ライトノベル表現論: 会話・創造・遊びのディスコ-スの考察

  • 明治書院
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784625434488

作品紹介・あらすじ

現代の日本、特にポピュラーカルチャーの世界で、日本語はどのような機能を果たしているのか。今、私たちの生きる言語文化をライトノベルから読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 2022/2/19読了。
    短期集中独学講座「ライトノベル概論」の14冊目。
    この独学講座の目的は、僕がライトノベルを読むときに高確率で感じる生理的な不快感、傍ら痛さの正体は何かを探るというもので、文体論的な面にその答えがあるのではないかと一応の仮説を立てている。
    本書はそこに最も近づく一冊だった。実は本書を読む前に、本書に対する他の方のレビューに目を通したのだが、中に非常に示唆的なものがあった。
    あるレビュアーの方が、自分には読むのが困難だとして星一つの評価を付けた上で、何を言っているのか分からない箇所の例を具体的に引用するとともに、日本語について書かれた言語学者の著書に浴びせるにしては皮肉がすぎるネットスラングを用いてコメントし、通読を断念したことを報告されていた。
    ここで表明されている不快感は、ライトノベル的な文体に対する僕の不快感の鏡像ではないかと気づいたのだ。読めないと言いながら具体的な箇所の引用ができるということは、おそらく内容以前に文章のサーフェスの部分がもう不快感のトリガーになっているのだろうから。
    サーフェスの背後には、それを構成する大きな物語としての教養や非物語としてのデータベースがある。そこへのアクセスを前提とするリテラシーを読者が持っていなかった場合に「読めない」という事態が起こる。自分にはその文章を理解したり楽しんだりするために必要なアクセス権やリテラシーがないことに気づかされるという、不愉快な事態が。
    それを目に見える形で象徴している文章のサーフェスに対して、人は(僕は)不快感や嫌悪感を覚え、ときに侮蔑や排他の言動を取るのではないか。アカデミックな文体とライトノベル的な文体の周辺では、とりわけそういうことが起こりやすいのではないか。その象徴のメカニズムを知れば、僕の不快感の出所もはっきりするのではないか。
    このように仮説を一歩進めて本書を読み始めた。

    本書は、ライトノベル的な文体を形作っている表現について、実際のライトノベルの文章を引用して例示しながら、広範囲に渡って精緻な分析を行う言語学の研究書だ。著者はライトノベルの文章に対して善悪や巧拙の判断をいっさい下さず、観察と分析に徹するという学術的な中立のスタンスを貫いており、信頼がおける。分析の論旨も納得がいくもので、一見幼稚に見えるライトノベルの表現の背後にも、文芸的な技術やメカニズムが存在していることがよく分かった。
    だが、それは分かるのだが……というのが、本書を読んでいる最中に僕が感じたもどかしさだった。それは分かるのだが、分析で例示されている実際のライトノベルの文章に目を通すと、僕はやはりあの不快感・傍ら痛さを、程度の差はあれすべてのケースで感じるのだ。
    その文章の表現が何をどのようなメカニズムで写したものなのか、こんなに詳しく説明してもらってもさっぱり分からない、これはいったい何なのだろう。その疑問に対する答えのヒントは、本書の最終章にあった。

    “私たちは特定のジャンルのコミュニケーションに参加することによって、同じようなことをし、同じようなことを考え、同じようなことを感じるようになる。つまり(中略)そのグループの所属意識を通して得られるアイデンティティー感覚でもある。(中略)そこには一種のウチ意識を認めることができる。(P.322)”

    つまるところ、僕の不快感は「所属意識」「アイデンティティー」「ウチ意識」といった辺りに関係しているのではないか。僕の所属意識やアイデンティティーやウチ意識はライトノベルとその周辺にはないから、「ライトノベルっぽさ」を象徴する文章のサーフェスを見ただけで不快と感じるのではないか。
    これはもう象徴のメカニズムをいくら教えてもらっても駄目で、象徴されている「ライトノベルっぽさ」とは何か、それ自体を特定しなければならないということになる。「ライトノベルっぽさ」とは何だろう。僕に「傍ら痛さ」という種類の不快感を与える、僕のアイデンティティーが所属意識を持てない内輪の意識とは、そいつの正体は何だ。
    堂々めぐりで振り出しに戻った感があるが、最初の「ライトノベルとは何か」から「ライトノベルっぽさとは何か」へ進んだ分だけ、一周回ってもう少しで答えに手が届きそうな気もする。

  • ストーリーではなく表現方法について分析しており興味深かった
    他のライトノベル論やサブカル論とは一歩離れた部分があり、読んでいて既視感を感じる部分が少ないのもよかった

  • 本格的すぎて、僕ぐらいの人間では通読するのも困難だった。

    1章と2章を使って、「ライトノベルとは」についてわざわざ説明しており、親切な本なのかと思いきや、本題の3章から、いきなり何を言っているのか分からない。

    そこを丁寧に説明ほしいわけなんだが……。ちなみに、こんな感じ。

    “ ここで「声」という概念について簡単に述べておきたい。著者は今まで何度も Bakhtin(1981,1986)の声とその多重性という概念を日本語の談話分析に応用してきた。Bakhtin は、談話の断片、その中に出てくる1行の文、たった1語にさえも幾つかの異なる声(voice)が響いていると主張する。つまり、言語表現には常に複雑な複数の視点を代表する声が聞こえ、そこに多重性(multivoicedness)が認められるという立場である。”

    日本語でおk

    こんなのが延々つづくので、早々にギブアップ。もっとデレてくれてもいいんだよ?

  • 「ライトノベル」と言われると、少し手の出にくい方もいらっしゃると思いますが、現代ではライトノベルは一ジャンルとして確立しているのをご存じでしょうか。この本では、ライトノベルからこれまでにないライトベルならではの文章表現が紹介されていて、おもしろおかしくライトノベルを知ることができるのでぜひ手に取ってみて下さい。
    (教育学部国語専修/匿名希望)

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