- Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
- / ISBN・EAN: 9784777919932
感想・レビュー・書評
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本書は、5人の女性の猟師を取り上げている珍しい1冊。
タイトルの副題「わたしが猟師になったワケ」の通り、彼女たちは、何故、猟師になったのか。自然と向き合う姿と自然に対する考え方、普段の仕事に加えて、猟そして獲物の解体作業なども写真を入れて、描き出している。
女性猟師にとって、一番怖いのが人間だというのも、何とも皮肉めいた、しかしそれも偽らざる現状であるとも感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一気に読めます。各地の女漁師の紹介が主です。生きること食べること、そのサイクルの中の人間でしか無いはずなのに、なぜ「かわいそうだ」とかということを「気楽に」いえる人間がいるのか、ずっと疑問でした(今でも)。概念では無く、理屈では無く、現場を見てものをいうことの大切さをやはり知ります。自分が産婦人科という医療の中でもかなり生々しいところにいるので更に思うのかもしれません。
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女猟師たちのルポだが、何故、女猟師をとりあげたのかさっぱりわからない。
「命を食べる」のがテーマなら、男女問わず猟師に言えること。
あえて、女に焦点を絞るなら、女(その人)ならではの視点や女性であるがために感じた苦労等々もっと突っ込んでほしかった。
猟の過程や、解体の写真などは訴えるものがあるが、
文に関しては単に紹介程度の浅さの記事。
何物かわからない筆者の「俺」語りが沢山出てきて、読みにくいことこのうえない。 -
日本各地の女性の猟師のレポート。
女性もいるんだ!というのが、素朴な感想。猟師という男っぽい、というより男(しかいない)の職業と思っていたのに、全国に女性の猟師が複数いることに驚き。
男女の隔たりの減ってきている30代の女性には、う~んそうだよなあ、と思いましたが、60代の女性猟師もいる事に、ちょっと感動。
日本って、けっこう面白いのかも。 -
これは驚いた本。ハンティングする女性達のルポ、狩猟免許取り立ての新人から、全国でも珍しいプロの女ハンターまで、男の世界と思われがちな狩猟の世界にしっかりと位置を占めている元気な5人の女性たちの姿はすがすがしい。
中でも石川県の小松の山奥で、自分が獲ってきた獲物を中心とした郷土料理の店「狐狸庵」を経営しているおばあさんはすごい。この店はぜひ訪れてみたいものだなぁ -
本を購入する際に、どこの本屋で選ぶかというのは、非常に重要な問題である。なかでも大型の本屋を定期的にチェックするようになると、その面白みも増してくる。一方で腐れ縁のように切っても切れない存在なのが、自分の行動半径内にある小型店舗の存在である。わりと気のきいたフィルタリングをかけてくれる店舗が見つかると、大型店舗でうっかり見落とした本が、待ってましたといわんばかりに陳列されている状態に巡りあえる。
本書『女猟師』は、そんな小型店舗でばったり出会った一冊。それほど大きくもないスペースなのに、著者の前著『マタギ』と番いのように置いてあった。『女猟師』を手に取りレジの方へ向かいかけ、また戻って旧作『マタギ』にも手を伸ばす。本屋の罠に、はまった瞬間だ。決してタイトルを『女教師』と見間違えて買ったわけではない。
狩猟の世界は、伝統的に男社会である。それは狩猟という行為が肉体的にもかなり厳しく、常に危険と隣り合わせであるからだ。そのような現場において、一人で熊を追い、猪を撃ち、鹿を解体する女性たちもいる。本書に登場するのは、30代から60代までの女猟師たち。その実態を綴ったルポルタージュだ。ベテランからビギナーまで、そこに至るまでの動機やその生活もさまざまである。
あらかじめ申しておくが、本書は万人の人におススメできる本ではない。なにしろ写真がグロい。鹿の皮を剥いでいるところ、皮を剥ぎきって脂身の量まではっきりわかる猪、仕留めたばかりのカモの内臓など、血の飛び交った写真が盛りだくさん。購入にあたっては、写真をよく確認されてから検討されるのが賢明だろう。
