人喰い (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズIII)

制作 : 奥野 克巳 
  • 亜紀書房
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本棚登録 : 352
感想 : 34
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  • Amazon.co.jp ・本 (436ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750515731

作品紹介・あらすじ

全米を揺るがした未解決事件の真相に迫り
人類最大のタブーに挑む衝撃のノンフィクション!

1961年、大財閥の御曹司が消息を絶った。
首狩り族の棲む熱帯の地で。

この時点で、マイケルが「いかに」殺され、食べられたのかは、一連の調査や文献からすでにはっきりしていたのである。
著者ホフマンにとってどうしても解せなかったのは、「なぜ」マイケルが殺され、食べられなければならなかったのかということだった。(解説より)

解説:奥野克巳(文化人類学者)

感想・レビュー・書評

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  • ニューギニアにて、ロックフェラーの御曹司マイケルが消息不明となった事件。
    彼は現地部族によって殺害、更に食されたと報道されました。
    本書はその真相に迫るレポートとなります。
    残虐な描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

  • 1961年、ニューギニアで「プリミティブアート」を蒐集していたマイケル・ロックフェラーの船が座礁し、同船していた者と別れて陸に泳ぐ姿を最後に、彼は行方不明になる。サメに喰われたのか、溺死したのか、首狩り・人喰いの風習があるアスマットに殺されたのか。世界の富豪ロックフェラー家の一員の安否に注目が集まったが、事件は解決を見ずに終わった。事件から50年後、著者は民族学のフィールドワークのように現地に入り込み、彼なりに事件のフーダニット、ホワイダニットに至る。収集した証言をどこまで信用するのかはよく民族学でも問題になる。調査者の役に立ちたいという善意の嘘も含めて、相手が本当のことを言っているとは限らないからだ。本書でも著者はその限界に直面する。訳のせいか少々読みにくい文体だが、近代社会とアスマットのコスモロジーの違いが、事件の背後にあることがわかる。理解できない決定的な違いが、ある文化とある文化の間に谷のように横たわることがあるのかもしれない。

  • 1961年、若き民族学者マイケル・ロックフェラーは、ニューギニアで、現地人の美術品を蒐集中、消息を絶った。乗っていたボートが転覆し、「助けを呼ぶ」と岸を目指して泳いでいったものの、そのまま行方がわからなくなったのだ。
    マイケルは大富豪にして政治的に力も持つロックフェラー家の御曹司だった。父のニューヨーク州知事、ネルソンまで乗り込んでの必死の捜索も虚しく、足取りは杳としてつかめなかった。
    かの地は「首狩り族」の住む地だった。表向きは、彼らはもはや「首狩り」は行っていないことになっていたが、実際はそうとも言い切れないようだった。
    マイケルは喰われてしまったのか?
    本書はその謎を追うノンフィクションである。

    著者のホフマンは、マイケル失踪事件の真相を知るには、現地のアスマット族のことを知らねばと決意し、彼らと深く関わっていく。
    本書は、現代にあって、事件に迫ろうとする著者の物語と、著者の取材により明らかになっていく当時のマイケルの物語の二重構造になっている。

    話が話だけに、猟奇的といえる描写はある。
    最初から数ページの第2章で、著者はマイケルが「喰われる」シーンを再構成して見せる。実のところ、マイケルが「狩られた」または「喰われた」確かな物的証拠は残っていない。それなのに著者は、マイケルは「喰われた」と思っている。そしてそれがどんな風であったのか、微に入り細を穿ち、書いていく。
    その描写の詳細さに「やりすぎではないか」と鼻白み、げんなりする。「本当なのか?」と疑いもする。
    だが、本書の不思議なところは、読み進めるにつれ、徐々にその印象が変わってくることだ。

    著者は丁寧に史料を調査し、アスマットの中で生活する。
    西洋的な常識に照らせば、「首狩り」やカニバリズムは原始的で野蛮な行為だ。
    だが、アスマットにはアスマットの伝承があり、彼らが拠り所にする「物語」がある。その「物語」の中で、首を狩り、人肉を喰らい、その者の「生」を自らの中に取り込むことがどんな意味を持っていたのか。
    それは果たして外から持ち込んだ常識から測れることなのか?

    物語はくるりと反転する。
    正直なところ、アメリカ人である著者が、本当にアスマット族の内面を完全に理解しているかは疑問に思うところはある。読んでいる自分とて首狩りにも人喰いにも無縁で、彼らの心境が理解できるかといえば心許ない。
    けれども、それらを差し引いても、いわゆる「現代文明」から見た事件を、現地人の側から見たときに、物語が反転することは読み取れる。
    プリミティブ・アートに魅かれた無邪気なアメリカ人。
    対して、原初の昔から、その地に住み、その物語社会で生きてきたアスマット族。
    ボートが転覆して、助けを求めに岸を目指したとき、マイケルの目に見えていた景色と、岸で彼に出くわした現地人集団が見る景色とは、おそらく、同じ場所でありながらまったく違うものであったのだ。
    その齟齬の間で悲劇が起きた。
    著者が描いてみせるその情景が、説得力を持って迫ってくるのである。

