- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584125977
作品紹介・あらすじ
「情報化社会である。多くの人々が最先端の情報を貪欲に追い求めている。会社や学校、町内会などで世間並みの会話についていければいいと、テレビを見たり、新聞、雑誌、本を読む人が多い。しかし、その情報は本当に必要なんでしょうか?
新聞や雑誌を隅々まで読み、世の中に目を配ったつもりになるのはいいことなのか。旧メディアをバカにして、ネットの優位を説き、ピンポイントで必要な情報を集めることがすぐれているのか。不治の病を宣告され、いよいよ明日死ぬといったときに、芸能人の不倫に関する情報は、人生を振り返る時に役に立つのか。いや、役に立つという表現自体がおかしいのだ。
人間はどうせ死ぬし、国も社会もいずれは滅びる。それでも人は本を読む。なにかに役立てるためではない。自分の魂のために読むのである。本書では、厳選した本をいかにゆっくりと読むかについて述べている。
これはきちんとしたレストランで、時間をかけて食事を楽しむのと同じこと。速読は早食いのようなものだ。価値のある本に書かれているのは、単なる情報ではない。時間をかけて向き合う、まさにその時間にこそ、意味がある。一流のレストランに大金を払って「栄養」を求めるバカはいない。そのレストランが提供する技術と、そこに自分の魂が接近する、その「時間」を費やすことに価値があるのだ。
まさに、本を読むということは、過去に存在した偉大なレストランで食事をするようなものだ。「人生の伴走となる本」はそうあるべきなのだ。
著者は世の中の「情報収集のための読書術や速読術」、また「教養を知識と同等に扱った読書論」を真っ向からぶった斬り、読書の本質をわかりやすく説いた書。
感想・レビュー・書評
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●世の中に「正解」が存在するなら、それを効率よく、短期間で、手に入れようという発想になる。
●料理と同じで、きちんとしたものはゆっくり味わなければ意味がありません。
●わかりやすいものを求めるのは、根底に「物事はわかりやすく説明できるはずだ」と言う妄想がある。これが思考停止の土壌となっています。
● 1番大事なのは著者の思考回路を追体験すると言うこと。
●濫読反対派の急先鋒はショーペンハウエルでしょう。濫読は人間をダメにすると言っています。しかし、三木清は「それは老人の教訓」であると言う。その教えに従うのは若者らしくない。小林秀雄は、濫読賛成派ではあるが、「最初の技術」と限定しているのがポイントである。
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僕も本はゆっくり読んだ方が良いと思う。特に世界文学全集を読もうという所が肝ではないでしょうか?良い本だと思う。
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速読ばかりが持て囃されている気がしているこの世の中だからこそこの題に惹かれて読んでみた
結果自分の判断基準が良くも悪くもブレたし憤りを覚えつつカタルシスも感じ、共感もした
どんな著名な本であっても全面的に著者に同意する必要もなければ反発する必要もないと私は常日頃から考えているつもりだ
ただ著者が言う
"くだらない何か"と言うものにある程度価値を見出だしている人間が少なくともいる世界社会に対してくだらないと一蹴するスタンスに触れると
それを本当に精魂込めて苦労して作り上げている人もいるわけでその生みの苦しみを何ら知らない人間に易々と世界を語れるほど世界は小さくないと思う たぶん…
と言う自分も何者かと言う不遜と傲慢に満ち溢れてる気がして辟易するが…
JPOPに毒されて悲しい気分になるくせ汚染されていると毒づく
薬と毒はそもそも紙一重
私には著者がある意味傲慢で不遜な人物にも思えてしまったし
内容で私の感情が複雑怪奇でわだかまりがシコリが残った一冊でした -
自分のスタイルに自信を持ち、その良さを繰り返し述べるけど、何か押しつけがましさがない。読者を変えようとは思わない、良いものは良いのだ。と少し読者と距離感をとっているような感じがある。こちらの世界に来たい者だけが来ればいいのだ、と言っているかのようだ。著者のクセも強いのだけれど、そこにいくらかの心地よさを感じた。
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面白くて一気に読み終わってすぐに2回目を読み始めた。まず見開きから→「自分を救えるのは自分ではないと気づくことだ。自分の力などたかが知れていると思い知ることだ。」と自己啓発本の類なら大概「自分を救うのは自分しかいない」と書かれていそうだが、その逆を突かれ「ん?」となる。確かに我々現代人はマスコミや広告代理店のプロパカンダに毒されているとはよく言われる話ではあるが、では具体的にどう毒されているのかまでは深く考えない。何となく→「情報」を集めれば「正解」に辿り着くと信じているバカが多いのである。ではどうすれば良いか?それが適菜氏が昔から言っている「古典に還れ」「古典をあたれ」ということだ→「大事なことは、真っ当な世界に連なる意思をもつこと」だ。バカとは価値判断ができないとある。