸びるとともに奮い立つに違いない.

    私にとっては「写真では細部の構造がわからない.目で見てたしかめて図に描く.急ぐときとおおまかな印象をつかむのは写真.細部を見るのはスケッチ」「写真は撮ってきた順番に並べる,記録だから分類はしない.自分の記憶ノートと同じ」「分類するな,配列せよ.そして検索が大事」といったあたりが響いてくる.そう思って自分が撮った写真を見直してみるとそう感じるものがかなりある.きちんと構造を把握して撮った一連の写真とそうでないものは明らかに情報量が違う.

    そのほか,
    「学問は経営,「研究経営論」や」
    「情報産業論の議論はしてくれても,みんな情報論だったな.そんなん,つまらん.わたしが言ってたのは産業論なんです.それなのになんで,あんなふうになるのかな.それくらい情報というものに,みんな興味があるということなのかな.結局,ひとつは,その前にあったコミュニケーション論にひきずられてるんだと思う.これは工業時代に対する情報産業,産業時代論であって,わたしが言っているのは文明論だった.だから,情報論とちがうんですよ.文明論というのは現象論です.文明というのは,人間がつくり出した環境,人工的環境のすべてなんです」
    「フォロワーシップを経験して,はじめていいリーダーになれる.フォロワーシップとは盲従ではない.自分の意志や判断は持つけれども,隊長にはしたがう.わたしたちは今西さんに育成されたのではなく,推戴したのや.弟子ではなく契約,ゲマインシャフトではなくゲゼルシャフト集団です」
    「できない人間ほど権威をかざす.権威でのぞんでくるのが一番嫌いや」
    など,現役の研究者でも自分の姿勢を顧みるきっかけになる言葉がきっとある.

    最後は,
    「当初は,いわゆる図書館で扱えるものは梅棹文庫ということで,どんどん機械的に入れていった.それから映像記録とかを入れ,最後にはファイル類,フィールド・ノート,地図,その他業績,すべてをいずれ館が管理するということで,梅棹アーカイブズというかたちになるよう了解はとってあります」
    という言葉.梅棹先生が残したものはすべてアーカイブとなる.その了承を梅棹先生自身が民博から取りつけてあるのだ.その公開を待ちたい.できればアーカイブ構築の一助となりたい.

  • 本書は、国立民族学博物館の初代館長で文化勲章受章者である梅棹忠夫氏に、梅棹氏が国立民族学博物館館長時代に同館教員であった小山修三氏が、梅棹氏の経験や業績についてインタビューしたものをまとめた1冊である。

    全編対談形式の記述となっており、また口語での記述となっているので、非常に読みやすい。ただ、晩年の梅棹氏へのインタビューということで、全体的に、徹底的に聞き出すというよりも、梅棹氏に気持ちよく話してもらう、という点に重点がおかれているような印象を受ける。

    しかし、タイトルが示すとおり、梅棹氏が、氏の人生において培った教訓や、今感じていることを、非常に平易で、かつ非常に強い言葉で語ってくれている。

    ぼくが、最も強く印象に残っているのは、日本の放送産業・電波産業が勃興してきた時代に、「情報」という目に見えないものを提供する放送各社が「放送おめかけ論」という自己卑下に陥る中で、梅棹氏が放送局に対して語った「何を言うてる、情報をつくっているのに」という発言である。

    放送業界を目指したことがある、または現在身をおいている方なら、当然のように思われることかもしれないが、「情報をつくる」というのは、ぼくにとって非常に新鮮な響きを持った言葉だ。

    その回想の直後に、梅棹氏が「情報が勝手にあるもんだと思っとる」と発言しているが、ぼく自身、テレビが発する情報についてそうした認識であったように思う。

    ニュース一つを考えてみても、ただ現実に起こっている出来事をそのまま伝えるために、事件を取材し、必要部分を切り取り、内容を文章化し、放送に乗せているのであって、勝手にあるものを流しているわけではなく、「作る」という行為が伴っている。
    場合によっては、さらにそこに、過去とのつながりや、環境とのつながりを加えた内容にすることによって、現実に起こっている出来事の情報を、さらに付加価値を与えた情報へと作り上げることも可能になる。
    こうしてレビューを書くことも、もしかしたら情報を作っているのかもしれないし、あらゆる表現行為が、情報を作るという行為に繋がっているのかもしれない。