    事件発生当初から、マイケルの死因が「首狩り」であるという噂はあった。
    当時、ニューギニアはオランダの支配下にあった。オランダ政府はこの地が健全に統治されていることを示さねばならなかった。
    その地で、すでに「ない」はずの首狩りが行われ、あろうことかアメリカ合衆国の有力者の息子が殺されたのだとしたら。しかも彼はその地の美術品を称賛していた人物であったのに。
    首狩りがあったことを認め、関わった男たちを逮捕し、処分するのか。男たちは抵抗しないだろうか。いや、きっとするだろう。村全体が反対したら、すべてを弾圧するのか。そんなことは可能なのか。そして、なぜそんな大弾圧を行ったのか、そのそもそもの理由である「首狩り」を、オランダ政府は国際社会に説明することができるのか。
    息子が「野蛮」に殺されたと知ったら、ロックフェラーは、ひいてはアメリカ合衆国は、オランダの政策に対する支援から手を引くのではないか。
    軋轢の中で、マイケルの死因を深くは追わず、「事故死」として扱うことに、状況は流れていく。真実を明らかにしたところで、誰も幸せにはならない、というわけだ。
    原著の副題は、”A Tale of Cannibals, Colonialism, and Michael Rockefeller's Tragic Quest for Primitive”である。
    マイケルの悲劇の直接の原因がカニバリズムであったとしても、その後の顛末に植民地政策が深く関わっていたとの主張が、ぐいぐいと力を増していく。

    「首狩り」が「正義」であるかどうか、その答えを私は持たない。
    だが一方で、現代文明的な尺度で測ること、植民地主義的に判断することが、果たして「正義」であるのか。

    ざわざわとしたものを残す意欲作である。

    • 薔薇★魑魅魍魎さん
      その本にそれほど興味がなくても、否、むしろ全然まったく金輪際 興味がありえない場合でこそといっていいかもしれませんが、私は、ぽんきちさんのレ...
      その本にそれほど興味がなくても、否、むしろ全然まったく金輪際 興味がありえない場合でこそといっていいかもしれませんが、私は、ぽんきちさんのレビューを、ついつい読んでしまいます。

      私は、真のレビューとは、読む人をして対象となる本をどうしても読みたくなるようなどこか欠陥のある誘拐犯のような要素を持っているもの、と勝手に思い込んでいますが、ぽんきちさんのそれは、あまりにも要点を押さえた・的を得た・完璧すぎる内容すぎて、それこそもうレビューを読むだけでその本を読んだ気にさせる、というもので、きっと何頁も費やした作者は悔しがって地団駄踏むに違いないと思います。
      すいません四の五の御託を並べてしまいました。
      2019/11/01
    • ぽんきちさん
      薔薇★魑魅魍魎さん
      コメントありがとうございます。
      丁寧に読んでいただいて恐縮です。

      そうか、そうですね、「誘拐犯のような」、と...
      薔薇★魑魅魍魎さん
      コメントありがとうございます。
      丁寧に読んでいただいて恐縮です。

      そうか、そうですね、「誘拐犯のような」、というのは確かにそうなのかも。
      そういう意味では、何だかいつも私はちょっと書きすぎてしまっているのかもしれません。
      気持ちとしては、本自体のスケッチ、あるいは本を読んでいる自分の心象のスケッチ、という感じなのですが。

      レビューって何だろうなと思いながら、やっぱりまた書くのだろうと思います。

      ありがとうございます。
      2019/11/01
  • 【暴虐なる神秘】ニューギニアの熱帯で美術品の収集に務めていたロックフェラー家の御曹司・マイケル。原始的な美に惹かれた彼を最終的に待ち受けていたものは、突然の死と、現地人に「喰われてしまう」という衝撃的な最期であった。1961年に起きた実際の事件を取材するとともに、その裏に横たわる文化人類学的な深淵を覗き込んだ作品です。。著者は、「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー」の編集者でもあるカール・ホフマン。訳者は、小説作品の翻訳も手がける古屋美登里。原題は、『Savage Harvest: A Tale of Cannibals, Colonialism and Michael Rockefeller's Tragic Quest for Primitive Art』。

    タイトルから「トンデモ本」を想像する方も多いかと思うのですが、実際は卓越したノンフィクション作品であると同時に、フィールドワークに基づく一級の文化人類学的な作品でもあるという類稀なる一冊。「え、この話はそっちに行くの?」という展開の連続に驚かされると同時に、その先に行き着いた光景に文字通り息を呑む読書体験を味わうことができるかと思います。

    〜ウィム・ファン・デ・ワールとマイケル・ロックフェラーのような人々は、アスマット文化を探し、集め、写真に撮り、アスマットと共に旅をし、村の深部まで行くことができた。互いの世界と、実際には見えない世界の次元の違いを知らないままで。〜

    ラストは全身から思わず力が抜けるほどの衝撃でした☆5つ

  • 期待したほどの面白さではなかったけど、充分に読む価値があった思う。
    食人に関する食べる側の思考については一定の類型が視られるのだなと思う。
    もう、地球上には、習慣的に食人する人たちはいないのであろうなぁ。

