- Amazon.co.jp ・本 (449ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560090084
作品紹介・あらすじ
1975年の大晦日、二人の若い詩人アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、1920年代に実在したとされる謎の女流詩人セサレア・ティナヘーロの足跡をたどって、メキシコ北部の砂漠に旅立つ。出発までのいきさつを物語るのは、二人が率いる前衛詩人グループに加わったある少年の日記。そしてその旅の行方を知る手がかりとなるのは、総勢五十三名に及ぶさまざまな人物へのインタビューである。彼らは一体どこへ向かい、何を目にすることになったのか。
感想・レビュー・書評
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上下巻まとめての感想です。
★★★
二人の若い前衛詩人、アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマはある出来事をきっかけにメキシコから旅立つ。その後の彼らの20年に渡る足跡は一人の青年の日記と、総勢50人以上から集めた証言により語られ、そしてその背後に当時のラテンアメリカの人々の生活や詩作事情、そして革命やクーデターに揺れる南米各国の歴史を浮かび上がらせる。
第1章「メキシコに消えたメキシコ人」は、メキシコ市の法学生ファン・ガルシア=マデーロの記した1975年11月から12/31までの日記。
(なお、小説の中でメキシコ市はメキシコDFと書かれている。連邦区 -Distrito Federal、D.F.-と言う意味で、メキシコをD.F.-デ・エフェ-と呼ぶのは北部の人間だそうだ、と、wikiさんをカンニングしながら書いてみた)
法律よりも詩作に興味のあったガルシアは、詩作グループ<はらわたリアリズム>の中心人物、チリ人のアルトゥーロ・ベラーノとメキシコ人ウリセス・リマと知り合う。
この妙なグループ名称は、1920年代に存在したアバンギャルド集団より命名された。女流詩人のセサレア・ティナへーロを中心とした元祖<はらわたリアリズム>はいつしかメキシコ北部のソノラ砂漠へと消えた。
ガルシア=マデーロは<はらわたリアリズム>を通じ、大学へ行かなくなり、本の万引きを覚え、童貞を卒業し、女性と同棲する。ガルシアが交流を持ったなかにはマリアとアンヘリカ姉妹とその精神病者の父ホアキンのフォント家がいた。
そして1975年の大晦日、フォント家の友人である娼婦ルぺと巨大な男根を持つポン引きのアルベルトとのいざこざに巻き込まれる。ガルシア=マデーロはアルトゥーロ、ウリセス、ルぺと共にメキシコDFから逃げ、メキシコ北部のソノラ州へと向かう。
第2章は「野生の探偵たち」。謎のインタビュアーが、アルトゥーロとウリセスの旅の様子を追って、彼らと関わった人物たちに話を聞いている。この膨大な証言集は1976年1月から1996年までおよそ20年間に及ぶ。
(なお、証言者たちの人生についてはこちらをカンニング。
http://www.hakusuisha.co.jp/exlibris/2010/04/27/1725.html)
どうやらアルトゥーロとウリセスはポン引きアルベルトからの逃避行のついで?に、女流詩人セサレア・ティナへーロの軌跡を辿ったらしい。彼らがセサレアに興味を持った理由は、当時の詩の雑誌で彼女の名前を見かけ、当時の詩人は彼女のこと語るというのに、彼女の詩も論文も一遍も残されていないこと。はたして当時の詩人が記憶するが記録されていない女流詩人とは何者なのか。
この証言集は基本的にはインタビューを行った時系列で並べられ、証言者はアルトゥーロとウリセスとの交流を語りながら自分の人生を語る。
そしてその証言集の間にちりばめられるのが、1976年1月にメキシコDFで行われたアマデオ・サルバティエラに行われたインタビュー。アマデオはセサリアが刊行した雑誌で共に働き、彼女が残した一遍の詩の意味をほぼ40年考えている。
アマデオにインタビューを行った1976年1月と言えば、アルトゥーロとウリセスとガルシアとルぺがフォント家からソノラ州へ逃げた直後だ。このインタビュアーはちょっと急げば十分彼らに追いつけた距離だが、決して慌てずあくまでも傍観者として、アルトゥーロやウリセスの人生を追い続けていく。
アルトゥーロとウリセスはソノラ砂漠から一度メキシコDFに戻り、”自分を殺そうとしている組織から逃げる”と言って、その後アルトゥーロはスペイン、ウリセスはパリへ渡る。
おお、二人が別れた、どうするインタビュアー?!…と思ったが、この後世界を回ることになるアルトゥーロとウリセスの両方を普通に追いかけるんである(笑)
