70歳の日記

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622078623

作品紹介・あらすじ

アメリカの詩人・小説家、サートンの58歳の作品『独り居の日記』は、日本でたくさんの読者を得た。その後サートンはさらに北へ、カナダと国境を接するメイン州の雪深い海辺に引っ越す。この地でペットの犬と猫と暮らしながら、ようやく、世間から冷遇されていた長い時期を抜け、この日記の執筆にいたった。
サートンという「独り居中毒患者」は、かけがえのない友人・気骨ある隣人とのつきあいをなにより大切にする。それでいて、外では「他人を意識しすぎて感覚が鈍」り、独りの時間――ものを書き、考え、庭仕事に打ちこむ時間――を恋い焦がれることになる。疲れてパニックになるかと思うと、「鬱の波に足をすくわれそうな」とき、早朝に眺めたどこまでも穏やかな海に、突然涙があふれる、という感受性の持ち主だ。
この年、サートンは最愛の恋人だったジュディの老いと死に直面した。自分に残された時間も少なそうだ。故郷ベルギーから切り離された孤独感も深い。そして考えた――年をとらない秘訣は何か?たぶん、何かに深くかかわり、こだわりをもつこと。エネルギーは要るけれど。
詩の朗読旅行、読者との交流も頻繁にあり、前向きに生きる濃密な1年。それを率直につづる瑞々しさは、きっと読者を魅了し、勇気づけるだろう。

感想・レビュー・書評

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  • 上野千鶴子「年をとることはすばらしいこと。おひとりさまを貫いた女性作家の『70歳の日記』」 連載:50歳からの読書案内|教養|婦人公論.jp
    https://fujinkoron.jp/articles/-/7634

    メイ・サートン「70歳の日記」書評 「自分らしく」と願う切実な声|好書好日
    https://book.asahi.com/article/11591204

    70歳の日記 | みすず書房
    https://www.msz.co.jp/book/detail/07862/

  • 1ページ目、開いてサートンの笑顔!
    いままでの日記(特に直前の「回復まで」)が様々なところからくる苦悩と鬱の波に翻弄されながらの独り居生活だったので、沈んだところから始まるところがあった。でも今回はどうだろう、最初の日から自信に裏打ちされた、安定した喜びがあふれている。

    「……でも私は、自分が年寄りになったとは思わない。ここまで長生きしてきたというより、まだまだ途上にあるという感じ。人がほんとうに老いるのは、先のことより過去のことばかり振り返るようになったときかもしれない。今の私は、これからのことがとても楽しみだし、いったいどんな驚きが待ち受けているかと思うとワクワクしてくる。」

    70にしてこのみなぎるエネルギー、すごい。直前に読んだ本もちょうど著者が70歳くらいの時に書かれた本だったけど、恐ろしく疲れた果てた感じがしていたが、それは強烈なほど過去に拘泥していたからなのか、と腑に落ちる。私も最近大分老いていたなあ、と反省したり。
    ようやく人気が出てきたのか、サイン会や朗読会に引っ張りだこで、ファンレターもたくさん届いて常に返事に追われている様子が綴られている。以前ほどアイデンティティがふらふらする様子もないし、パニックになったり疲れて動けなかったりという日々の精神のアップダウンはあれど、基本的に前向きな明るい意志が満ちている。その基調の上に、彼女が賛辞を惜しまない友人たちとの交流、移り変わる景色に咲き乱れる花々、生き生きと動き回る動物たちがいる。
    読んでいるこちらも、それが嬉しくてしょうがない。だって、あんなに苦しみと真正面から取っ組み合ってきたんだもの。その向かった先にこの日記があるのは、希望以外の何物でもない。
    今回も心に残る文章や引用がたくさんあって、せっせと手帳に書き写した。