  • タイトルはインパクトある。フィールドワークのレポートが長い。人喰いの場面は少なく少数民族の風俗について多くのページが割かれる。

  • いまから約60年前のロックフェラー家御曹司の失踪事件を追ったノンフィクション。

    冒頭の描写のリアルさ。脂の焼けるにおいや飛び散った血の色を感じてしまう。
    この部分だけで「何があったのか」はわかってしまう。けれど、本当に重要なのは「なぜ」なのだけど、その理由にせまるうちに「なぜ」なのかはそれほど重要ではなくなってくる。それを「なぜ」かと思う人たちがいて、それを「なぜ」とは思わない人たちがいる。そういうことなんだろう。

  • マイケル・ロックフェラー失踪事件の事すら知らなかったが、未解決事件には興味がある。軽い気持ちで読んでみた。
    著者がたどり着いた真相はいきなり冒頭で明かされる。それは丹念に当時の記録や関係者の証言を辿れば、「事実」としては浮かび上がる。しかし、この本の本質はそれが「なぜ」行われたかであり、そもそも我々が「プリミティブ」「未開」と呼ぶ人びとをどう捉えていたのか、分かろうとしていたのかという問いに繋がる。
    殺人、ましてカニバリズムはこの現代社会、この文明に生まれた我々にとっては常識を超えた行為であり、犯罪である。しかし、その思考とは全く異なる思考、文化、文明で生きてきた人びとが確実に存在する。
    そういう人びとを、西洋文明はある種「救おう」としてきた。同化させようとしてきた。「理解する」のではなく「同じ」にしようとしたのだと感じる。正しさ、誤り。今日のグローバル社会というものにおいてどのように「文化」が違う者と向き合うか、を考えさせられた。
    失踪したマイケル・ロックフェラーは素晴らしい一面を持っていた。しかし、自分が求める「プリミティブ・アート」にある精神と向き合うことがなかった。
    最終章に至り、アスマットと「暮らす」ことを選んだ著者の選択。おそらく「向き合う」ことの最終形である。相手と真に語らうには、相手と向き合うしかないのだ。それは別に相手が誰であれ同じ筈だ。しかしそれには困難さも伴う。理解する、の何と難しいことか...。

  • 真実は決して明かされることはないのだけれど、どこまで著者の希望するストーリーに添わずして、調査結果が真実に肉薄していくか。がルポの面白いとこなんですが、最後の50ページくらいで、「未開の地」の人々に継承される文化の伸びやかさに、マイケルの死の真相は砂に埋もれていくようにもう重要ではなくなっていった。腐海の底の砂に半ば埋まったナウシカのマスクのシーンみたいに、なんだか感動的だった。

  • 1961年、世界有数の富豪、ロックフェラー一族のマイケルはニューギニアを探検中に行方不明になった。ロックフェラー家は莫大な財力、政治力をつぎ込んで大規模な捜索を行ったが、マイケルを発見することはできず、彼の消息は未だ謎のままだ。

    実はマイケルがどうなったかについては、当時から結論が出ていたが、ロックフェラーのメンツや国際関係などが考慮されて、公式には認められていない。本書の最初の数ページで明らかにされる真相は、マイケルが地元のアスマット族に襲われ、食べられたというものだ。

    というわけで、本書はマイケルの死因を探るドキュメンタリーではなく、なぜマイケルは食べられたのか、なぜアスマット族は人を食べていたのかという点をメインテーマとする。

    マイケルの死から50年後、著者はその現場を訪れ、もはや人食習慣のなくなったアスマット族と日常生活を共にすることで、過去の彼らが他のどの文明とも異なる習慣、思想を持っていたことを明らかにする。アスマット族は儀式として仲間を殺して、その肉を食べていたのだ。そんな彼らにとって、白人だろうが、ロックフェラー一族だろうが、マイケルを食べることはありふれた日常だった。

    考えてみれば、人を食べない文化があれば、人を食べる文化があるのも当然なのかもしれない。

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著者プロフィール

1960年生まれ。アメリカのジャーナリスト。「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー」の編集者。「アウトサイド」「スミソニアン」「ナショナル・ジオグラフィック・アドヴェンチャー」「ウォールストリート・ジャーナル」などの詩誌の仕事で75ヶ国以上の国を旅し、多くの旅行記を寄稿している。著書に、2001年「Hunting Warbirds:The Obsessive Quest for the Lost Airplanes of World War Ⅱ」(邦訳『幻の大戦機を探せ』)、2010年「The Lunatic Express:Discovering the World Via Its Most Dangerous Buses,Boats,Trains and Planes」(『脱線特急 最悪の乗り物で行く、159日間世界一周』)、2014年「Savage Harvest:A Tale of Cannibals,Colonialism and Michael Rockefeller's Tragic Quest for Primitive Art」(本書)、2018年「The Last Wild Men of Borneo:A True Story of Death and Treasure」。生まれも育ちもワシントンDCで、三児の父親である。

「2019年 『人喰い ロックフェラー失踪事件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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