被抑圧者の教育学―新訳

  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750511023

感想・レビュー・書評

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  • 人と人、人と世界との関係性の再認識を問う一般教養本

    パウロ・フレイレは、開発教育などで読み解かれることも多いですが、著者の眼差しは、決して教育のあり方だけに留まるものではないと思います。

    抑圧者と被抑圧者、先生と生徒に代表される一方的な関係性に対する問題提起。
    人と人との相互理解、相互成長をするための対話の必要性。
    人が世界や自分を取り巻く環境の問題点と出会うためのツールとしてのコード表現(コード化)の提案

    人を中心にその関係性に注目する眼差しは、教育を志す人ばかりではなく、社会起業家やビジネスパーソンにもおすすめの本です。

  • 半分くらいまでは調子よく、そして頑張ったが、挫折!

    あとがきにもあるが、書き方がくどい!でも、それが「味」らしい。

    引用されてたフロムを読み、やっぱフロムはいい!と。ポピュリズム、ヒーローイズム?の心理分析なんかは、今の日本を見ながら書いてんのか!という感じ。

  • 『地に呪われしもの』を少し読んで、読みながら理解するのが難しかったので、同時に借りたこれを読み始めた。
    あとがきで訳者が言うには、この本の文章は同じようなことを繰り返し、違う言い回しでも繰り返し、北部ブラジルの論理的でない田舎の言い回しで表現されている。
    わたしはそういう文章の方が読みやすかった。

    述べられていることは、私が職場の他者と結ぶ関係ではいけないよと何度も何度も伝える痛切なもの。

    ”内なる抑圧者“
    ”対話型教育“

    生徒が黒板に向かって椅子に座って、先生が黒板の前にひとり立って、情報を生徒に伝えていくのが銀行預金型教育、小中高と基礎学力と受験試験勉強はこれでやらるほうがいいかもしれない。
    ある状況で自分がどう行動するかとか人との関わり、試験問題でない社会問題をどう解決するかというような方の教育には対話型教育がいいと思う。

  • 抑圧者が被抑圧者の考える力を奪う。対話の大切さ。うまく説明するのは難しいけれど、根本的なことを教えてくれた。繰り返し読みたい。

  • フレイレの教育論はいつも参考になるなぁと思っている。被抑圧者の教育学は、抑圧されるものと、抑圧するものの二項対立は教育現場では避けれない。でも抑圧される、されないなどそういうことは関係ない。教育の本質は何かもっと考えるべきだと思う。

  • 国際協力に携わりながら、ようやくこのバイブル的な書に出会えた。人と人との間のコミュニケーションを通じての価値や知の創出を論じており、途上国との関係だけでなく日常の人間・組織においても当てはまる内容である。

    - 変革に向けた被抑圧者たちの核心は、自らの意識化によってもたらされるものである
    - 本来の知というものは、発見の喜びに次ぐ更なる発見、探求の姿勢、知ることへの切望、それを継続するということ、そういったものから立ち現れるものだ
    - 共に生きること、共感すること、それこそが本来のコミュニケーション、とういことなのだけれども、銀行型教育の概念は実践においてそういう考え方を受け入れることはできない
    - 新しい挑戦によって新しい理解が触発される。そしてそれが繰り返されれば繰り返されるほど、コミットメントをもった人間となっていく。このようにして、世界としっかりかくぁる自分が認識されるのである。
    - 教育する者と教育される者が矛盾を乗り越え、認識する対象を仲介しながら共に認識する活動を行う相互主体的な認識を作り上げる場、それが教育である。
    - 人々との対話は譲歩ではなく、贈与でもないし、ましてスローガンのように支配のための戦略ではさらにない。対話は世界を「引き受ける」ための人間同士の出会いであり、真の意味での人間化の一番大切な条件である
    - 近代化は常に誘導される形で遂行され、「衛星のように」“中心社会”のまわりにいるようなごく一部の人口には資するかもしれないが、もともとは“中心社会”を利するためにあるものなのだ。発展はしていないのに、単に近代化した社会は常に中心に依存しており、委譲されているとしても本当に最小限の決定権しかない。従属社会が従属社会であるかぎりそうだし、これからも変わることはない。
    - 協働の基礎となっているのは、対話とコミュニケーションである
    - 支配エリートは組織化すればするほど自分の権力を強固にし、人々の支配と「モノ化」を進めることになる。組織化に不可欠な規律と、人々の操作を混合してはならない

     以上のようなポイントを見ていくと、日本での「銀行型教育」と従属社会に慣れてきた身としては、本当の「対話・コミュニケーションを通じての知・変革」というものを理解できておらず、単にあこがれているだけなのかもしれない。それでも抑圧的な啓蒙や押し付けにならず、対話とコミュニケーションを通じて意識化を醸成する姿勢は忘れずに取り組んでいきたい。

