原発「危険神話」の崩壊 (PHP新書)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569802626

感想・レビュー・書評

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  • ブログなどで過激な発言で有名な池田信夫氏が原発を含むエネルギー政策についての自説をまとめた本。

    今回の事故ではこの程度で済んだけど、「安全神話」が崩れた今となっては次の事故が発生する可能性があることは否めず、そのときにはどういう甚大な影響があるか分からない、というのが反原発の主張だろう。著者は、福島によって原発の「安全神話」が崩壊したことは自明だが、一方メルトダウンを起こすと数多くの人命と健康が失われて取り返しのつかないことになるのだという「危険神話」も同時に崩壊した、と主張する。この「危険神話」が崩壊したという認識の上で改めて原発の是非を考えないといけないと問題提起をしている。もっと端的に言うと、原発廃止なんて言ってるやつは論理的に物事が考えられない馬鹿だと言っている本である(たぶん)。

    特に微量放射線の影響を過大視してしまっているのは、原発周辺住民のためにもならず、逆に苦しめる結果になっていると言う。LNT仮説(100ミリシーベルト以下の)に対する評価が分かれ道でもあるのだが、微量放射線が健康に影響があったと証明された研究結果はなく、あっても統計的に有意に検知できないレベルのものであるとされている。微量放射線の影響と一度に多量に浴びる放射線の人体に与える影響の違いを、45℃の湯と熱湯の例にたとえたのは、比喩でありそのまま当てはめて正しいとするのは危険だが分かりやすい例えだ。慎重な判断が求められる件ではあるが、問題は原発や放射能のリスクを喧伝することが、必ずしも福島の現地の人たちのメリットになっていないどころか、不利益になっているのではないかという点だと思われる。

    エネルギー政策については、3つのE(Energy、Economy、Environment)のバランスを最適化する連立方程式の解を求めることであり、「絶対の安全」などというありもしないものを求めるべきではないのだとする。原子力だけでなく、火力も水力も太陽光もすべて経済と生命のトレードオフで動いている。火力発電の方が危険度が高いため、原発を止めることによって、却って人命が失われるとの主張は、藤沢数希の『「反原発」の不都合な真実』の内容と同じだ。不経済な自然エネルギーの傾倒とともに日本経済への悪影響を懸念している。原発再開の発電単価を考える場合、サンクコストについて考慮することが必要となる。止めたからといって今まで投資したお金が戻ってくることはないのだ。

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    藤沢数希氏は先に挙げた『「反原発」の不都合な真実』の中で原発の問題は「倫理の問題」だと言ったが、池田氏に言わせるとNIMBY症候群(Not In My Back-Yard)の問題なのだという。身も蓋もない。

    池田氏は仮想敵を作って論破している点があるのは否めず、反原発にもそれほど極端なものは多数派ではないように思える。政府も極端な反原発から経済環境も考慮した中庸の政策に移行しようとしているように思える。地震大国である日本に原発は向いていないという面もあるが、一方多くの知見と省察を得ることとなったのだから、原発も含めたエネルギーポートフォリオを検討し、将来に向けた原子力利用の研究開発も続けるというのが合理的な態度なのかもしれない。

  • (2012/3/6読了)基本的には「池田信夫ブログ」に書いてあることを本にまとめたものなので、氏のブログ読者であれば馴染みの言説であるが、私はやっぱり本が好きなのでこうしてまとめて読めるのはいい。個人的に印象に残っているのは「メディアにとってはハザードが大きく頻度の小さいものほどニュースになりやすいので、人々は珍しいリスクを過大評価する」(P119)という点。殺人事件とか飛行機事故と同じ構図で、実際はそこら辺で(自動車の)交通事故に遭う確率のほうがよほど高いのに、交通事故は毎日起きるので過小評価されている。くわばらくわばら。

