- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582762365
作品紹介・あらすじ
「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」著者独自の知識人論を縦横に語った講演。
感想・レビュー・書評
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エドワード・サイードの著作は、
『知識人とは何か』ぐらいしか、
読んだ事ないな。これは名著だし、書名を知っている人は沢山いる。
サイードが言う「知識人」とは、
「亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手」と。
こんな知識人、ムラ社会ニッポン
では、まず見掛けない。
多く「知識人ムラ」の住人で、そのムラの掟に従って、御飯食べている人が、ほとんどだから。これに気付かない大衆がアホだから、始末におえない。
未だに、テレビや新聞が「存在している」異様さと同じ。本当は、8割ぐらいのマスコミは「必要ない」、社会の害悪。ただ、皆(私含めて)アホだから、気付かない。これは、なぜ一党が、ずっっと政権与党なのか?と同じ問題。
知識人の話しに戻る。
いくら「安全地帯」から、うまく世間に問題提起する「仕方」にこだわる人間ばかりで、自ら権力機構に、組み込まれる事に、躊躇しない。
実は、「知識人」ばかりじゃない「芸能人」や「芸人」もそう。
また、日本の伝統的な「宗教」も、政治権力に組み込まれて、チカラを失った事と、全く同じ。
サイードは、この著作で、神を厳しく否定している。神の存在を権威として、服従するのではなく、最善を尽くし、真実を積極的に追求する事が、語られている。
日本的なムラへの服従か、創造主へ自身を預けるか、そうではない在り方を希求している。ガンジーか!と思わせる。私には無理、だけど、ちょっとは、見習いたいものだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とにかく言っていることがかっこいい! ちょっと違うかもしれないけど、ドラッカーは利己的な観点から知の立ち居振る舞いを語るけど、サイードは利他的な観点からそれを語る。いずれも知の巨人だが、プラグマティズムの観点orリタラチャー
の観点というスタンスの違いで語ることが野暮か粋かの違いが出てくる。昨今軽視されがちなリベラルアーツてやっぱり大切だなあ。こんなこと「リベラル」を曲解しがちなこの国でいうと白眼視されるだろうけど。やはり、サイードて、能力的にも経済的にも立場的にもエスタブリッシュメント階層であるのに、ディアスポラを経験し[てい]たパレスチナ人であることを決して念頭から外さなかった/外せなかったからこそ、決してエスタブリッシュメントとしての自己を確立しなかったんだろうなあ。それだからこそ、こういうことを言ったんだろうなあ。サイードじゃなかったら建前論言うなよ、てなっちゃいそう。ほんと、サイードはやっぱりサイードだ! -
論旨に確かな見晴らしのよさを感じる。だが、それは「わかりやすい」ことを必ずしも意味しない(少なくとも私にとっては)。知識人について専門知識を有する存在ではなくその知性をバネにフットワーク軽く動き、体制や硬直したマジョリティに楯突く存在をこそそう呼ぶのだと整理する。これは「使える」本だと思う。私自身がまさにサイードの整理における(もちろんこんな言葉を彼は使わないが)「専門バカ」になっていないか、見つめ直すためにも。いくつか些末な次元での異論はあるが、その疑問はこの私が自らの内に引き込んで考え続けるべきものか
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学生時代ぶりに再読。講演なのでカチッとした構成ではないのだが,知識人のあるべき姿について著者の思いが伝わってくる。
「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり,またアマチュアであり,権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」
「知識人とは,けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく,批判的センスにすべてを賭ける人間である。」
「知識人がいだく希望とは,自分が世界に影響をおよぼすという希望ではなく,いつの日か,どこかで,誰かが,自分の書いたものを自分で書いたとおりに正確に読んでくれるだろうという希望なのだ」
「アマチュアリズムとは,専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく,愛好精神と押さえがたい興味によって衝き動かされ,より大きな俯瞰図を手に入れたり,境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり,また,特定の専門分野に縛られずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。」
「知識人の役割とは,国際社会全体によってすでに集団的に容認された文書である世界人権宣言に記されている行動基準と規範を,すべての事例にひとしく適用することなのである。」
「自分の書いたものが社会の中で活字になった瞬間,人は,政治的生活に参加したことになる。したがって,政治的になるのを好まないのなら,文章を書いたり,意見を述べたりしてはならないのである。」
「知識人の目的は,人間の自由と知識をひろげることである。」 -
読み終えたぁぁ
途中知らない主義主張がたくさん出てきて心が折れかけましたが、あまり深入りせずに読み進めるのがおすすめかも(もちろん分かったほうがいいけど)
「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」というサマリーが読む前と後で見える世界が変わってくるので、諦めずに読み切ってほしいです。
でも現実問題、できるかはちょっと難しいなと…
長いものに巻かれずに生きるには1人では心折れないのかと思ってしまった…どんなメンタリティがあれば維持できるのか? -
ここで定義される知識人に該当するようになろうと思う。
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第4章の「専門家とアマチュア」が特に面白い。知識人の独創性や意志を脅かす要因として、専門分化や、政府機関等から与えられる特権や褒章などが挙げられている。
知識人が自らの志す考えをできる限り変節を経ずに突き詰めていくのであれば、孤独な「亡命者」となって、アマチュアとなるのが良いとの主張について、その通りだと思いつつ、自分だったらどうするだろうか、生活基盤を整えることを優先してしまうのではないか等考えてしまった。
サイードが言っているのは清貧を極めろということでは必ずしもない気がするが、知識人たろうとするなら、そのような覚悟は必要なんだろうと感じた。
5章はじめに出てくる専門用語癖の学生のちょっときたエピソードも面白い。
知識人が、孤独な亡命者でありつつも、安定的に表象や発信を続けていくためには実際何が必要なのかということが気になった。 -
サイードは、私が最も尊敬する学者の1人ですが、
この本は、私の中では、個人的にエドワード・サイードの最高傑作だと思っています。
他の彼の著作に比べ、平易な言葉で語られていますが、常に虐げられている人々、絶望的な苦しみの中で今も戦っている人々、どんな困難な中でも常にそんな人達の側に立って戦っていた、彼のスタンスが語られています。これを読む事で、私自身、様々な事を考える事が出来ましたし、醜い保身を捨てて、何を大切にしなくてはならないか、考える指針を頂きました。
なんと言っても、そこから感じられる温度が凄い。
読む為に、魂の中から、熱いものが込み上げてきます。様々な危険や逆境の中でも、身をもって、愛する人々の為に戦って来た彼だから語る事が出来た、とても素晴らしい本だと思います。 -
知識人に関するかなり独特な定義と持論を持っているなと違和感を感じながら読んでいたが、最終章でサイード氏の詳しい来歴を読んで腑に落ちた。市民権を持ち米国を批判し続けるパレスチナ人としての矜持と哲学を感じる。
自分は必ずしも知識人がサイード氏の主張するように振る舞うべきだとは思わないが刺激的で面白かった。特に現代の知識人こそアマチュアたるべきという言説は珍しいのではと思う。