しかし、この写真から目を背けて、肉を食べることだけに専念するということが、果たして誠実な行為なのだろうかとも思う。彼女たちが日々突きつけられている葛藤も、この問題に端を発する。「なぜ野生動物を殺すのか」、この問いは狩猟者が必ず受ける質問であるという。しかし、ある女猟師ははっきりとこう言う。
「食肉用で飼育される豚や牛と、山の中を歩き回る猪や鹿。どちらも同じ命なんです。その命を頂くことで私たちは自分の命をつないでいる。肉を単なる栄養としかみなさないで、パック詰めの向うにある命に感謝の念も抱かない。自分の手で命を奪い、解体し、感謝して食べる猟師のほうが命の尊さを知っていると思います。」
銃をかまえて獲物を狙うシーン、仕留めた獲物を掲げるシーン、そのような記述を目にすると、登場人物が女性であることを強く意識させられる。しかし、本書に込められた猟師の慈しみの心が、より魅力的に映るのは、女性を通しているからこそという印象も受ける。
きれいごとだけで済まされないのが、世の常だ。そして、描かれているのはどこまでもリアルな猟師たちの現実。「肉を食うのも楽じゃない」、そんな台詞が思わず口から飛び出るような読後感だ。 -
『女猟師 わたしが猟師になったワケ』
2024年1月21日読了
女性猟師に取材しまとめあげた一冊。
いまでこそ狩猟をする女性の話を聞くようになったが、本書が出版された2011年は今よりもっと少なかったのではないだろうか。そんな中であっても、全国津々浦々5人の女性猟師を取り上げている。(なお、狐里庵は2023年夏で閉業してしまったようだ。もう少し早く本書に出会えていれば…と悔やまれる。)
彼女たちが狩猟を始めた理由は、「農業をやる傍ら害獣駆除のために…」「猟師の家系で小さいころから狩猟に出ていたから…」とそれぞれだ。
しかし、「捕らえた獲物は最後まで美味しくいただく」という信条が一貫していると感じた。
わたしは、きちんと食べ物を大切にできているだろうか?
彼女たちの思いを読むにつけ、自問自答しないではいられなかった。
加工されスライスされた状態でしか肉を見たことがない。
かつて生きていた「命」ではなく「食べ物」としか見ていなかったのではないか。
「食べ物」が「命」であったことなど、あたりまえのことである。
それにも関わらず、その事実から遠ざけ見ないふりをしていたのかもしれない。
「いただいた命に感謝していただく」
あたりまえのことかもしれないが大切にしていきたいと改めて感じた。 -
5人の女性の猟師を紹介した本。密着型というか、一緒に猟について行き、しとめた獲物を解体するところから、ともに猟をする仲間と一緒に食べたりするところまで、本人たちの言葉を交えながら紹介する。5人の経歴や、猟師になってからの期間、また長野、石川、兵庫、大分と、猟のスタイル、獲物、などはそれぞれ。
この本が避けて通れないのは、なぜ「わざわざ」猟をして動物を殺して食べなければならないのか、というテーマ。しかし、我々が普段スーパーで買って食べている肉は、単に他人がどこか目に見えないところで処理してくれているだけで、それを自らやっている人やその行為を批判する人の気が知れない。むしろ、この本に書かれているように、自分の手で奪った命を想い、大切に処理している彼らの方がよっぽど命に対して礼を尽くしており、切り身になった肉に対して普段何も特段のことを感じてない(はずだ)我々の方がそういう意味ではよっぽど命に対して傲慢だと思う。
農村地帯の過疎化が進み、山里に人の手が入らなくなるにつれ、また温暖化も影響しているかも知れないが、鹿、猪、猿、などの数は爆発的に増えているんだろう。ちょっと地方に行って道の駅に寄れば、鹿肉や猪肉の加工品を目にする機会が多い。ジビエ肉が東京のスーパーなどへもだんだんと流通するようになって、普段の食卓にもちょいちょい登場するような日がそのうち来るかも。政策主導の地方活性化に大きく期待はしていないが、都会に出てくるばかりが能ではないと地方を目指す若者もじわじわと増えていると思う。農業をするなら、獣害は必ず関わってくる問題。農村をどうするか全体の問題として考えていかなければならないはず。 -
どの女性も猟に対する熱意と、自然に対する畏敬の念を抱いてましたね。パック詰めされている肉を食べている私たちが、この人たちを批難することはできません。ただただ尊敬するだけです。