民主主義という錯覚

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569695204

感想・レビュー・書評

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  • 民主主義とは何なのか。

    フランスやアメリカ、そして日本の政治体制が生まれるまでの歴史を振り返りながら論じた一冊。

    民主主義=普通選挙、みたいな授業の知識で生きてきていたな。真面目に歴史や今の国家の成り立ちなど学んでいきたい。

  • ・ルソー、モンテスキュー、欧米と日本の民主主義比較、歴史。
    ・日本の憲法には民主主義、共和国等の言葉はない。

  • ・民主主義とは何か① ~古典的概念~
     薬師寺はまず古典的な意味での「民主主義」概念に遡る。古典哲学では、統治形態を三つに分類して考えるのが一般的であった。王政、貴族政、民主制である。これらを区分する原理は「意思決定者の数」である。一人ならば王政、一部ならば貴族政、全員ならば民主制である。このとき、民主制のモデルとはアテナイの直接民主制であった。このような古典的定義から考えると、現代に認知されているような「普通選挙を実施すれば民主主義が成立するなどと言った理屈(P23)」は成り立たなくなる。なぜならそれは、少数の代表者が多数の者を支配するという構図であるからである。ではアテナイのような小さな国家ではなく、大きな国家の時はどうするべきなのか。このとき、直接民主主義は困難を極める。ルソーとモンテスキューの解答は、全有権者の縮図をなす代表者を選ぶこと、すなわち「抽選による選抜」であった。
     このことは、選挙による議会制をルソーやモンテスキューが評価しなかったことを意味しない。むしろ、ルソーもモンテスキューも選挙に基づく議会制度を高く評価していた。ただ、それは「民主制」ではなく「貴族政」であったのである。彼らの考えに即せば、議会制民主主義などというものは存在しない。


    ・民主主義とは何か② ~定義の変更~
     ではいかにして、現代のような「議会制民主主義」が一般化したのであろうか。大きく三つの段階を経た。一段階目はフランス革命である。フランス革命の歴史的意義は、史上初めての「近代的な共和国の誕生(P69)」である。共和国とは、薬師寺によれば「全員の物」という意味である。フランスは、フランス革命によって、国民自身の物となったのである。普通選挙、代表制議会、共和制の三要素がそろった。このように、議会制を採用する共和国が誕生したのであった。しかしながら、フランス共和国は民主主義を掲げていたわけではない。
     二段階目は、「ジャクソニアン・デモクラシー」である。1828年の大統領選挙を出発点に、アメリカで民主化を思考するジャクソン・デモクラシーの時代が始まる。そのデモクラシーの目標こそ普通選挙の拡大に他ならなかったのだ。このころから、民主化の進行と選挙権の拡大が混同され始めたという。換言すると、「民主主義とは、普通選挙で選ばれた代表者たちが合議で政治を行い、国民が直接・間接の普通選挙で国の元首を選ぶことに他ならないと理解されるようになる(P102)」。
     三段階目は、トクヴィルによる流布である。フランスの政治思想家であるアレクシ・ド・トクヴィルは1831年から一年間、アメリカを視察する。その後主著である「アメリカの民主政治」を出版するのだが、その中でトクヴィルはアメリカの政体を古典的な民主主義と同一視したのである。この影響は大きく、いつの間にかヨーロッパにおいても民主主義は民主的な選挙に基づく政体だと理解されるようになっていったのである。
     以上のような三つの段階を経て、現在のような「民主主義=議会制民主主義」という観念が醸成された。現代社会においては世界の大半が民主主義国家とされている。だが、それは民主主義の定義を変更したからに他ならない。変わったのは世界ではなく、定義の方であることを忘れてはならない。


