教育現場は困ってる:薄っぺらな大人をつくる実学志向 (平凡社新書)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582859430

作品紹介・あらすじ

いま、学校の授業が実用化とディズニーランド化に向かっている。だが、きちんと知識を吸収し、深い学習を促さなければ、AI時代には生き残れない! 学校教育のあり方に警鐘を鳴らす。

感想・レビュー・書評

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  • 内容には完全同意。自明のことだと思いつつも、他のレビューや現場の声を聞いていると著者のように思っていない人は多い。

  • とても分かり易く、私自身にも実感のある話が多数ありました。同じことが繰り返されるのが少しくどいところですが…。教育に携わる者は、その立場(小中学、高校、専門学校、大学など)の違いに関わらず、一読することをお勧めします。

  • 著者の言いたいことはよくわかる。よくわかるけど、著者の理想の教育は著者の本を理解できるくらいの学力がある人にしか通用しないような。これだから大学の先生は。

  • Kindleで電子書籍を読んだ。
    榎本博明氏の主張は、私の考えに近いことが多い。
    したがって、榎本氏の著書は私自身の考えを補強するために読むことが多く、本書もその趣旨で読んだ。
    2000年にノーベル賞を受賞したジェームズ・ヘックマンは就学前教育で大事なのは非認知能力であることを明らかにした。
    非認知能力とは、
    ・我慢する力
    ・動機付ける力
    ・展望を持つ力
    ・自分を信じる力
    ・他者を理解する力
    ・衝動をコントロールする力
    などのことであり、それらは「忍耐力」や「克己心」といった日本の教育で重視されてきたものであると指摘する。
    さらに、本書で特筆すべきは、
    ①アクティブラーニングの否定
    ②キャリア教育の否定
    の2点である。

    ①アクティブラーニングの否定
    勉強の本質は孤独の中で思考するところにあり、わきあいあいと仲間と語り合うところにあるのではない。もちろん、友人との価値的な対話が学習意欲につながったり、コミュニケーション能力の向上につながることはあるだろう。
    しかし、勉強をしていなければ、友人との価値的な対話そのものが成り立たない。一方的に話を聞くだけなら、授業を受けるのと同じでありもはやアクティブラーニングではない。
    さらに、アクティブかどうか、つまり学習意欲がアクティブかどうかは、精神的な問題であり、友人と語らうかどうかという行動とは無関係である。
    教師・講師の一方的な講義であっても精神がアクティブであれば、つまり学習意欲が高ければ、それがアクティブラーニングである。

    ②キャリア教育の否定
    激動の時代に中学生が職業体験をすることに、どれほどの意味があるのか、どれほどの価値があるのか不明である。
    キャリア心理学では、
    ・クランボルツの「計画された偶発性理論」
    ・ジェラットの「積極的不確実性理論」
    ・ブライトとプライヤーの「キャリアのカオス理論」
    など、不確実性を折り込む必要性が強調されている。
    さらに、「好きなことを仕事にしよう」というアプローチを榎本は否定する。好きなことが明確で、その道で生きていくと決められる若者はそれでいい。
    しかし、好きなことが分からない若者も少なくない。否、「好きなことがあっても、それが仕事にならない」のが普通だから、「仕事になるような好きなこと」は容易に見つからないものなのだ。
    立川志の輔は大学では落語研究会に入っていたが、広告代理店に就職する。しかし、落語への思い止みがたく、30歳のときに立川談志に弟子入りする。
    「好きなこと」とはどうしても抑え切れない衝動であり、探して見つかるような代物ではない。
    目の前の仕事を一生懸命やって、それが好きになれたらそれで良いのだ。目の前の仕事を一生懸命やっても、他に好きなことが出てきたら、そちらに行ったって構わない。
    「好きなことを仕事にすれば苦労少なく人生を送れる」という発想では、好きなことを仕事にすることも、仕事を好きになることも難しいのではないか。
    なぜなら、苦労を乗り越える充実が真の「楽しさ」だから。人生の充実とは「成長」のことだから。
    人生の幸福は「成長率で決まる」から。

  • 教育のあり方は子どもたちの人生を左右する。ゆえに、安易な教育改革は避けるべき。実用性重視の改革に疑問を提起し、より良い教育の方向性を探る書籍。

    小学校では、英会話を中心にした英語の授業が行われている。調査によると、その時間を楽しいという子どもたちは多いが、これを根拠に英語教育を推進するのは危険だ。最近、「楽しいかどうか」にとらわれすぎる風潮が強まっている。

    今日、知識偏重の教育からの脱却が唱えられ、英語教育は読解・文法中心から会話中心へと転換した。だが、言い回しや発音のハウツーを習うばかりでは国語力や思考力が向上せず、子どもたちの英語の学力は一貫して低下している。

