- Amazon.co.jp ・本 (153ページ)
- / ISBN・EAN: 9784588001789
作品紹介・あらすじ
アウシュヴィッツ体験をふまえて主体と他者との関係を極限まで追究し,〈時間〉を介して〈存在〉からの脱出の途を探る。倫理に基づく独自の哲学の全容を示す論考。
感想・レビュー・書評
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哲学書。
レヴィナスの著書。
以下抜き書き。
われわれは他者たちと共にある。
このような関係はすべて、他動詞的である。
まさに私の実存することこそが、
絶対的に自動詞的な要素を、
つまり、志向性や関係性をもたない何ものかを
構成するのである。
存在するということは、
〈実存すること〉によって
孤立することである。
私には戸口も窓もない。
あらゆるものを想像のうえで
一掃した後に残るのは、
イリヤ(ある)という事実である。
〈実存すること〉は、
まさに一切の自己の不在なのだ。
イリヤは、そこで位相転換(品詞転換)が
生じる場なのである。
存在は不快である。
それは際限がないからだ。
意識とは
イリヤという匿名的な覚醒状態の中断だ。
実存者の出現は、
〈実存すること〉のうちに、
支配を、そして、自由を設立すること
そのものなのである。
位相転換という出来事、
それは現在なるものである。
最初の自由。
それは始まりの自由である。
自己同一性とは
単に自己からの出発ということだけではなく、
それはまた自己への回帰でもあるのだ。
現在は、無限の〈実存すること〉の網目を
引き裂いたのである。
孤独が悲劇的なものであるのは、
自己同一性という拘束状態のうちに
閉じ込められているからである。
苦悩とは、
存在に直接さらされている
という事実なのだ。
苦悩とは、
無の不可能性ということなのである。
死は、
主体がそれとの関係で
もはや主体とはならないような
出来事を告知しているのである。
私の孤独は、
死によって断ち切られるのだ。
未来とは、他者なのだ。
性愛の悲劇は、
二人で在るという事実のうちにある。
愛には、理由はない。
父たることとは、
異邦人との関係である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難しい本に手を出してしまった。正直言って理解できない部分が多く、自分のリーディング・リテラシーの拙さが露呈するが、同じページを何度も反芻しつつ、地道に読んでみる。
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めっちゃくちゃ難解で吹いた。あと文が回りくどすぎる。というわけで何を言ってるかさっぱりわからなかった。「位相転換」ってなに?「光」ってなに?
レヴィナスに手を出すのは10年早かった。もっと勉強して出直してきます。 -
レヴィナス最初の一冊