    自伝こそが文学の本質?という話の時に、「実に刺激的。刺激的というのは、私はそう思わないから。」と語っていて、素敵な表現だなあと思う。でもその後に直球なのが彼女らしい。
    そう思わないな、という時って確かにさっと頭が活発になってその差異を計ろうとする。
    私は自伝ではないけどエッセイを読むのが好きで、それはまさにここで触れられているような、その人の芯が見えるような気がするからなのだ。でもサートンは小説こそがごまかしのない、自己を純化したものだ、と言っていて、それも一理あるなと思った。たぶん、両方読むべきなんだよね。簡単に他人の芯を知ることができるなんて思ったら、おごった考えだけど……。

    大好きな作家の梨木さんと通じるところを感じることは前にもあったけど、今回冒頭で「いいことも悪いことも、つらいこともうれしいことも、すべてが一枚の色鮮やかなタペストリーを織りなし、思索や成長の糧となってくれる」と言っていて、からくりからくさを思い出して勝手に嬉しかった。植物とペットに対する偏愛と言い、気が合ったろうな、とこれまた勝手に思ったりして。

  • 「それでも人は皆、大人になるためには無垢を失わなければならない。それにはつねに悲しみと、時として後悔をおもなうけれども。私たちは天使ではなく、人間になるように生まれついたのだ。」

    本をひらくと、満面の笑みのメイが迎えてくれる。日記のはじまりはメイの70歳のお誕生日。まるでパーティーに招待してもらったみたいに幸せなここちになった。四季を愉しむ、なんともかろやかな日々がつづいていて、こちらまで嬉しくなる。平穏や幸福をかんじることのできる時間が、長くなってきているみたいで。
    メイのことを知ってから、彼女の哲学や智慧を教えてもらってから、自分がばらばらになってしまうような感覚が減ってきたような気がする(ここのところ激しい出逢いはないからかもしれないけれど)。じぶんのなかでの一番落ち着くじぶんと対話し、その わたし に、幾つものわたしが集約されていっているような感覚。そう、あなたの声を聴いていればいちばんあんしん、そんなような、魔法のような。ようやく自分自身とじぶんの人生を受容し、愛しはじめているような実感が、渇いてしまっていた泉から湧いてきているよう。
    愛の触れ合い(きっと分かりやすいもの)がないと、精神的成長がおくれうる、ということを知ったけれど、諦念と執心のあわいからからのぞく幽かにやわらかい光もあるのだと、しった。
    彼女はいう、
    「一人の人間だけに深く心をとらわれるのではなくなったとき、人は智慧を──高い代償を払って──手に入れるのだ。」と。
    彼女はどこまでも あたえる ひとだ。本を書いて得たお金で、苦労している友人へ必要なものを買ってあげたり慈善施設に多額の寄付もする(ときにじぶんのものはあとまわしにしてでも)。そしてまいにち14,5通もの返信のための手紙を書き、庭仕事をし(すこしの不平と歓びをもって)、ごはんをつくり、片付けをし、仕事(創作)をする。生活と芸術をいったりきたりと忙しく。なんという70歳だろう。なんという勇気と気骨。
    「アメリカは、金持ちのための特典を増やすことばかりに力を入れ、貧乏人はますます無視される、そういう国になりつつあるように思える。」
    メイはこれからの子どもたちのための社会を危惧している。右へならえの今の日本でもまったくおなじ未来へ向かっている。犯罪もたえまなく増加しているし。
    「昔からこんなひどいことはあったのだろうか?それとも魂を無視したツケが今になって回ってきたのだろうか。」
    今日ではSNSによって可視化される事件が多いだけというのも事実だけれど、メイの言葉に深く共感する。彼女の友人には素晴らしい活動をしているひともたくさんいる。世界に人類に絶望するのはまだはやいと、教えてもらっているようだった。わたしはもっと知見をひろめなくっちゃ。"智慧ある" おばあさんになりたい。
    「今こそ子どもたちに革命について語ろう
    暴力や、テロや、解体についてではなく
    人類が長年抱いてきた希望であり、夢としての革命
    人の心に流れる川、もっとも純粋な伝統としての革命について」
    『生きている者に向かって』より

    ほんとうは60歳くらいになってから(なることがかなうなら)70歳からの4冊もある日記(うれしい!!)を読もうとおもっていたのだけれど、いったんメイからはなれることなんて無理なはなしだった。




