福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと

著者 :
  • みすず書房
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感想 : 47
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  • Amazon.co.jp ・本 (114ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622076445

感想・レビュー・書評

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  • 大学1年のときに学科の学年縦断旅行で高速増殖炉もんじゅに見学に行ったことがある。言うまでもなくそこでは夢の技術としてそのすばらしさを強調されたわけなのだが(ただし、そこに辿りつくまでのバスの車中で、学科の教授によって高速増殖炉をとりまく世界の現状と、原子力政策が以下にうさんくさいかが散々語られた後で、である)、商業利用がコストやリスクにまるで見合わないのは明らかなので、なぜそこまで固執するのか全く理解できなかった。答えは、この本の最初の章にあった。というわけで引用その1。

    http://booklog.jp/quote/129800

    今年の広島の式典のときに、脱原水爆とともに脱原発も、という動きがあったけど、僕はそれに違和感を感じた。しかし、その動きを起こしていた人が意図していたのかどうかは分からないけれど、それは正しかったのだ。

    たぶん、著者の主張は、もうこの章で尽きている。あとの2章は彼らしい詳細な分析で、この主張を裏付けようとするのだろう。そう期待しながら第1章まで読んだところ。
    (2011.10.17)


    僕は物理学科で原子核物理を専攻する大学4年生だけど、3.11以来顕在化した原子力をめぐる問題についてほとんど何もしてこなかった。多少考えることはしていても、何か発言する勇気はない。

    そんな僕が、大学院入試が片づいたら読もうと決めていたのがこの本だった。最初はどのような内容なのか知らず、みすずの出版ダイジェストを見て驚いた。ずいぶん思いきったことを書いていると思った。でも、実際に読んでみると、ちゃんと納得できた。

    この本などを読んでも、現在の原子力政策は非人道的なものであることは疑いないので、間違いなく改めるべきものと思う。その上で原子力を捨てるべきかどうかは、僕にはわからない。とはいえ、少なくとも現時点では、原発を動かしていること自体が間違っていると言えるのですべて止めたほうがいいと思うし、そうなると再開するのは現実的ではないかもしれない。

    それにしても、なんだか原発関連以外でもブルーにさせられる本だった。第3章とかは必要なのかなという感じはしないでもないが勉強にはなった。
    (2011.10.20)

    関連リンク
    山本義隆
    http://booklog.jp/users/pn11/All?display=front&tag=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E9%9A%86

  • 原発がなぜここまで推進されてきたのか。不安視する声が聞こえてこなかったのか。そんなことが分かる内容です。結果として誰にも止められなくなってしまっていると感じます。

  • 教員からのリクエスト。

  • 全共闘以来、発言を謹んできた山本先生。この福島の事故は、ポリシーを曲げても、メッセージを残したかったと思いました。

  • かっては日本物理学会を100年推し進める才能と期待され、現在は科学史著述家として活躍されている山本義隆さんの書下ろしです。
    戦後、アメリカで提唱された「原子力の平和利用」を、当時の総理だった岸信介が、日本で国策として始めたのは、必ずしも将来の電気需要を見込んでの判断ではなく、核兵器保有国としての将来性を考えてのことでした。やがて、国策は、国是となり、政治家、官僚、学者、企業が一体となり原発プロジェクトが、推し進められました。
    国是は、決して過ちを犯さないはずのものです。最先端の科学技術が集約されているはずの原発への、科学的な批判や検証が省みられることはありませんでした。多くの専門家の発言がそれを証言しています。
    ルネサンス以降の自然を凌駕する人間の技術革新を良しとし、今後も進むのか。技術では制御できないものがあることを認め、謙虚に新たな道を模索するのか。私たちは選ばなければなりません。

  • 科学史に精通した著者によると、原爆製造から派生した原発技術は、核分裂という物理学理論から生み出された科学技術であり、それまでの経験主義的な技術先行で、理論が追いついてきた事例と異なっていると述べている。このような原発技術は未だ未完成であり、数万年にわたって管理が必要な放射性廃棄物の問題など、人間の感覚や想像を超える制御不可能なものと主張する。人間の能力を超えるものが存在するという認識は大事であると思った。裏表紙に記された一文には、日本の原子力ムラについての状況がシンプルに(一文としては長いが)的確に表されている。