読者の前にアルトゥーロとウリセスは直接現れない。
証言者たちの話から彼らの人生と思惑を読み取る。
アルトゥーロはチリ人で、10代前半に家族でメキシコに渡った。長髪のきれいな風貌(上巻P198で”きれいな男の子”と言っているのはかつての交際相手だから贔屓目かもしれないが/笑)。ロマン主義で外交的。<はらわたリアリズム>の方向の違うメンバーを追放するような攻撃性もある。
メキシコDFを出た後はスペインを中心としてパリ、アフリカへ渡る。
スペイン時代に一度結婚して男の子が生まれるが離婚したようだ。前妻や息子の証言はない。インタビュアーはあまりアルトゥーロとウリセスに近づき過ぎたくないのかもしれない。
詩人としては、編集者をうまく丸めこんで詩集を一冊出させている。
ウリセスは屈強でインディオのような顔立ちのメキシコ人。こちらも長髪。この時代のメキシコの詩人は全員長髪らしい(笑)
ラディカルで内向的で心根の優しい奴と言われるが時限爆弾とも言われる。
メキシコDFからはパリへ渡り、パリから女性を追ってイスラエルへ行くが彼女から拒絶され、ウィーンへ渡りかっぱらい生活でメキシコに戻される。ここで最後の<はらわたリアリズム>の集まりを開き、グループ活動を終える。その後ニカラグア、バルセロへ行き、またメキシコDFに戻る。
頭から足の先まで詩人と言われるが刊行された詩はなく、メキシコの詩人名簿にも載っていない。
インタビュアーもDFにいるんだから直接ウリセスに会えるだろうに決してそうはしない。やはりインタビュアーは彼らに対して傍観者でいたいのだろう。
そして第3章は「ソノラ砂漠」1986年1月1日から2月上旬のガルシア=マデーロの日記。
時系列では第1章(メキシコDFからソノラ州に逃げるまで)⇒第3章(ソノラ州で何があったか)⇒第2章(その結果その後の人生)となる。
メキシコDFを逃れたアルトゥーロとウリセスとガルシア=マデーロとルぺが逃げながらセサレアの痕跡を辿る旅路と、彼らを執拗に嗅ぎ付け追い掛け回すポン引きアルベルトの追跡劇。
この第3章がなんとも刹那的な楽しさと寂しさがある。彼らはセサレアの詩作思想とその人生を見つけだしたのか、アルトゥーロとウリセスが世界を巡る羽目になった出来事とは、ガルシア=マデーロはなぜアルトゥーロとウリセスと別れたのか…。
★★★
題名の「野生の探偵たち」とは、
まず1930年代のセサレアの足跡を追う1970年代のアルトゥーロとウリセス、
ルぺたちを追うポン引きアルベルト、
アルトゥーロとウリセスの足跡を辿るインタビュアー、
そしてその背後から全体を読み取ろうとする我々読者
…と数重の意味を成している。
上巻はまだ小説の構造をつかみついていくのに精いっぱいだったが、後半になると証言者たちの辿った人生の機微が奥深く、そしてそれを描写する小説として文章が素晴らしい。
精神療棟から自宅に戻ったホアキン・フォントの前に訪れた偶然の一瞬(下巻P100当たり)
アマデオがセサレアと最後に会った時の情景(下巻P207以降)
アルトゥーロが、まだ書かれてもいない自分の詩集への批評本の作者と決闘を行う場面(下巻P217から)
オクタビオ・パスの元秘書の語る、オクタビオとウリセスの数日間(下巻P267当たり)
雑誌社記者の語る民族紛争のアフリカの日々(下巻P298から)
セサレアの住んでいた部屋を訪ずれた時のガルシア=マデーロの日記に現れる感性(下巻P396)
アルトゥーロと付き合った女性たち(複数/笑)の語る人生などそれだけで長編小説になりそう。
このインタビュアーも調査力抜群と言うかアポイント能力高過ぎと言うか、バルセロナでアルトゥーロの知人のチリ人密航者を訪ねたかと思えば(彼だけはインタビューでなくアルトゥーロに向かって話しかけてるんですよね、ちょっと不思議な構造)、ウィーンではウリセスと共にイスラエルで収監されていた男に話を聞き、DFではオクタビオ・パスの元秘書にまで話を聞き出し、ホアキン・フォントには自宅から精神病棟そしてまた自宅へと数回に渡り話を聞いている。
証言の中にも実在や架空の南米作家や詩人たちが出てくる。
下巻261ページに書かれている「同性愛のキューバ人作家で、収容所に入れられ、アメリカに渡ってエイズで自殺」した作家はレイナルド・アレナスの事だろうが、
⇒http://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4336037795
その前のページに書かれている「警察からもセンデロ・ルミノソからも憎まれ、すっかり感覚を失ったペルー人詩人」とか全く分からん。
世界の著名詩人たちも出てくるが、<はらわたリアリズム>メンバーは”主流”には反抗を感じているようだ。