    「思うにそれは、自分がこの歳になって、今という時を十分に生ききっているからだという気がする。将来について不安を感じることも少なくなり、愛を失うこと、仕事を完成させるための苦しみ、苦痛、死の恐怖・・・・・といったものからも、はるかに距離をおけるようになった。」

    「感情を表に出せない人たちは、なぜそれが長所であって欠点ではないと思うのだろ。なぜ私たちは一般に、開放的で人に進んで話すことより、控えめで自己抑制的なことを称賛するのだろう?自分の傷つきやすさを見せるのは、よしとされない。このこのについて、マーシーと私は同じ考えだ。二人とも、自分をさらけ出すことが危険だと思ってそうできない人、自己防衛的な生き方が染みついていて、その代償として成長できない人に苦しめられてきた。」

    「ポーリーンは「私は正しくてあなたはまちがっている」と主張することは、けっしてない。静かで瞑想的な生涯を送りながら、文学のもつ価値(今またフローベールの手紙を読んでいるの、と彼女は言っていた)を探り、他者に裁きを下すのではなく、鋭い感性をもってみずからのなかに取りこみ、共感することによって、自分が愛し、敬意を払う人びとの本質を見ぬこうとしている。」

    「でも芸術として考えたとき、いつも頭に浮かぶのは、文体(スタイル)によって伝わるのは、その人の人生観だということ。」

    「混沌(カオス)のなかから秩序を見出すことが、繰り返し必要になるのかもしれない。芸術は秩序──でもそれは、生のカオスのなかから生み出されるものだから。」

    「創造の瞬間、すべてがうまくいっているという確信が得られる─ 自分が今も世界と調和していて、内なる混沌を探っていけば、それを秩序と美に昇華できるのだと。」

    「でも今は、そういう情熱から自由になった。愛情の奴隷にならないでいられるのは、どんなにありがたいことか。」

    「「そして苦悩とは多くの場合、愚かな主張をしようとするから生まれるのだと悟った。存在を純粋な心で見つめ、すべてを変化しつつあるものとして、客観的かつ思いやりをもってとらえれば、不安や恐れはどこかれ消えてゆくのだと。」」

    「芸術作品だけを介して知っている人間に会いにきた人が出会うのは、愚かさも葛藤もいっぱい抱え、家の雑事に悩まされ、いつも親切とはかぎらない、ごく平凡な人間なのだ。疲れがたまると、私は毒をもったモンスターになる。」

    「皆、互いにあたえることについて幻想を抱いているということ。そしてあたえることは、あたえられることでもある、ということにはなかなか気づかない。でも最終的には、相手にあたえられる唯一のもの、いちばん重要なもの、それは互いにただそこにいる、ということではないだろうか。」

    「今、これらのことすべてふまえて、誰かから人間のもったもすばらしい資質は何だと思うか訊かれたら、こう答えるだろう。「勇気、勇気と想像力──その二つです」と」

    「手紙から伝わってくるのは、人が皆、どれだけの重荷を背負っているか、そして生きていくのは──他人への思いやりと繊細さをもって生きていくのは──(控えめに言っても)どんなに大変かということ。そして手をさしのべることの大切さも。」

    「夏から秋へと季節が映ろうなか、このところずっと天国も地獄も等距離にある気がしている。」

    「あらためて、独り居こそが自分の本質だと痛感する。というのも、他人を極度に意識する(生まれながらに孤独を愛するすべての人は、そうにちがいない)結果、自分に意識が向かなくなり、しばらくすると自分が存在することすら見失ってしまう。」

    「他人を変えることではなく、自分自身が変わること──それこそが、人として果たすべき責務だと思う。」

    「人間はみずからの内なる暴力と、どう向き合えばいいのだろう?宗教的であってもなくても、命の尊厳を取り戻すための方法をみつけなければならないそれができて初めて、人は最悪の事態と向き合い、自分自身のなかでそれに耐え、修復することが可能になる。命の尊厳が取り戻されたとき、人はふたたびその神秘の一部となり、他者を威嚇し服従させるという原始的な欲求を放棄し、文字どおりひざまずくことになるからだ。」