今まで生きてきてある程度こんなものかと高を括ってしまいがちだが実はこれまでの生き方は自分や親やその他の影響を受けて我流で考えた一面的な生き方である。その一面的な生き方をせず→世界が環境との関係性であるとするならば本を読むことでほとんど人生は変わる。と。それを期待する→「とりかえしのつかない人」とは近代大衆社会において、正気を失い時代に流されるしかなくなった人。である。偉大なものに常に立ち返る。偉大なものに敬意を示すことが大切。また引用の中で三島由紀夫は→一流の文学は読者に媚びるのではなく「ノウ」を突きつける。自分を否定し自分より大きいものを受け入れる姿勢。また鹿島茂は→読書の効能とは「事後的」にしか確認出来ないことにある。言い換えると事後的であるから、これから人生を始める若者に読書した方がいいよと「事前的」にはいえない/これは多くの先人たちの後輩への助言にもあてはまることだ。後輩たちは未だそれを、経験していないから事後的に言われてもピンとくるわけがない。こうして時間がたち後輩だった人間が先輩になり初めて理解し後輩たちに教えてあげようと「事前的」に助言をするのだ。だが後輩はピンと来ない。なぜならば後輩にとってはまだそれは未経験の事前的な助言だからだ。という連鎖が延々繰り返される。だから「とにかく読め」「黙って読め」しか具体的なアドバイスはしようがない。はほんと納得。ショウペンハウエル「読書について」より→読書の本質は、もっと危険なもの、読者に反省を迫る、迷妄の中で暮らしている、深く病んでいる、精神の奴隷であるという事実を直視し真っ当な世界につながる努力をする。未来や過去といった長いスパンを基準にして現在を考える。世論に流されるのではなく、人類が維持してきた正気について考える。その為の読書。今まで読んできたひたすら数を積み上げるのとは違う読書の方法もそろそろ取り入れる時期に来ているのかも知れない。特に今読んでる「ゲーテとの対話」(エッカーマン)は本当に多くの著名な人が勧めている本だと知り、また日を置いて改めて読み直そうと思った。気になるところに線を引き抜き出して資料として持ち歩き事あるごとに見返して自分に浸透させるというのはいいアイデア。もう「読んだけど全然覚えていない」はいい加減卒業したい。いつかこのやり方をやってみたい。齢40を超えてもう「とりかえし」はつかないのかも知れないが、だったら言い訳をせずにやってみるべき。との言葉を信じてやってみよう。事後的にしか分からないのならとにかく黙って読むしかなかろう。
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速読が流行る世相の中、もっと大切なもの、特に古典として時間の試練に耐えてきた作品に接しましょうというのはよくわかる話。そうでないものを、あまりにも一刀両断にするので、ちょっと苦笑したけど。『ニーチェとの対話』とか、本書を読んで、「あ、俺も読んでみようかな」という本を知ることができた。だから、じゅうぶん楽しく読んだと思うんだけどさ。微妙に斜に構えてしまうのは、今の世相をスパっと斬る返す刀で、表紙のイラストが別のものに迎合しているように見えちゃうことによるんだろうなぁ(苦笑)。
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表紙のイラストは内容と全く関係ありません。
スタバで読んでいたので誤解を受けたかも!?
近年、本を沢山読むことや速読などがポジティブに受け取られていますが、この本を読んで、その危うさと勿体なさに気づくことができました。著者は口が悪いのですが、とても全うなことを言っており、納得しながら読み進めました。一言で書くと「古典を読みなさい」です。そして駄本を読むのは貴重な時間の無駄など、本のセレクトに留まらず、生き方や時間の使い方までが熱く記されています。まずはゲーテを読もうと決心してしまいました(^^; -
正しい?思想を得る上で、古典から先人の考えを得ることの重要性を説く本だと解釈しました。そのため、例えば何かを売ったりする上で顧客がどういったものに共感しているかを調べる場合とは、大きく目的が異なるので、その前提を理解した上で読むべきだと感じました。
何かと軽蔑した感じの言い回しは正直好きでは無いですが、古典自体は面白そうなので、読んでみようと思いました。 -
情報の洪水の中で安易に答えを得ようすることなく、古典を読むことの勧め。人間の悩みは、今も昔も変わらない。同じことを過去の偉大な人々が悩み、考え、そして作品に残している。それを読み、謙虚に考えることでしか答えに近づく道はない。ゲーテ、ルソー、三島由紀夫、小林秀雄などの読書論を紹介しながら主張されていることには大いに共感できました。ただ、読書をしない人や、大衆迎合的な発想をする人への痛烈な批判が多く、なにもそこまで言わなくても、、、とも感じたりして。。あと、なんなのでしょう、この表紙?全く内容と合ってない。(あえて、上記のような人へ挑戦、挑発しているのだろうか?)
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古典名著をじっくりと時間をかけて読むことを説いた本。
濫読や速読が悪いわけではありませんが、そればかりでは本から得られる知識をうまく吸収することはできません。古典名著をじっくりと時間をかけて読む。遅読も行うことで知の遺産を自分の人生に生かすことができる。そのことを本書は説いています。
著者の文体は辛辣なので、読む人を選ぶ本だと思います。