『フラニー』 チキンサンドイッチタイム
名門女子大に通うフラニー嬢は、この上もなくナイーブ。そして、きっと可愛い娘です(子どものころはテレビに出演していたらしい)。
彼女が演劇をやめてしまったのは、「自分を見せようとする自分」への嫌悪感から。目にうつるものすべてがエゴの塊に見えてしまうようになったフラニーは、悩み、傷つきます。なんて痛々しいのでしょう。自分にも他人にも吐き気をもよおす。それは、颯爽と現れたカッコイイ彼氏に対しても……。
これは、体調を崩した彼女が、せっかくの週末デートを台無しにしてしまうという物語です。
もっとも、原因は体調の変化だけではなかったよう。カップルの会話は最初からちぐはぐで、一緒にいても二人の距離は縮まるどころか逆に広がるだけ。
それを象徴するかのような、チキン・サンドイッチでした。
食欲のない彼女は、やっとサンドイッチとミルクを注文。それがレーンはお気に召さず、「お子様向き」と言い放ち、自分はたくさん食べます。
彼女への気遣いは少しも伝わってこない上、どうやら彼は「週末の恋人たちのおしゃれな過ごし方」的なマニュアル、ヴィジュアルにはまっていなければ、気がすまないらしいのです。
ということは、彼女が嫌う自意識過剰人間とは、レーンその人ではないか! エゴイストゆえにファッショナブルだったのです。
好きな男の子と過ごすかけがえのない時間を、楽しめないどころか耐えられない……。
ざわめきにまぎれてはっきりしないなかでも、破局を予感させるチキン・サンドイッチ。手つかずのまま。
丁寧な、けれども最小限の言葉で綴られた、短い物語です。チキン・サンドイッチ一つとっても正しく扱われ、レーンご自慢のバーバリーのコートも、しわまで描かれた。網の目のような細かさで、アメリカの学生の生活習慣、服装、駅の様子などのさまざまな情報が、広がりすぎず、きちんとした小ささで表されています。
2003-08-28
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『ゾーイー』 (ズーイー) チキンスープはママの味
『フラニー』ラストで、レーンは「宿にしのびこむ」なんて言っていたけど、フラニーはその日のうちに、家に帰ってしまったのでした。
その後、世界全体にすっかり懐疑的になり、食事もとらず『巡礼の道』なる本にかじりつく彼女。傷は深く、殻に閉じこもり、人と触れ合うまいとするのでした。話したいのは、今は亡き兄・シーモアだけ。初めはママのチキンスープも受け入れず、ゾーイーの話にも耳を傾けてくれなかった。
同じ屋根の下に、愛をこめてチキンスープをさしのべているママがいるというのに……。ママの作ったスープが飲めなくて、他の誰を信じられるのでしょうか。ママのスープの味は、はるか遠くを旅しなければ得られないものではないのに。
あの日、フラニーはチキン・サンドイッチを少しも食べられなかった。あのチキン・サンドイッチとママのチキンスープは、同じチキンを使っていても全く別の食べ物なのです。レーンがフラニーに向けた好奇の視線と、家族の理解のこもった眼差しも、全然違うものです。
そのことに気づくには、フラニーは若すぎたのでしょうか。ただ人の視線を嫌い、シーモアにだけ救いを求めます。亡き長兄が一家に及ぼした影響の大きさをうかがい知れるエピソードです。
でも、今は生きているゾーイーが、妹を助けなければなりません。
フラニーが「教え」をすがったことと安易な神頼みとは、あえて分けて考えたいですね。ゾーイーでさえ、フラニーを苦しみから解き放つのに、汗をかき、時間を割いたのだから。
自分が生きている世界を「信じられなくなった」彼女が、「信じる」ことで救われようとしたことには、大きく欠けてしまった部分を補おうとする何かが感じられなくもない……☆
とにかく、ゾーイーは、ひたすら、ひたすら喋り続けます。激しく損傷したフラニーの心を、言葉で修復していく数ページ。彼の労苦は報われ、復元に成功します。見事。
2003-08-28