  •  福一事故では,原発の「安全神話」が否定されたと言うよりむしろ「危険神話」が否定されたのだという話。著者はツイッター上では不用意な発言が多く,震災から間がないころはほとんどデマ拡散者だったが,さすがに書籍になるとそういうのは刈り込まれてまともになってる。原発の危険を否定するわけではなく,リスクを他と比較して費用対効果で判断すべきという姿勢は他の論者と同様。ただ前科(?)があるから一応眉に唾をつけながら読んでみた。まあまあいいんじゃない?
     武田教授や自由報道協会など,放射能の危険性を過大視する人々のダメさを批判してる。「宮台真司氏は福島事故のあと、ツイッターで放射能デマを拡散して批判を浴びたが」とか書いてるけど(p.131),自分はどうなの?と思ってしまうな,やはり。
    「自由報道協会は記者クラブを批判しているが、新聞記者がこんな(岩上氏の奇形児スクープ発言)報道をしたら懲戒処分だ。組織は情報の品質管理を行なう意味もあるのだ。」(p.111)というのは確かにそうなんだろうと思う。自由報道協会のジャーナリストは自由すぎる。
     まともなことを結構言っているが,気になるとこも。菅さんが事故直後の海水注入を「再臨界の恐れがある」として止めようとしたこと(p.23)は,『メルトダウン』で否定されていたし,WHOの報告に言及して携帯電話の健康被害を強調するとこ(p.67)は,ちょっとダブルスタンダードでは。
     朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」,TL上で話題になってたことがあって,実家に行ったときに読んだりもしたんだけど,それで随分と不誠実な記事もあったのは驚いた。町田市で子供が鼻血を出した原因が放射能であるみたいに印象付けたりとか,それはちとひどいなあ。
     これってホントかな?
    「原子力発電所はかつては『原電』と呼ばれていたが、70年代に全国各地で運転差し止め訴訟が起こされたころから、反対派が『原発』と略すようになった。これはゲンパツという語感がゲンバクと似ていることから、その危険性を強調するため」p.41
     この本,情報の典拠がほとんど書いてない。新書ではそういうものかもしれないけど,この著者だけにちょっと頭から信用するのは考えものかも。藤原数希『「脱原発」の不都合な真実』ではその点充実してたな。本名かそうでないかの差かもだけど,池田氏の場合逆効果w
     まあそれでもこれまで読んできた信頼できる情報との矛盾はあまり感じられず,すんなりくる内容。「放射能ママが恐怖を抱いて、ガイガーカウンターで計測して回るのも自由だが、行政がそれに迎合して過剰な安全基準を決めると、巨額の賠償や除染が税負担になる。コストを考えないでリスクゼロを求める人々は、多くの納税者にコストを転嫁するフリーライダーなのだ。」(p.114)っていうのはまさにその通り。去年の運動会問題ではほんとに痛感したんだった。今年は屋外でできるかなぁ?
    togetter.com/li/161267

  • 論理的で納得がいく内容である。
    日頃著者のブログを読んでいるので、特に目新しい話題はないが、感情むき出しの反原発論がいかに非合理かがよく分かる。

    便益を求めるためのリスクがゼロなんてありえない話。
    常にリスクと便益のバランスを考えるべきだ。

    低線量被曝についてもリスクが過大評価されすぎていて、それに伴う経済損失が莫大になること。
    低線量被曝による発がんリスクなんて微々たるもの。
    除染のために何兆円もの予算を投入するくらいなら、タバコを廃止するほうがよっぽど人の命は救われる。

    <キーワード>
    ・人々の心理的な安心を際限なく求めるのではなく、何が客観的に安全かという科学的な基準を再検討する必要がある。
    ・チェルノブイリ事故は、事故の被害よりも放射線の恐怖によるストレスのほうがはるかに大きな影響を与えた。
    ・原発から原爆を連想することが、問題の冷静な議論を妨げている。
    ・放射線の影響を考える場合、確定的影響と確率的影響を分けて考えることが重要。
    ・タバコのリスクは1箱2.7ミリシーベルト以上。
    ・無意味な除染を行うのは「安心」の名による税金の浪費。
    ・NIMBY症候群(迷惑施設は社会的に必要でも自分の家の近所に建てるのはいやだという感情)
    ・ニュース価値は出来事の絶対的な重要性ではなく、相対的な稀少性で決まるので、ありふれた大きなリスクより珍しい小さなリスクが報道される。
    ・「自分の信じたいものを見つける」ことではなく、冷静に事実を見て、定量的データで判断すること。
    ・放射能は「空気」の支配の最たるもの。
    ・コストを考えないでリスクゼロを求める人々は、多くの納税者にコストを転嫁するフリーライダー。
    ・環境リスクを評価するとき重要なのは、ハザードとリスクを区別すること。

