- Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
- / ISBN・EAN: 9784593533817
作品紹介・あらすじ
孤児となったイギリスの少年ジェスティンは、ヴァイキングにさらわれ、奴隷として売られた。ある事件をきっかけに、自分の主人と兄弟の誓いをする。そのことからジェスティンは、ヴァイキング同士のすさまじい復讐の戦いに巻きこまれてしまうことになった。アイルランド、ユトランド半島、ロシア、黒海、そしてビザンティン帝国の都コンスタンティノープルへとつづく、思いもかけない冒険の旅がはじまったのだ…。十世紀のヨーロッパを舞台に、自分と自分の居場所を求めて悩む若者の成長を描く、サトクリフの歴史ファンタジー。
感想・レビュー・書評
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ローズマリー・サトクリフは硬質な文体の中に、ロマンチックで匂い立つような風景描写が際立って美しい。
主人公はイギリス出身ながら、ヴァイキングの戦士と義兄弟の契りを交わし、義兄弟のための復讐に人生を囚われる。
結末でで仇を前にして下した決断が良かった。
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幼い時からアウトサイダーとして育ったジャスティンが、様々な出来事の中で自分の核となるものを選び取り、築きあげていく話。
親友、馬、犬など、サトクリフ作品定番のエピソードが盛り込まれ、デジャヴ感がある。
馬と犬が作品によく登場するのは、サトクリフ自体の好みか、読者(イギリス人)を意識してのことか? -
10世紀末~11世紀のヨーロッパ。
イギリス人の少年ジェスティンは、ヴァイキングの襲撃により奴隷となる。ヴァイキングのトーモッドに買われた彼は、トーモッドとの間に友情を培い、義兄弟となる。やがてトーモッドの「血の復讐」に巻き込まれ、宿敵を追う旅に出る。ジェスティンたちはキエフからコンスタンティノープル(ミクラガルド)に向かい、東ローマ皇帝バシレイオス2世のヴァリャーギ親衛隊の一員となる。ブルガリア人との戦争、そして宿敵との対決の行方……
再読。
大変サトクリフらしい作品。歴史的な背景を踏まえたうえで重厚なドラマが描かれています。舞台設定は現代日本ではあまり馴染みのないものであるかもしれません。中世のイングランド~北欧~キエフ~ビザンツを結びつける小説は、ちょっと珍しいように思います。
原題は「Blood Feud」。約すと「血の誓い」となりますが、この原題の意味は非常に重要であるように感じました。
イギリス~コンスタンティノープルと、この時期のヨーロッパ史の広がりを感じさせる舞台設定がなされているところも興味深いところ。
ジェスティンのたどった道のりは、物理的な距離としても、精神的な意味においても、いろいろと感じるところの多いものでした。 -
サトクリフらしい話なんだろうなあ。コンスタンチノープル帝国の頃の話。おもしろかったけど、私はあまりのめりこまなかったので星3つです。
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肉親の仇は必ず倒さなければならないというヴァイキングの誓いに縛られながら、各地を彷徨する元奴隷の少年の物語。
翻訳ものは苦手なのだけれど、最近そうでもないかもと思い始めて来ました。外国の作家は、過酷な人生の試練とそれにさらされる人間を、淡々と書き進める人が多いような気がします。そういう描き方は好きです。 -
読むのは2度目でしたが、今回も最後までたっぷり楽しめました。
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これは面白かった!! この時代のことを正直なところあまりよく知っているとは言い難い KiKi にとっては目からウロコの作品でした。 こういう物語を読むとつくづく KiKi は思うのです。 ああ、KiKi が学んできた歴史って本当に「受験対策のための歴史だけ」だったんだなぁ・・・・ってね。 物語は主人公ジェスティンの回想という形で語られていて、ところどころ記憶が曖昧になったりぼやけたりしちゃっているがゆえに「え~! そんな、期待だけさせてぇ!! もっと深堀りして、語っちゃって~!!」ってなことを感じちゃう部分もなかったわけじゃないんだけど、この時代のヨーロッパ全体の状況が俯瞰できる作品だったと思います。 と同時に極東の島国に暮らし、メルカトル図法で描かれた地図が強烈に頭にインプットされている KiKi にはしっくりイメージできていたとは言い難い、アイルランド、ユトランド半島、ロシア、黒海、ビザンティン帝国の位置関係も、かなりくっきりとイメージし直すことができた作品となりました。
(全文はブログにて) -
P10 なぜほかでもないあの夕方なのかわからない。ただあの夕方、わたしははじめて気づいたのだ。わたしに話しかけるのに使うことばを、母はほかのだれにも使わない。そして村のだれひとり、そのことばを使っていないことに。何年ものあいだ、これは母がわたしにだけ話すないしょのことばなんだ、母がわたしを愛してくれているあかしなんだ、と考えていた。そのうちそのことばがサクソン語だとわかった。なぜ母がわたしにだけそのことばを使ったのか、いまでもそれはわからない。もしかしたらあれは、母が暮らしていた世界や、母とおあなじ血が流れている人びととのあいだに最後に残された絆のようなものだったのかもしれない。あとになってみると、これがたいへん役に立った。おとなになってからはずっと、両方のことばが必要になったし、三つめのことばを覚えなければならなくなったときにも、ひとつのことばだけで育った子供たちよりもらくに覚えられたように思う。
P295もうひとつべつの勉強にも励んでいた。-医術のためにぜひ必要な勉強だった。アレクシアからギリシア語の読み書きを教わっていたのだ。以前にわずかばかり学んだことがある文字とは形からしてまったくちがうギリシア語で。アラブの医師フナイン・イビン・イーサークの著作や、ラーゼスの医学全書の翻訳書を読んだ。いまでも重要な医学書のほとんどがアラビア語かペルシア語からの翻訳だというのは悲しいことだ。また、アレクシアの父親の蔵書から、医学の知識とも実践ともかかわりのない、たとえばはるか昔の詩人ホメロスの作品をただ楽しみのために選んで読んだ。
P46 半分アイルランド人半分ヴァイキングの町ダブリンが。わたしにもいくらかわかってきた。ブリトン語話したので、アイルランド人のいうことは曲がりなりにもわかったし、こちらのいいたいこともなんとか通じさせられた。おかげでトーモッドも仲間たちもどこかへ出かけるときはわたしを連れ歩くようになった。