日本人はいつから働きすぎになったのか (平凡社新書)

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582857443

感想・レビュー・書評

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  • 過労死しちゃう日本人の、勤労観のルーツを探った一冊。

    二宮尊徳をディスってたり、浄土真宗、吉田松陰や福沢諭吉などを辿る流れがとても興味深い。

    明治時代から松下幸之助、戦後復興から過労死・過労自殺までの考察なども。

    文章が高くてユーモアがなくて、息苦しい論文調なのがとても残念だが、「勤勉は美徳だか、過労死が美徳なわけがない」という一文にはしびれた。

    どこまでも利益を追求して自分の時間、そして人生を無尽蔵に費やす日本の悲しい生き様が、いつか改善される日を願うばかりです。

  • 日本人はいつから働きすぎているのだろうか。
    日本人は「自発的従属」であるのだ。
    なぜ「勤勉」じゃないといけないのか。その「勤勉」という意識を支えているのは「非合理」な考えなのだ。何も信憑性がない。なぜ「怠惰」はいけないのか。

  •  読了せず。
     日本人がいかに勤勉さ、それも、自発的な勤勉さを強いられているのかよく分かるし面白い。

     ただ、仕事がしんどい時に読む本ではなかった。
     この本を楽しめる余裕は、いつ生まれるんだろうね。

  • 働きすぎは日本人の勤勉性に端を発する
    勤勉性はせいぜい数百年程度の歴史しかない
    勤勉性の原因として二宮尊徳、浄土真宗、戦時体制、資本主義、松下幸之助、高度経済成長期などを挙げている
    二宮尊徳は勤勉な農民を育てようとしたが抵抗にあって挫折した。
    このことから勤勉に嫌悪感を持つ農民が多かったことがわかる
    日本人は昔から勤勉だったわけではない
    なぜ勤勉でなくてはならないのか、なぜ怠惰ではいけないのかを考えなければならないという指摘はもっともだ。

  • 【目次】
    目次 [003-006]

    序章 日本人と「自発的隷従」 007
    日本人の勤勉性を支えているもの/ラ・ボエシの『自発的隷従論』/「野球帽をかぶりたくなれ」/「自発的に忠誠をつくす構造」とは

    第一章 日本人はいつから勤勉になったのか 019
    速水融氏の勤勉革命論/「働きすぎ」も歴史の所産/農民の長時間労働は江戸中期から/M・ウェーバーと勤労のエートス/勤勉革命論の独創性と可能性

    第二章 二宮尊徳「神話」の虚実 037
    タキギを背負った金次郎少年/「手本は二宮金次郎」/頼みとするのは自分の労働力のみ/二宮尊徳は二時間しか寝なかったか/「二時間」ではなく「ふたとき」/寝る間も惜しんで村を巡回

    第三章 二宮尊徳は人を勤勉にさせられたか 055
    木の根掘りの老人に十五両/「二宮にも困ったものよ」/怠け者に処罰を下す/人を金品で吊るのを好む/勤勉な入百姓に逃げられる/「勤勉」になることを拒む村民

    第四章 浄土真宗と「勤労のエートス」 075
    二宮尊徳と「ピューリタンの血」/内村鑑三とM・ウェーバー/浄土真宗門徒のエートス/M・ウェーバーの浄土真宗観/北陸の真宗門徒と入百姓/ニッセサマと『農民鑑』/よろこんで耕し、いさんで耕す

    第五章 吉田松陰と福沢諭吉 101
    R・N・ベラーと武士の倫理規範/吉田松陰、ペリー暗殺を図る/吉田松陰における勤勉と熱誠福沢諭吉、借りた蘭書を盗写/福沢諭吉と近代的な勤労観/福沢諭吉とキリスト教/「ウジ虫の本分」

    第六章 明治時代に日本人は変貌した 129
    「修身」で復活した二宮尊徳/なぜ二宮尊徳は再評価されたのか/真宗門徒による開拓と移民/日本移民に監視者は不要/近代化に対する危機意識/明治期の農村とその休日/徳冨蘆花が見た「不浄取り」

    第七章 なぜ日本人は働きすぎるのか 155
    「あとの四時間で寝食する」/日が暮れてから「屎尿ひき」/大正時代の「精農と惰農」/小学生が発した素朴な疑問/渋谷定輔を駆り立てたもの/「ほんとうは働くことが好きなんだ」/実の子からオジチャンと呼ばれる

    第八章 産業戦士と「最高度の自発性」 175
    経営の神様・松下幸之助の原点/黒澤明監督の「戦意高揚」映画/戦時体制下に見る「モラルの焦土」/「花の命も姿もいらぬ」/大塚久雄と「最高度の自発性」/「最高度の自発性」とは何か

    第九章 戦後復興から過労死・過労自殺まで 199
    国敗れて勤勉性あり/民主主義と自主性・自発性/商魂を見せつけた小川菊松/PHP運動という名の宗教/働くことが「生きがい」/「意欲と心構え」が評価される/「強制によるものとは考えられない」