  • 本文より
    『科学に限界があるというのは原発事故で初めてわかったことではないが、その代わりに人々の実感や安心などの感情に依拠することは、さらに大きな混乱をもたらす。 科学の限界を自覚しながら、論理と事実にもとづいて考えるしか、現在の危機を収拾する道はない。 われわれは安全神話に安住するのでもなく、危険神話におびえるのでもなく、科学技術という厄介なものと共存してゆくしかないのである。』

  • 読了。一読の価値あり。
    さすがは池田信夫さんと言ってよい。
    福島原発の事故とその後の推移を巷間言われているように「安全神話の崩壊」ではなく、あえて「危険神話の崩壊」として、安易に「原発は安全」から一気に「やっぱり原発は危険」と原発と聞いただけで何もかも反対したり、放射線の影響を心配し過ぎる傾向に対して多方面からできるだけ客観的・冷静に「本当の影響規模はどれくらいなのか」という観点から検証している。
    「安全、大丈夫」と無関心なのも思考停止なら、「やはり危険、原発反対」「恐怖の放射能。低量でも何でも危険」と考えるのもやはり思考停止であろう。
    ともするとどちらかの思考停止に陥りがちなこの問題の整理のためにも読んでおいて損はない本だ。

  • 評価:★★★★★(5/5)
    著者によれば、今回の福島の事故において、2つの神話が壊れたという。

    安全神話:最悪の事態でも炉心溶融は起こらない
    危険神話:炉心溶融が起こると数万人が死ぬ

    前者についてはなじみ深いだろう。しかしこの本は後者についてもしっかりと触れてある。

    盛り上がる反原発運動にたいして冷静に情報を与えてくれる。

    反原発や脱原発、そして原発推進・肯定・・・などなど様々な考えの人がいると思う。
    また、雰囲気に流されて(山本七平のいうような「空気」に流されて)いる人も多いのではないだろうか?
    『原発は危険だからやめておいた方がいい。けどよく知らない』といった具合で。

    たしかに今の世で、反原発熱は高まったように思えるけども、この本に書いてあることを、しっかりと読み直して、あらためて何を反対しているのか、何に対して反対しているのかを考え直してみるのも良いと思う。

    もちろん、この本の情報を鵜呑みにすると言うのではなくて、他の本と併せて読んで考えてみればよいと思う。

    僕にとっては、最近の反原発・脱原発(運動)は、なにやら異様な正義感のようなものが振り回されているような気がしてならなかったので、ちょうど良い本だった。

    残念なことに終章の2つ『第7章 電力自由化への道』と『第8章 合理的なエネルギー戦略』については頭がついていかなかったが、それまでの章は楽しめた。

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    【目次】
    第1章 安全神話と危険神話
    第2章 放射能はどこまで怖いのか
    第3章 危険神話はなぜ生まれたのか
    第4章 「空気」の支配
    第5章 「リスクゼロ」を求める人々
    第6章 「自然エネルギー」の幻想
    第7章 電力自由化への道
    第8章 合理的なエネルギー戦略
    おわりに
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  • 啓蒙的な合理主義の限界を指摘したのは、『啓蒙の弁証法』でおなじみのアドルノとホルクハイマー。啓蒙は神話とは異なり、テクノロジーによって自然を改造し、大きな富をもたらしたが、それは啓蒙を真っ向から否定するファシズムを生み出した。反原発運動がファシズムと類似しているのは、科学的なデータにもとづいて放射能の被害はないと示す者を「御用学者」として否定し、「正義か悪か」を判断基準にするような呪術的思考なのだ。

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著者プロフィール

1953年生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本放送協会(NHK)に入局。報道番組「クローズアップ現代」などを手掛ける。NHK退職後、博士(学術)取得。経済産業研究所上席研究員などをへて現在、アゴラ研究所代表取締役所長。著書に『イノベーションとは何か』(東洋経済新報社)、『「空気」の構造』(白水社)、『「日本史」の終わり』(與那覇潤氏との共著、PHP研究所)、『戦後リベラルの終焉』(PHP研究所)他。

「2022年 『長い江戸時代のおわり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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