  • 日本での核開発原発の歴史から判りやすい言葉で書かれています。
    アイゼンハワーの核の平和利用から日本の核武装を警戒しながら米国の核戦略に取り込んで原発を売り込んで行く。
    原発ファシズムとして大資本と一体化した政府と大学や研究機関の原発ありきから始まる硬直化した姿勢、その中で事故は必然として起こりそれを解決する方策もなく場当たりで処理するしかない原子力共同体原発村。
    張るか昔に聞いた山本義隆さんの党派等の学生とは違う平坦な言葉で訴えかけるアジ演説を思い出してきました。

  • アルファブロガー池田信夫氏が「残念ながら読んではいけない本になってしまった、、、」と書かれていたので、政治的なことで山本先生もつい力が入って過激で刺激的な文になってしまったか、と思っていた。
    が、池田氏が駄目出ししていた「正気で書いているのかどうか疑わしい。」という表現。苦笑を誘うような部分である。決して池田氏がいうように他者を罵倒したものではない。
    読むべき本である。
    ちなみに苦笑を誘う表現とは「処分場閉鎖後、数万年以上というこれまでにない・・・したがって、・・・各地方自治体や国民に広く理解、協力を得る必要があり・・・」という原発推進者の一文である。数万年・・・。苦笑せずにはいられないだろう。西堀栄三郎氏が技術者倫理を説いた「技士道十五ヶ条」の十四・「技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。」を捧げたい。1985年の言葉である。

  • 間違いなく慧眼である。著者は、長い間政治に関わりそうな問題については頑固に沈黙を守ってきた。それだけに深く考え抜いた結論であると思う。
    しかし、惜しむらくは、こうした本にするには、与えられた情報量があまりに少ないのでは無かろうか。原子力村だって一枚岩と推断できない様々な考え方があるに違いない。もう少し丁寧にそうした部分が拾えたらなあと無い物ねだりをしてみたくなる。
    このタイミングでこのたぐいの本を出すとすれば仕方ないのかもしれないが。

  •  著者があとがきで断わっているとおり、とくに新しいことが書かれているわけではないのかもしれない。しかし、これまで「進歩」の名のもとで語られてきた自然支配へとシフトした科学技術の進展と、それに乗じた軍事技術の開発と一体で、かつ利潤のために不正と不公正を生まずにはおかない資本主義の発展との延長線上で、福島の「事故」が起こるべくして起きたことをこれほど明晰に見通させてくれる書物に出会ったのは、これが初めてである。著者が専門とする16世紀に、知と技術が自然の模倣から、自然の支配へと移行したこと、そしてその頃にはまだあった自然への畏敬がその後失われていったことから、科学主義的な幻想が生まれ、そして科学技術がとくに20世紀の大不況を契機として、国家に取り込まれ、その軍備拡張に寄与することになったことの延長線上に、現在の「原子力ムラ」の「原発ファシズム」とそれがでっち上げた「安全神話」があることが、簡潔ながらもしっかりとたどられている。また、原子爆弾をマンハッタン計画の延長線上に、「原子力の平和利用」があり、それはさらにニュー・ディールを背景としていることや、並行して日本では、戦前は岸信介が指導し、今日の経済産業省に連なっていく、国家資本主義による軍需産業の発展があったことも歴史的に描かれている。ちなみに、岸信介は戦後、核技術の導入に奔走し、その際核武装による「国力」の誇示をつねに夢見ていたとか。とくに日本の戦後に、「進歩」、「成長」、そして「復興」と語られてきたことが、何に由来し、何に行き着くものであったかはもはや明らかだろう。なお、科学史研究の立場から、現在の「原子力技術」が技術的にも欠陥だらけであることも、丁寧に綴られている。近代の歴史を踏まえて核を乗り越える見通しを開くうえで、貴重な足がかりとなる一冊と言えよう。

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著者プロフィール

山本義隆(やまもと・よしたか)
1941年、大阪府生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。科学史家、駿台予備学校物理科講師。元東大闘争全学共闘会議代表。

「2022年 『演習詳解 力学 [第2版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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