    終章 いかにして「勤勉」を超えるか 227
    「怠惰」は許されないのか/「ウサギ小屋に住む働き中毒」/シュレージェンの農業労働者/怠ける勇気、怠けの哲学


    あとがき(二〇一四年五月三〇日 礫川全次) [245-247]
    参考文献 [248-254]

  • 日本人の国民性として挙げられる「勤勉」について、いつからそのような性質が生まれ、称賛されるようになったのかを歴史的背景から考察した一冊。
    江戸時代の農民、武士の生活、明治、大正、昭和と戦中戦後の経済成長の時代を経てどのように日本人の勤勉さが変遷してきたかを描いた段はとても興味深かった。二宮金次郎や松下幸之助などいわゆる「勤勉」な人物が日本人に与えた影響に関する考察も面白かった。

    でも、そこからもう一歩踏み込んで、現代のブラック企業、サービス残業、過労死や海外の勤労観との比較などについての論評も欲しかった。前書きで触れられていたこともあり、そこを期待して読んでいたので。それまでの記述はとても丁寧で文献もかなりあたっていたようだったので、最後少し尻つぼみ感があって残念。

  • 「日本人はいつから働き過ぎになったのか」
    日本人の勤勉さについて歴史的に検証している。検証はすべて仮説として断定していないところが奥ゆかしい。
    マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が念頭にあり、近代資本主義がプロテスタンティズムの倫理の精神に支えられていると言うことから、日本におけるプロテスタンティズムの倫理に代わるものは何かという議論と言える。
    その元は江戸中期における浄土真宗に起源があるようで、勤勉に働くと言うことが宗教性を持ち、日本の近代資本主義の発展に寄与したと考えられる。
    現代に至るまでには幕末から明治の激動を経て武士の倫理が庶民へ影響したこと、福沢諭吉の「学問のすゝめ」、明治政府による二宮尊徳の再評価などが、勤勉に働くことが暮らしを豊かにするという考えを後押ししている。
    また、戦中の「最高度の自発性」といった滅私奉公をベースとした精神主義、戦後の終身雇用、年功序列、企業内組合を通じた労働者の企業への参加意識が自発性・自主性を高めついには過労死や過労自殺までに勤勉さを先鋭化したと言うことらしい。
    著者は最後になぜ怠惰ではいけないのかと反問しているが、周りを見る限り既にそれほど勤勉な人がいるようには思えないのは気のせいだろうか。どちらかと言えばいい加減な人が多くなりまわりに迷惑をかけることが多くなっているのではないだろうか。少々疑問を感じた。

  • ◆日本人の「勤勉」という価値観の源流をたどり、その帰結として人びとが「自発的に」「勤勉であること」を強いられている(自発的隷従)現代に至る過程を論じている本です。そこには、思想、為政、企業、さまざまな立場から勤勉であることが価値観として求められ、そのなかでつねに変容してゆく人びとの様子が描かれています。

    ◆「勤勉」ってどこから来た考え方なのか。ましてそれが死に至るほどに強固な価値観となったのはどのようにしてなのか。思想の歴史という面から「働きすぎ」に迫っています。(ですが個人的には、ウェーバーを持ち出す必要があるのか……という感じは否めません)

  • 過労死に至る日本人の「勤勉性」のルーツを分析するもの。
    江戸中期の浄土真宗本願寺派の教義の中に、「勤労のエートス(社会の倫理的雰囲気)」が生まれ、全国に徐々に拡大していく。
    その後、明治維新後の新政府が、欧化政策を進める一方、日本のアイデンティティを守るため、国家の基軸として、皇室を据え、その模範的人物として、二宮尊徳の孝行、勤勉、を再評価し、修身の教科書に採用することとした。
    このため、急速に日本人は勤勉化していくこととなり、勤勉的な人の人数が怠惰的な人の人数を上回ることとなった。
    その後、第二次世界大戦の敗戦後に広まった自由主義・民主主義が、日本人の勤勉性と結びつくことにより、参加意識を高め、自発的に働くことを「働きがい」と感じ、より一層勤勉な労働者が増加してきた。
    ここまでは、真の自発的な勤勉であると言える。
    しかしながら、昭和40年代以降、年功序列型の賃金体系を見直すために、導入された「能力主義」が、「意欲」や「やる気」も考慮要素とする「日本型能力主義」の導入により、その様相は一変する。
    業績、能力だけではなく、「意欲」「やる気」も評価項目とされるため、自発的であることを装う必要が生まれる。すなわち、自発的隷従である。
    政治学者の渡辺治氏の言葉を引用しているが、「労働者は外的強制のもとでは、過労死になるまで働くことはない。過労死が社会問題化するのは、労働者が層として企業のために外見的には自発的に忠誠を尽くす構造があるからである。」
    本書は、具体的な解決策は提示していないものの、歴史的な流れを踏まえて分析しており、非常に興味深かった。

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著者プロフィール

1949年、東京生まれ。ノンフィクションライター、在野史家。主な著書に、『史疑 幻の家康論』『異端の民俗学』『知られざる福沢諭吉』『サンカと三角寛』『日本人は本当に無宗教なのか』『独学文章術』など。

「2022年 『村八分』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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