ホイットマンやパブロ・ネルーダやボルヘスと言った巨匠たちをホモ、おかま、痴カマ、ニンフ、オネエ…なんて分類してみたり、そのなかでもオクタビオ・パスはかなり否定しているようだ。なにしろ周りの人物から「彼らがはオクタビオ・パスをに猿轡を噛ませて手足を縛ってポンコツキャデラックのトランクに閉じ込めて誘拐しかねない」と思われている。なんとオクタビオ・パス本人も左翼集団が自分を誘拐しようとしていることは耳に入っていて、オクタビオとウリセスの数日間の邂逅へ。
そして世界事情もかなり混乱の時代だ。
ウリセスがイスラエルまで追った女性クラウディアの兄はアルゼンチンで人民革命軍(ERP)として警察か軍隊につかまり拷問を受けて死んだ。(上巻P412)
アルトゥーロは1973年に故郷チリに戻りアジェンテ派志願兵として闘い、警察か憲兵に捕まるが解放される。(上巻P273)アジェンデ大統領がクーデターで暗殺されたのが1973年9月11日なので、まさにこの時代ですね。
⇒http://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309709591
アルトゥーロと親交のあった先輩女性詩人のアウクシリオは、1968年メキシコの大学に軍と機動隊が突入した「トラテロルコ事件」の時、トイレの個室に15日間閉じこもることにより抵抗する。
ウリセスは詩人使節団の一員としてニカラグアに渡っている。おそらくタチート大統領が亡命してサンディニスタ政権が樹立した混乱期だろう。
⇒http://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4891769505
そしてアルトゥーロが雑誌社記者渡ったアフリカでは民族紛争や虐殺が行われている。(下巻P298)
さて、アルトゥーロとウリセスも直接読者の前には表れないが、それ以上に完全に姿を消したのがガルシア=マデーロ。
第2章の証言者たちの誰も彼の事を語らない。
はたして彼らを狙う者たちに消された可能性もあるが、できれば彼自身が第2章のインタビュアーだったと思いたい。
彼がインタビュアーとしたら矛盾点もある。フォント家などガルシア=マデーロを直接知る者たちがそのそぶりを見せない、ガルシア=マデーロでは1986年1月にメキシコDFでアマデオにインタビューすることは不可能(ソノラ州にいたから)、など。
しかし第3章で、セサレアは自分の痕跡を残しつつ煙に巻きながら移動している。
それなら最後の<はらわたリアリズム>メンバーであるガルシア=マデーロが、自分の痕跡を見せつつ隠しながら、アルトゥーロとウリセスの足跡を20年間追い続けたとしたら、実に彼らの詩の精神を表していると思うんだが。
さて、詩の精神と言えば、アルトゥーロとウリセスは”詩人”と言っても小説内に彼らの詩は出てこない。それでも彼らの詩の精神を感じたのがこちらの描写。
ニカラグアから戻ったウリセスが語った自分の旅路。(下巻P78)
以下、”彼”がウリセスで”俺”は証言者。
”メキシコと中央アメリカをつなぐ川を端から端まで歩いたと彼は言った。俺の知る限り、そんな川は存在しない。それなのに彼はその川を端から端まで歩いたと言っていて、今ではどこで川が蛇行してどの川と合流しているか知っている自信がある、とも言っていた。木々の川か砂の川か、ときどき砂の川に代わる木々の川。職にあぶれた人々の途切れることのない流、貧乏人と飢えやドラッグや苦痛で死んでしまいそうな連中の群れ。雲の川。そこを彼は十二か月に渡って航行し、その途中で数えきれないほどの島と集落を見つけた、すべての島に人が住んできたわけではないが、そうした集落に、そのまま住み着いてしまおうかと、そしてそこで死ぬまで暮らそうかと考えることもあったという。
訪れたすべての島の中でも、二つがものすごかった。過去の島だ、と彼は言った。そこには過去の時間だけが存在していて、そこでは島人は誰もが退屈していて、そこそこに幸せだった、でもそこでは想像の重みが大きくて、島は毎日少しずつ川の中に沈んでいった。それから未来の島だ、そこに存在する唯一の時間は未来で、島人は夢見がちで攻撃的だ、どのくらい攻撃かと言うとだな、とウリセスは言った、しまいには共食いしかねないほどなんだ”
さらにこちら。
アマデオの所有するセサリアの出版された唯一の詩を見たときのアルトゥーロととウリセス。
セサリアの詩とは、線と波線とギザギザ線の図であり言葉は書かれていない。
以下”私”はアマデオ、”若者、奴”などがアルトゥーロとウリセス。(下巻P91からP93抜粋)
”すると若者の一人が沈黙を破ってはっきりとしたよく通る声で、詩は実に興味深いと言った、するともう一人がすぐさまその通りだと同意し、興味深いばかりでなく、ガキの頃夢に見たことがあると言った。何だって?と私は言った。夢の中でだよ、と奴は言った、七つにもならない頃だったと思う、熱を出した時だと。セサレア・ティナヘーロの詩を見たのか?七歳の頃に?それで君は理解したのか?何を意味しているのか分かったのか?と言うのも何かを意味しているに違いなからな、ええ?すると若者は私を見つめて、違うよアマデオ、と言った、詩は必ずしも何かを意味する必要はないんだよ、それが詩だということを別にすればね、もっともこれは、セサレアの詩は、一見それですらないけど。