    近年、主体的な学びが大切だとして、グループ活動などを行うアクティブ・ラーニングが推奨され、授業に取り入れられている。しかし本来、主体的な学びとは、授業外の学習活動などによって行われるものであり、強制されるものではない。

    脱・知識偏重教育の一環として、学校では、思考力と知識を分けて学習評価をするようになった。だが、正答に至る思考は、それに関する知識があって初めて可能になるものだ。知識と思考を分けて評価するのは至難の業である。

    最近の教育界はアメリカの教育を模倣しているが、自分に自信を持つことを重視するアメリカと、協調性を重視する日本では、目指す人間形成の方向性が異なる。教育の方向性を模索する際は、自国の文化的伝統を考慮すべきである。

    日本の教育改革は、実学を重視する方向に向かっている。だが、プレゼンや討論などの実用的なスキルを身につけても、知識や教養、深く考える習慣を身につけさせることができなければ、薄っぺらいのに自信満々な人間を生み出すだけだ。

  • 今起きている新教育課程へのもやもやをわかりやすく言葉にした本。

    実学自体は決して悪いものではない。
    だけど、なんでもすぐに役立つものばかりを求めたり、
    短絡的な楽しさだけを求めたり、
    それだけでは人間は成長できないとも感じた。

    現場はほんとに困っている。
    楽しいことしかしたくなくてベラベラ話す子どもとか、
    この勉強はなんの役に立つのかと聞かれることもあるし、
    小学生レベルのことがわかっていない子どももいる。
    言葉が通じていないって感じることが増えた。

    国語の話が多くてありがたかった。
    新しい教育課程になることで、スピーチやプレゼン、実用文の読解をする時間が増えて、
    文学や古典をやる時間は減ることになる。

    私自身は、文学や詩といった文芸の力を信じていて、
    それは答えのない問いを考える機会になるからなんだけど、
    もはや高校生の中で、『山月記』とか、『こころ』とか、『源氏物語』とか、過去の素晴らしい作品を読む機会は絶たれてしまうかもしれないなと思う。

    たしかに高校生たちがその先の将来使いようが無い知識かもしれないけれど、
    役に立つことしか知らない人たちが、
    その場その場のことしかできないで、
    文化はどう深まるのだろう。
    テクノロジーが進化していったときに、
    中身のない人たちがモノに使われてしまうだけじゃないのか。

    私自身も現場でアクティブラーニングもするし、楽しい授業を心がけているけれど、やはり力を伸ばせるのは厳しい状況でも、壁を乗り越えられる力のある生徒だと思う。
    グループ学習やプレゼンは、アウトプットをさせることで、一人ひとりの力を伸ばすことのできる活動ではある。
    でも、中身のない生徒が何をアウトプットするんだろう。
    話し合いが深まり、面白い意見が出るのは、成績の高い子だったり、美術や科学など、何かに秀でた子だったりする。

    アクティブラーニングだけでは子どもは育たない。
    今の子どもに必要なのは厳しい中でもやり切る力だと思う。
    それが本書でも触れられている非認知能力ということなんだろう。

    知識と思考力の間をとった改革と言いつつも、実はどちらにも向いていなくて、コミュニケーション至上主義になってしまっただけだったのかも。

    来年度から新しいカリキュラムが始まるけれど、不安しかない。
    教育って、誰しもが受けるものなので、今起こっていることを批判的な立場で書いた本として、いろいろな人に読んでほしい。

  • 現場が困っているというより著者は怒っているか。大きな社会動向の前に一個人が抗うことはほとんどできない。理念は良いが実行段階で組織的にできるだけ公平に誰もが扱えるようにと具体策に落とし込むと理念と裏腹な結果になることも多い。子ども(~大学生)は自ら現在の教育制度を選べない。全て,大人が敷いた制度である。子どもが危機的であるならば,それは大人の責任であろう。教育を任せてしまうことのメリットとリスク,そこにどう関与するか。そのうち,子ども(未来の大人)から大人が「俺たちを低能力にしやがって」訴えられる日が来るかも。そんなことも思わない考えない状態かもしれない。そうすると危機的な状況に気づいた個人の力が意味を持つ。自立の気概だ。

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著者プロフィール

榎本 博明(えのもと・ひろあき):1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業。東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。心理学博士。川村短期大学講師、 カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、現在MP人間科学研究所代表。産業能率大学兼任講師。著書に『〈自分らしさ〉って何だろう?』『「対人不安」って何だろう?』『「さみしさ」の力』(ちくまプリマ―新書)など。

「2023年 『勉強ができる子は何が違うのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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