- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582834062
感想・レビュー・書評
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美しい桜を作るが名を残そうとしない「染井の桜」
まだ見ぬ効能を開発すべく家にこもる「黒焼道話」
細々と絵を描く老婦人の家の床下に猫が住み着く「茗荷谷の猫」
大家に頼まれて作家のもとへ借金の催促に通う「仲之町の大入道」
父の遺産で静かに暮らすつもりが全てが裏目に出る「隠れる」
映画館の支配人に自分が作りたい映画を滔々と語る「庄助さん」
戦後タッちゃんに誘われ靴磨きをして生きる「ぽけっとの、深く」
大好きだったはずの品のある母をみっともなく感じる「てのひら」
近所にある洒落た家が気になる「スペインタイルの家」
イラスト:クサナギシンペイ 装丁:本山木犀
戦前から戦後にかけての下町を舞台にした短編集です。
それぞれの話にこっそりとつながりがあります。
そしてどの話も最後は哀しみの予感を含んでいる。
一番わかりやすくいい話なのは「庄助さん」だなぁ。
おかしみがあるのは「仲之町の大入道」と「隠れる」の2作。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんだかわからないけれど、とにかくおもしろいものを読んだなぁ、という気持ちになりました。
短編集で、出て来る話もそれぞれが別にどうということもない(なんて言ったら失礼か)話だったりするんだけど、それが微妙につながってたり、「おお、あなたは、あの話の方ですね」なんて思う人があとからひょっこり出てきたり、とにかく読み続ける度におもしろい、という感じでした。
だけどやっぱり、戦前・戦中の話っていうのは、どうにも辛くなってしまうなぁ。
もうこういう思いはしなくてよい世の中になってほしいけれど。 -
江戸末期から昭和までの時代を追いながら、9人の生きざまを記した連作風短編集。
すごく不思議な奇妙な雰囲気を持った作品。なかなかこういう雰囲気の作品に出合うことはないかも。
この作者の持ち味がしっかり発揮されていて、今までに読んだ彼女の他の2作同様、読みやすいという感じでは正直ないが、想像以上に面白く、堪能させてもらった。
「隠れる」が面白かったかな。 -
2010.11.08. 書評をどこかで読んで、チェックしていた本。ゆるゆる読んでたんだけど、この本に流れる空気がとても好きな感じです。良いです。少し昔の日本は、少しの不思議をたくさん内包していたんだろうなぁ。
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おもしろかった。実は途中まで茗荷谷をなんて読むんだっけ?と思いつつ読んでました。お恥ずかしい。最初が江戸時代のお話だったのに、次は時代ものでなかったので、あれ?これは短編集だったのか、と思いつつ読んでいたら、不思議とそこここでつながりがでてきて、ほえ〜っという感じ。時代はどんどん新しくなっていく中で色々な人々の色々な人生のひとこまが描かれて不思議な味わいがあった。「現実には勝てない」といった青年の言葉がせつなかったー。彼は死んでしまったのでしょう。彼のお話が一番好きだったので、悲しかったなあ。どちらかというと物悲しい、とか怖いお話が多かったな。でも読みがいがあるいい本でした。そしてお慶さんの書が、あそこででてきたのにはちょっと感動した。ああ、桜が、綺麗だなあ。
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「ほえ〜っという感じ。」
繋がりって、案外そうなのかも。
木内昇は、のんびりお付き合いして行きたい書き手さんです。「ほえ〜っという感じ。」
繋がりって、案外そうなのかも。
木内昇は、のんびりお付き合いして行きたい書き手さんです。2013/08/05 -
2013/08/07
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東京で生きる人の生活や思いを綴った9つの短編集。幕末~昭和の時代を追っていて、前の短編の登場人物の行く末を知ることができる。わかりやすくはないさ、ばらつきはあるが、「庄助さん」「てのひら」はよかった。
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時代がちょっとずつずれて、主人公や家が微妙にかぶっている短編なので戻ったり進んだりと忙しくページをめくっておりました。楽しかったですよ。こういう絡み合った短編結構好きです。
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びっくりするくらいおもしろかった。
作者、男だとばっかり思ってましたけど女なんですね。
登場人物みんなどっかおかしいです。
その按配が絶妙でした。 -
幕末の江戸から昭和の東京にかけて、9人の話が重なりつながる短編。
一人ひとりは関係がなくても、不思議とつながっていく。
幻想的な面もありながら、確実に、此岸の話。雰囲気が好き。 -
どこまでも淡い印象が確かに残っている。
江戸から高度経済成長あたりまで、東京各所をところどころ覗きながら時代を下っていく。
4次元中の、決して交差する事の無い8つの人生。
各話が微かに繋がっているから連作といえば連作かもしれない。
けれど、その繋がりは微かで、登場人物もまたその繋がりを意識せずに情報の一部として語っている。
それは私達の日常の中にはもちろん、どの物語にも言える事だろう。
「染井吉野」がその例だ。
桜の品種名として頻出しているが、それを作った人の物語は誰も気に留めない。
そう考えれば、今のこの日常生活も過去や未来のまったく知らない他人の連作としてなっているのかもしれない。