    ・我が国で民主主義とされてきた概念について ~仁政~
     ここまで、現代社会における一般的な民主主義観、すなわち民主主義=議会制民主主義とする観念がいかにして生まれたのかを概観した。このような観念は、古典的な意味での「民主政」ではなくとも、「貴族政」であるし、また共和制でもある。しかしながら、日本の民主主義観はこの一般的な観念とも異なるものである。それを薬師寺は「仁政」と呼ぶ。それは、一般民衆の意向を重んじ、「一般人民利副」を目指す政治の事である。このような観念が存在する例として、薬師寺は2007年の大阪市長選挙を挙げる。そこでは、まるで市民とは税金という名のサービス料を払う顧客であり、市当局は市民という名のお客様を相手にするサービス業者であるかのようなマニフェストが掲げられたという。ここでの市民は、下からの要求を出す存在でしかなく、ルソーが論じた「市民」では断じてない。
     ではなぜ、このような観念が日本に根付いてしまったのか。要約するとその理由は大きく二点である。まず一点目は、明治維新によって確立された新政府(明治政府)が王政復古を掲げたことである。西欧諸国では、近代化とは王政を終わらせることであった。しかしながら、日本では王政を復古が掲げられたのである。なぜなら、日本は絶対王政を経験していないからである。通常、絶対王政によって国家が一つのまとまりとなった後に革命が起き、近代国民国家が生まれる。だが、日本には絶対王政がなかった。それはすなわち国民の連帯意識がなかったことを意味する。明治政府は連帯意識を醸成するため、天皇という神秘的な存在を前面に出さざるを得なかったのである。その後、日本では自由民権運動や大正デモクラシーに代表されるような運動が発生するが、それらには本来的な意味での「民主主義」の理念は抜け落ちていた。それは本来の民主化運動ではなく、反政府運動と仁政要求運動なのである。第一次護憲運動の最、吉野作蔵が掲げた「民本主義」も以上のような日本国民の政治観を象徴するものである。そこでは、国民主権という考え方が危険思想とされたのである。そうではなく、民主主義とは、「民衆の声をよく聞く統治(P198)」のことなのである。これはまさに仁政であった。
     二点目は、現在の日本の政体がアメリカによって構築された制度であるという点である。それは、国民が自らの意志で自覚的に「選択」していないということである。通常、理念が先行し、後に制度として実現されていくが、日本の場合は先に制度が構築されてしまった。薬師寺は、日本はアメリカ流のジャクソニアン・デモクラシーを非常に表面的な形で輸入しただけに過ぎないと考えている。その結果、民主主義を「仁政」と同一視したままに制度としての普通選挙を導入するという事態に陥っている。普通選挙を導入したところで、それが議席世襲の正当化に貢献していたり、国民がいまだに「下から要求を出す存在」として考えているようでは、それはジャクソニアン・デモクラシーさえ機能していないと言わざるを得ない。民主主義かどうかはさておき、日本は共和制ですらないのである。

  • 日本は民主国家か。そもそも民主国家とはどのような国家を指すのか、改めて考えさせる一冊だった。確かに選挙制が民主的みたいな錯覚はあるなぁ。

  •  民主主義=善である。いつからそうなったのであろうか。全く覚えていない。いつの間にやらそうなっていたのだ。少年時代に読んだリンカーンの伝記の影響だろうか。はたまた、平等の価値観を押し付けられた義務教育のせいかも知れない。
    https://sessendo.blogspot.com/2008/10/blog-post_2.html

  • 皆勘違いしてるようだ。

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著者プロフィール

1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程中退(教育社会学)。京都大学教育学部助手を経て現在帝塚山学院大学教授(社会学)。主な専攻分野は、社会学理論、現代社会論、民主主義研究。主な著書に『禁断の思考:社会学という非常識な世界』(八千代出版)、『民主主義という錯覚』(PHP研究所)、『社会主義の誤解を解く』『日本語の宿命』『日本とフランス 二つの民主主義』(以上、光文社新書)、『政治家・橋下徹に成果なし。』(牧野出版)、『ブラック・デモクラシー』(共著、晶文社)など。

「2017年 『「文明の衝突」はなぜ起きたのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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