- Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
- / ISBN・EAN: 9784652078198
作品紹介・あらすじ
にんげんはなにかをしなくてはいけないのか、はなはたださいているだけなのに、それだけでいきているのに。「夢二、死にはどんな形容詞が似合うと思う?」中学2年生の夢二と診療所の「先生」の、生きることと死ぬことをめぐる、ささやかでかけがえのないレッスン。
感想・レビュー・書評
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ホスピスケアの診療所にて迎えた死たちのお話。
あとがき(谷川俊太郎さん)が心に沁みます。
死はあさってに行くこと。今日や明日はない。コトバのいらないところへ。
どんな有能な人でさえも、死は自分が迎えないと実感としてわからない。わからないようになっている命の仕組みは、生物が生き続けるために必要なのかもしれないと、この本を読んで思いました。
生を満喫しなくては。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「にんげんはなにかをしなくてはいけないのか、はなはたださいているだけなのに、それだけでいきているのに。「夢二、死にはどんな形容詞が似合うと思う?」中学2年生の夢二と診療所の「先生」の、生きることと死ぬことをめぐる、ささやかでかけがえのないレッスン。」
著者等紹介
徳永進[トクナガススム]
1948年、鳥取県八頭郡生まれ。9歳まで八頭郡郡家の小学校。9歳から鳥取市の小学・中学・高校へ。浪人生活のあと、18歳のとき、京都の大学へ。そのころ鳥取の中国山地の山村に共同体を作ろうと呼びかけ、結局は頓挫。1973年に医師となる。27年間の勤務医のあと、2001年12月より鳥取市の下町に、ホスピスケアのある19床有床診療所(この本の舞台でもある野の花診療所)を開設。飽きもせず、懲りもせず、治療共同体を目指す。1982年、処女作の『死の中の笑み』(ゆみる出版)で、第4回講談社ノンフィクション賞受賞 -
フランクル「悩みを悩んでみたい」
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死ぬのは、こわいさ
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乾杯!何にだろう。今在ることだろう、今年、こうして生きていることにだろう。生きているといろんなことがあるが、今こうして、痛みや苦しみ、辛さ、から免除されていることにだろう、桜そのものにだろう。お酒がおいしい。
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徳永さんって実家に本があって名前は知ってたのだけど,読んだのはは初めてかな.よりみちパンセは2冊目.独特の文体で,詩っぽくて,期待してたのとは違ったかもしれないけど,これはこれでいいかな.
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[ 内容 ]
にんげんはなにかをしなくてはいけないのか、はなはたださいているだけなのに、それだけでいきているのに。
「夢二、死にはどんな形容詞が似合うと思う?」
中学2年生の夢二と診療所の「先生」の、生きることと死ぬことをめぐる、ささやかでかけがえのないレッスン。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
宇宙に自分は一人じゃないって納得する。
悩みを悩むという喜び、意味を強制収容所で教えられた。
闇の中の点状の光、無音の音が聞こえるような聞こえないような大空。 -
「命っていうのはね、どう生きようかって頭で考えていようがいまいが、とにかく泊動してるもんでね、そこに命の泉みたいなものがあって、そこで湧いている限り、命は在るよ。〜中略〜命って、湧くっていうこと、死って、湧かないってこと、だよ、違う?」
またもやよりみちパン!セシリーズ。
今回は当たり☆
この命が湧くという表現が物凄くしんなりと、すとんと私の中に落ちてきた。
そして、死ということに対して、物凄く考える。本当は考えることもこわいのだけれど、それでも目をそらさなくていいと言ってきてくれる。
優しく、暖かく、それでも確実なことを伝えてきてくれた。
最後の谷川さんの詩にもほろりと来た。
【8/18読了・初読・市立図書館蔵書】 -
野の花病院の先生目線で書かれた、中学生夢二との話
県立図書館 20080409