- Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560071502
作品紹介・あらすじ
仮に第二次大戦でドイツが敗けず、ヒトラーがまだ死んでいなかったら…。ヒトラーの私設ポルノグラファーになった男を物語の中心に据え、現実の二十世紀と幻のそれとの複雑なからみ合いを瞠目すべき幻視力で描き出した傑作。
感想・レビュー・書評
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すごいモノを読んでしまった・・・・「百年の孤独」を読んで以来の衝撃かもしれない.
帯には「仮にドイツが戦争に負けず,ヒトラーが死んでいなかったら・・・瞠目すべき幻視力で描きだされるねじれた20世紀」とあり,「高い城の男」?と思ったのだが,この帯の「ヒトラー云々」というくだりは本当にどうでもいい些細なことに思えるぐらい濃密な読書体験だった.
おそらく柴田元幸の訳も素晴らしいのだと思う.詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エリクソン五冊目。
登場人物たちの髪の色が、血が、土地が、歴史が、巨大なマーブル模様となってのたうちまわる。烈しく、狂おしい情念のブラックホールの深淵を、読者の膝が崩折れるまで見せつけてくる。。。これぞエリクソンという感じ。
訳者あとがきで柴田元幸さんも述べているように、プロットはかなり緻密。でもそれは世界の整合性を補強するためにあるのではない。小説のタガを外して、どこまでも遠くに歩いていけるように編まれている。
荒涼とした風が、物語の最後まで吹き続けている。
ウィーンの観覧車に乗るシーンが好きでした。
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『Xのアーチ』を読んでからのスティーブ・エリクソン2作目。黒い20世紀の歴史が分岐し合流し繰り返される。見事な伏線と回収ですが、ガチ過ぎて疲れる。もう少しアソビやユーモアがあって欲しかった。
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本のオビから引用すると
「仮に第二次大戦でドイツが負けず、ヒトラーがまだ死んでいなかったら……。ヒトラーの私設ポルノグラファーになった男を物語の中心に据え、現実の二十世紀と幻のそれとの複雑なからみ合いを瞠目すべき幻視力で描き出した傑作」ということになる。
作中に「ヒトラー」という固有名詞は出てこない。
イニシャルで「A・H」という記述が1回出てくるのみ。
それでもこれは間違いなくヒトラーの事であり、中心となる登場人物はその男のための私設ポルノグラファーになってしまった大男である。
とにかく面白い。
時間と空間を自由に乗り越え、現実と虚構をひょいひょいと飛び越えていく。
このポルノグラファーが描く小説内世界がいつのまにか現実世界となり、現実世界が虚構の世界にリンクしていく。
こちらの二十世紀とあちらの二十世紀があり、緻密に組まれた物語は時にどこに向かっているかわからなくもなるが、最後にはきちんと一つのところに収まる。
とにかく時空を超え、虚実を越え、時には語り手も変えながら物語は進む。
訳が分からない、という感想を持つ方もいると思うが、僕はもう読みだしたら止まらなくなってしまった。 -
読み終えてただ圧倒されてしまった作品。
壮大なスケールと、細やかで幻想的な筆致は素晴らしい!のひとこと。
物語の筋を追うだけなら、ヒトラーの私設ポルノグラフィー作家となった1人の人物、バニング・ジェーンライトの生を、歴史とともに辿っていく…そうした内容なのですが、でも、それだけではありません。
読みごとに形作られていくのは、著者のものか自分のものかどちらともつかない様々な生き物や光景です。それらが、時とともに成長し、一度消え、またその姿を変えて眼前に現れます。
「幻視の作家」とも言われているそうですが、すごい能力だと思います。
柴田氏のいう、振り子のような、輝きのような、海のような、揺り返す、揺らめく世界のなか(決して至福ではありません)に存在しているのを感じます。
そして自らの罪がその生を終えることにより終焉を迎える、作者の死生観のようなものを感じました。
傑作、といってよい作品と思います。
柴田氏の訳も非常に格調高くて美しく、感動的ですらあります。 -
やたらめったらおもしろい。