(…中略…)
そして私は若い二人に尋ねて言った、なあ君たち、この詩から何が分かった?と言ったのだ、いいかい、私はかれこれ四十年以上もこの詩を眺めているが、何も分かっちゃいない、それが本当の所だ。嘘ついたって仕方がないだろう。すると奴らは言った、冗談なんだよ、アマデオ、詩ってのは何かとても真剣なことを覆い隠す冗談なんだ。でもどんな意味があるんだ?と私は言った。ちょっと考えさせてよ、アマデオ、と彼らは言った。もちろんさせるぞ、言うまでもないことだ、と私は言った。しばらくじっくり考えるよ、あなたの謎が少し解けるといいんだけど、アマデオ、と彼らは言った。もちろん、解いてほしいもんだ、と私は言った。
(…中略…)
さあ、それじゃあ、と私は言った。謎はなんだった?すると若者たちは私を見つめて言った、謎なんかないよ、アマデオ”詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは面白い。詩人とかよく知らないし、登場人物が多すぎて誰が誰だかわからなくなるけど、どんどん読み進められる。
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長尺の小説だが、まったく飽きさせない。これだけいろんな話が詰まっていればそりゃそうだ。登場人物が多いため、こちらを参考にすると読みやすい。http://www.hakusuisha.co.jp/exlibris/2010/04/27/1725.html
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品のなさってーか、ガラの悪さってーか…
メキシコ文学ってこういうのなんだな… -
初ボラーニョ。(つい今しがたまでポラーニョだと思い込んでいた)。主にメキシコの詩人たちを巡るあれこれをⅠ部は日記形式、Ⅱ部をインタビュー形式で綴る。話があちこちに飛び移り、核なる本筋がなかなか攫めない。上巻前半までは、この調子が下巻まで続くのかと訝みながらも「はらわたリアリズム」という何とも言えぬ魅惑的な語感の響きだけで乗り越えた。夥しい登場人物は白水社のサイトから拾ったアンチョコを照らし合わせることでどうにかクリア。後半から徐々にのめり込めてきたが、面白いかどうかはまだわからない。期待をこめて下巻へ。
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784560090084 -
[ 内容 ]
<上>
1975年の大晦日、二人の若い詩人アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、1920年代に実在したとされる謎の女流詩人セサレア・ティナヘーロの足跡をたどって、メキシコ北部の砂漠に旅立つ。
出発までのいきさつを物語るのは、二人が率いる前衛詩人グループに加わったある少年の日記。
そしてその旅の行方を知る手がかりとなるのは、総勢五十三名に及ぶさまざまな人物へのインタビューである。
彼らは一体どこへ向かい、何を目にすることになったのか。
<下>
1976年、ソノラ砂漠から戻った二人の詩人、アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、メキシコを離れ、それぞれヨーロッパに渡る。
その後、世界各地を放浪する二人の足取りは、メキシコに残ったかつての仲間たち、作家、批評家、編集者、トロツキーの曾孫、ウルグアイ人の詩人、チリ人密航者、アルゼンチン人写真家、ガリシア人弁護士、女ボディビルダー、オクタビオ・パスの秘書、大学教授など、実在・架空のさまざまな人物の口から伝えられる。
最後に少年の日記から明らかにされる二人の逃避行の理由とは?強烈な皮肉とユーモアに貫かれた、半自伝的傑作長編。
[ 目次 ]
<上>
<下>
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
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メキシコの詩人たちのた物語。一章はあるメキシコ人学生の視点、第二章は「はらわたリアリスト」たちを様々な人々の視点から。二章が良かった。
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第1回(2011年度)受賞作 海外編 第5位