    そうした、日常の様々な状況、その時々の考え方について、違った視点から見る、考えるきっかけを与えてくれるメッセージが本書には散りばめられているように思う。

  • 語られている内容については、よく理解出来る。しかし、実際に自分で実践するとなると、こうは出来ないなと感じた。
    自分の足で歩いて確かめ、自分の目で見て観察し、自分の頭で考える。
    確かに、このスタンスは重要だ。頭で学問しても仕方ない。共感出来るが、そう言わせるだけのバックボーンを備えられていない自分には、こんなにだいそれた事は言えない。これだけの事を言うには、やはりそれなりの知識が必要なのではないだろうか。

  • この方の生き方は実に清々しいと思います。ご自身の軸を持ち、あくまでも実証を旨とするその考えと行動~年を重ねて高みから、物申される人が多い中、説得力のある短文が印象的です。
    やってきた人の凄みなのでしょうか…

  • 梅棹氏の語り(聞き取り)を記録して本にまとめたもの。語り口は明快。そして、ページをめくるごとに金言の連続。

    本書をガイドとして梅棹氏の主張の概要を把握しつつ、各論を深めるために氏の著作を紐解くのも良いのではないかと。

    【無断転載を禁じます】

  • 梅棹忠夫先生の最晩年の対談集.無茶苦茶なことを言うお祖父さんの話が,なぜかすんなり頭に入ってくることがある.まさにそんな感じの読後感.好き嫌いがハッキリするかもしれない.

  • どうかな、おもろいかな?

  • 晩年の梅棹さんから、もと民博の教授で、現吹田市立博物館長の小山修三さんが、他分野にわたって聞き出した記録。実は、梅棹さんはこの本の出版前に亡くなっている。ぼくは、梅棹さんの著作集まで持っているから、それなりにファンである。ここには梅棹さんの行き方、哲学のエッセンスが詰まっていると感じた。梅棹語録はどこも面白く含蓄があるが、たとえば梅棹さんは自らも早くに博士号を取っているが、かつては文化系では博士号はなかなかとれなかったし、大学も出さなかった。梅棹さんは博士号は「運転免許」とか「足の裏についた飯粒」と言う。「運転免許」はわかりやすい。まさに現在の博士号はそうである。博士号を取らなかった人が博士号の審査をすると、とてつもなく厳しくなる。これは悪弊だ。「運転免許」と思えばなんのことはない。「飯粒」のこころは?―「取らな気持ち悪いし、取っても食えん」。これも名言である。梅棹さんはラジオ、テレビというメディアに何度も出演したが、「テレビに出たら、花形になったような気になる」ことを警戒した。小山さんが言う「あれは一種の密の味」も同感だ。「テレビは思想の媒体ではない」というのも味わい深い。場合によっては、発言者の意図と違う編集がされてしまうからだ。自戒しよう。梅棹さんは、若い頃は相手に逃げるすきのない批判をしたらしい。それをたしなめたのはフランス文学の桑原武夫である。「論争は大いにけっこう。でも、自分が優勢なときほど相手に退路をつくっておいてやったほうがええなあ。そうしないと恨みがのこり、闇討ちにあうかもしれんな」と。梅棹さんは権威に挑戦した人である。しかし、自分が権威になったことはあまり自覚していなかったのではないだろうか。

  •  対話形式なのでモロに梅棹氏の価値観が分かる。
    この人はぶっとんでるなぁと思った(笑)

     ただ、意外と地に足のついたスタイル、というか自分の見たことを非常に大事にする人。彼自身がものすごい行動的で、数々の功績も全てその飽くなき好奇心と洞察力、情報収集力があってこそなのだと分かった。理論偏重の頭でっかちの自分にとっては、眩しすぎる光。今後影響を受けるであろう人。去年亡くなられたのが本当に惜しいが、彼の生き方を体現したような膨大な著書は、これからも折に触れて読んでいきたい。
     

全57件中 31 - 40件を表示

著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

梅棹忠夫の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×