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    http://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&bibid=TB90233465

    なかなか読みごたえのある作品。

    南米での自身の体験をもとに、そこでの教育を銀行型と批判し、そこからどのように脱するかについて書かれた本。

    教育学を学ぶものとして、近代における一つの潮流を作り上げた作品。

    イヴァン・イリイチと合わせて一読する価値のある作品。

    2012ラーニングコモンズアドバイザー(地域政策)

  • 大学の先生にお借りして読みました。
    empowermentという言葉が印象的でした。

    是非購入したいと思います。

  • いわんとすることは何となくわかるが、抑圧者を悪者に仕立て上げて、あらたなコンフリクトを生むようにもかんじる。そういった真実への固執が争いや抑圧を生むのではないか?
    もちろんこのような抑圧的な状況はたくさん存在し、打破することは必要かもしれない。しかし、誰の中にも抑圧者/被抑圧者の側面があり、それもまたきりはなせない問題のように感じる。
    偽りの寛容さ、真実の寛容さ、確かに幾分かの尺度はあるが、そこに傾倒しすぎるのはジョージオーウェルの動物農場的世界感を感じさせる。おそらく「なければならない」ということばが多いからだろうとおもう。とても興味のあるテーマなので批判的発展した続編があればよんでみたい。

    人間化が非人間化を生む。絶望と冷笑。

    なぐさめの手を差し出すのでなく、労働し、世界を変えるにんげrの手になるように。一人で生きていけるように。

    連帯する--連帯する相手の状況を自らに引き受ける


    被抑圧者、抑圧者の双方の人間性回復。

    教育、学習とは地に呪われたるもの、すなわち被抑圧者、この世に打ちひしがれたものから始まる。

    抑圧されている者たちよりも抑圧的な社会の恐ろしさを理解できるものがいるか?
    自らの中に抑圧者を宿していることに慣れている被抑圧者。その夢はいつか抑圧者になることという二項対立の悪循環を抜けられない。

    自らを解放できない。現在のうちにある矛盾を生きることを条件づけられている。抑圧者であることが人間であることの証明となり続けている。

    日本人の欧米信仰も結局これと似たようなところがある。

    規範: 抑圧者、被抑圧者に介在する基礎的な要素の一つ。ある人の意識の他の人への強制。不自然な、抑圧者の作った規範に従ったような振る舞い。

    自由への恐れがある限り他の人とは連帯できないし、他の人への呼びかけ、自分への呼びかけも聞こえてこない。本当の意味での共生、共に生きるということを目指すこともない。ただ群れて集まることを好むだけ。

    連帯するということはパターナリズムに陥っているために感じる引け目になんらかの合理性を見つけることではない。連帯する相手の状況を自らに引きつけるというラディカルな態度。

    主観性なしに客観性を考えることはできない。
    抑圧されているものは、その状況から脱出する戦いにおいて自分自身がモデルになっていかなければならない。

    愛のない世界を始めるのは愛されなかった人たちではない。愛さなかった人たち、他を愛することのない人たちである?

    人間を否定することを始めたのは人間性を否定されてきた人たちでなく、他の人間性を否定し、同様に自らの人間性を否定してきた人たちである。

    読めば読むほど、自分にはどっちの要素もある、というか最近は抑圧者に近いかも知れないなどと思う。定型化されていくコミュニケーションに本来宿っていたはずの思いやりはもはやない。ごく少数を除いて。そして定型化コミュニケーションで感謝されるほどに人間に対する愛は薄れ、バカバカしくさえなってきてしまうという恐ろしさ。まだ脱ぎ捨てるべき仮面があるということなのだろう。ちょうど蛹のように、いらなくなった仮面を取り除く必要はある。二項対立を抜けるというのは非常に難しくて慣習的に流れに身を任せて生きるほどに、ただ世間で言われている「良い」の方の選択肢を自分の中で選ぶようにだけ注意が向けられる。何かが違うなというぼんやりした違和感だけが残されていくようだ。

  • 新訳で格段に読みやすくなった。ただし、日本の教育とは格段に異なる。海外援助に出かける学生にはこれを読ませて支援に行かせるといいであろう。あるいは、教育の海外支援を卒論テーマにしたり、海外と教育でやり取りをする場合は必読書であろう。
     再度、読み直したが、意識化という言葉は特殊の言葉ではなく、抑圧を意識するということであると理解される。

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著者プロフィール

(1921年9月19日~1997年5月2日) ブラジル北東部ペルナンブコ州に生まれる。教育学者、哲学者。「意識化」「問題解決型教育」などを通じ、20世紀の教育思想から民主政治のあり方にまで大きな影響を与えた。その実践を通じて「エンパワーメント」「ヒューマニゼーション(人間化)」という表現も広く知られるようになる。本書が代表作。

「2018年 『被抑圧者の教育学 50 周年記念版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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