  • 米国の女流詩人・小説家のメイ・サートンによる70歳の1年間の日記。作家として著作・朗読・多くの手紙への返信に追われながら、メイン州の海辺の家で愛犬と愛猫そして自ら栽培する花々に囲まれて日々を過ごす。多くの友人を迎え、自ら訪問する交流の豊かさ。400ページにもなる日記が最後まで飽きずに読めたのは、サートン氏の率直さと優しさに触れることができたためだろう。

  • ここにきて、2016年読んだ本ナンバーワンはこちらかな~

    BBの本屋さんにて、この本を見かけた時
    ハートがドキンと吃驚、
    素敵な、あるいは欲しかった本を不意に見つけた時と同じく、
    ギクシャクとした動きで手に取らせていただきました。

    金額をみて、しばし逡巡致しましたが、
    わたくしのメイ・サートン様への想い、
    また、みすず書房様への御信頼の表明、

    合わせまして出版界の活性化の為(いつもの言い訳)、
    購入させていただきました。

    みすず書房さんの本を買って
    「値段は高いなあ」と思っても
    買って後悔したことは一度もございません。

    ピムさんもウルフさんもグルニエさんも…
    本当にいつもどうも有難う!

    「読み切れない、難しい」はあったとしても
    それは自分の頭が…、そう、追い付いていけないだけ、です!
    (口癖になって注意されているあの漢字二文字は
    使わないようにしました)

    メイ・サートンさんの作品の中で
    日本初翻訳(こんな日本語はあるのか?)です。

    サートンさんは日記の名手、とあった。

    へへへ、その言い方なんだか面白い、と思ったけれど、
    武田百合子さんとかもそうだけど、
    小説、エッセイ、色々あれど
    日記が素晴らしい、ってこと、あるね。

    『視界がグンと広がって、華やかさはないけれど輝かしい景色が見られる。
    澄みきった光が満ちあふれ、「研ぎ澄ませ、研ぎ澄ませ」と
    言っているかのよう。』

    こういうのって、書いてもらうと、すごくよく「わかる」んだけど、
    自分では感じたとしても、あっと言う間にどこかへ行ってしまうんだ。

    大好きなウルフ、ボウエン、ディーネセンが登場し、
    おこがましくも自分も仲間に混ぜてもらったみたいで嬉しいの。

    今回は、面倒くさがらずに良いな、と思ったところへ
    付箋を貼って行った。

    この間実家に来た勉強家の弟が
    なにか発表があるとかでたくさんの本に付箋をいっぱいつけて
    持って歩いているのを見て、ちょっと憧れたのもある。

    こうしておくと、もう一度読んだとき、
    「この前の私はここが面白いと思ったんだね」と
    楽しめる気がする!

    これも、図書館で借りたら出来ない、
    買えばこそ、です。
    (と、高かったけど買って良かった、と言いたい)

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  • 2019年6月9日に紹介されました!

  • 読むほどに著者に惹かれていく…
    自分の弱さも素直に見せる姿が潔く、親しみを感じられる。
    「独り居中毒患者」と表現するように、誰かと過ごす時間も豊かだけど、一人の時間を作れないとモヤモヤするところにも共感する。
    きっとこれからも幸せを感じる一方で苦しみもあると思うけど、先を生きてきたこんな女性を知ると年齢を重ねることに希望を感じる。
    「自分の人生と和解」という言葉も印象的。

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著者プロフィール

(May Sarton)
1912-1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1937)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人・エッセイスト。日記、自伝的エッセイも多い。邦訳書『独り居の日記』(1991)『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993)『今かくあれども』(1995)『夢見つつ深く植えよ』(1996)『猫の紳士の物語』(1996)『私は不死鳥を見た』(1998)『総決算のとき』(1998)『海辺の家』(1999)『一日一日が旅だから』(2001)『回復まで』(2002)『82歳の日記』(2004)『70歳の日記』(2016)『74歳の日記』(2019、いずれもみすず書房)。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『終盤戦 79歳の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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