- Amazon.co.jp ・本 (540ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569675466
感想・レビュー・書評
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信長、秀吉、家康と天下を取った3人は偉業に注目される。しかし、その側にいた人の目線では、偉人の活躍だけでなく、欲深さ、愚行など人間味溢れる一面を知れる面白さがある。欲深さが彼らを天下人に導いたといえる一方で、転落の原因にもなったのではないか。
また、古溪宗陳は仏法が説く、貪欲、瞋恚、愚痴(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の焔で人を人を見ては嘲笑っていた。それを一つ上の次元で捉えていた利休は、毒で志を高めるかと考えていた。印象的だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
利休切腹の当日から時をさかのぼり、利休の美学の根源は何かを探る形で描かれる作品となっている。
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あらすじ
天正19年〈1591年〉2月28日、茶人・千利休は、聚楽第内の屋敷に設えた一畳半の茶室で切腹の日を迎えた。妻・宗恩は、利休の胸の奥には長年秘めた想い人がいるのではないかと問いかける。利休は否定するが、彼の心に影を落とす女は確かにいた。彼が19の時に殺したその美しい高麗の女の形見である緑釉の香合を、利休は肌身離さず持ち続けていた。
物語は、利休本人と彼と関わりがあった人々の一人称で語られる短編形式で、利休切腹の当日から時をさかのぼり、利休の美学の根源は何かを探る形で描かれる空想ファンタジーとなっている。
感想
利休って、どんな人だったんだろう?
私利私欲に走ったのか、秀吉の気持ちはどうだったんだろか?茶道って、茶器って、奥が深そう? -
興味はあったが、とても難しそうな本だなと思っていて何年も手が出せなかった本。
人の心はいくつもの面を持っていて奥深い。だけど、人は一度にいくつもの面を見ること、感じることが難しく、関係をこじらせてしまうことがある。
反対に心の面が見えすぎて不安や疑心が生まれる場合もある。じゃあ、人の心はどんな風に形作られて行くのか。
利休の心がカタチ作られる過程を遡りながら、人について学ぶことのできる物語。 -
千利休の切腹の日から遡って様々な関係する人(妻の宗恩、秀吉、武野紹鴎等)の思い、関わりを紐解いていく。
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歴史小説を普段読まない人でも楽しめる作品。
登場人物の人柄や性格を表す描写に引き込まれた。
特に、利休の不気味なほどの美への執着心がうかがえる描写にゾクッとするものがあった。 -
利休にたずねよ。何という秀逸なタイトルと呼びかけだろう。歴史小説の真髄がここにある。
私たちは故人に真相を聞くことはできない。
しかし、小説はそれを虚構できる。
真相以上に重要ななにかが生まれる。
陳腐になりがちなものをどこまで真実ならしめ得るか。
私たちの生は、案外、俗物だ。
その俗物性を本作は構成の妙で聖なるものに変えた。
特に、長次郎の章に極まっていたのではないか。
多くの名物が出てくるので、数寄者にはたまらないかと。 -
この構成が面白い。秀吉から死を言い渡され、生きるために首を垂れることを拒否した利休の生涯を、Why done it ? よろしく過去に遡っていく。堺の豪商の家に生まれ、何不自由なく成長した千与四郎が、出会い死なせ、共に逝くことのできなかった高麗の女性が、後に利休と呼ばれるようになってもなお、彼の人生を束縛する理由として得心がいった。「三毒の焔」の意味するところが興味深い。貪り、怒り、愚かさの三毒が、人の道を外れる理由とは言い得て妙だ。
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茶の湯の美の神髄とはなにか、千利休の到達した思いをエピソードとともに語ります。秀吉と利休という対極に見える二人が、実は「同じ穴のむじな」であるという人間の妙。詫びた風情の中にも命の輝きがあるからこそ美しい、という、美への燃え滾るような執念がどこから生まれてきたものなのか、ひとつの想像を呈する物語です。茶の湯文化に興味のある方には面白いでしょう。他方、女性の扱い方に、ちょっと嫌悪感の残る読後です。
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利休が凄まじいまでに美を追求する理由が知りたくて読む手が止まらなかった。初めての歴史小説だったのだけど、時代が異なれば文化や生活様式、男女夫婦の在り方なども異なることが多く、その点でも楽しめた。が、やはり時代が変わっても変わらないものもあり、言葉にすると陳腐かもしれないけれど、恋は時に人を狂わせ、一生に影響することもあるのだな、と。読後、利休に何をたずねたいかは読者によって違うと思うので、その辺りを話し合うのも楽しいだろう一冊だ。