しかしどういう話なのかと説明を求められても困る。理解出来てると到底思えないから。
どこまでが現実でどこまでが幻の話なのかも分からないから。
語り手も歯車が切り替わるように気付いたら別の人物へと変わっている。
夢と現を行き来するような感覚を繰り返し、話はどんどんと進む。
旅の時計は、時に逆行することもある。
ドロドロした愛憎と血なまぐさい匂いが充満してるのに、美しさにはっとさせられる瞬間が何度も何度も訪れる。
幻想的な手触りにクラクラして、紡がれる暗い夜の世界にひたすら酔った。
参った。-
「どういう話なのかと説明を求められても」
イメージや雰囲気を味わえれば、それで充分ですよ!「どういう話なのかと説明を求められても」
イメージや雰囲気を味わえれば、それで充分ですよ!2012/06/26
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海外の作品を読むようになって思うこと、それは日本の作品とは明らかにスケールが違うこと。日本の小説は《個人》と《限定された時間と空間》が割と多いのに対し、海外の小説は《人間》と《交錯する時間と広い空間》を描いている。
これまで日本の小説ばかりを読んでいたのだけれど、ポール・オースターやイアン・マキューアン、ジャン・ジュネ、イタロ・カリヴィーノなどを読んで食わず嫌いだったと気付いた。内容も構成力も文章も断然に秀でている。
そして、この、スティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』。時間と場所が交錯し卓越した想像力によって構成される物語は、『すごい』のひと言に尽きる。読んでいる最中ハンマーで頭を殴られたような、冷水を頭から被ったような衝撃を受けっ放しだった。終わってしまうのが惜しくて仕方なかった。小説というのはこういうものだと大絶賛したくなる小説であり、芸術のような作品である。訳者があとがきで言うように最良のメタフィクションである。
終盤、胸が苦しくなって泣けてしまった。心に刺さる幾つもの文章が繰り出す美しさ、比喩(もしくは象徴)として全く新しい意味を持たされて連なる言葉たち。
小説として素晴しく、物語として実に面白い。最高の1冊。-
「すごいのひと言に尽きる。」
飲み込めない大きさなので、無理矢理食べると、お腹だけじゃなく、胸も頭も一杯になって自分の身体じゃない感覚に襲わ...「すごいのひと言に尽きる。」
飲み込めない大きさなので、無理矢理食べると、お腹だけじゃなく、胸も頭も一杯になって自分の身体じゃない感覚に襲われてしまいます。。。2013/07/06
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最後三分の一くらいは、たらたら読んでたのが嘘みたいに惹きつけられた。それまでの要素が一気に収束していく感覚が気持ちいい。
物語を書くもの、作られたもの、自分が描き出したものへの責任とか、その持つ力みたいなものについての話とも読めるだろうけど、それだけじゃない。 人称(視点)が変わったりすることにも多分大きな意味があって、それをちゃんと読み解くべきなんだろう。
なんだか色々難しいことを書かなければならない小説のような気もするけれど、読んでから少し時間が経ってしまったこと、自分がそもそも十全には理解できなかっただろうこと、何かを言っても知人の受け売りになりそうなので、本当に単純な感想だけ。
(自分向け。読書メモはメモに残した) -
3.78/544
内容(「BOOK」データベースより)
『仮に第二次大戦でドイツが敗けず、ヒトラーがまだ死んでいなかったら…。ヒトラーの私設ポルノグラファーになった男を物語の中心に据え、現実の二十世紀と幻のそれとの複雑なからみ合いを瞠目すべき幻視力で描き出した傑作。』
冒頭
『二十歳のゲリは流れるような金髪、端正な顔立ちにさわやかな声、明るい性格で男たちを魅了した。ヒトラーはまもなく彼女と恋に落ち、どこへ行くにも一緒に連れて回った。会合や閣議、長い山歩き、ミュンヘンのカフェーや劇場。一九二九年、ミュンヘンでもっとも華やかな大通りのひとつプリンツレーゲンテンに、九部屋から成る豪奢なアパートメントをヒトラーが借りたときも、ゲリはそこに個室を与えられた…』
原書名:『Tours of the Black Clock』
著者:スティーヴ・エリクソン (Steve Erickson)
訳者:柴田 元幸
出版社 : 白水社
単行本 : 402ページ -
黒い時計の旅 (白水uブックス)