- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784778313937
作品紹介・あらすじ
私たちの持っているもので人から借りていないものがあるだろうか?「借り」を軸に『聖書』『ヴェニスの商人』『贈与論』などのテクストを読みなおし、「借り」の積極的価値を考察する。資本主義再考の基本文献、待望の翻訳。
感想・レビュー・書評
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貸し借り▶等価交換が金融資本主義になり、負債になった。
等価交換があれば、関係性が続く。人は一人で自律して生きることはできず、人は関係性の中で生きられる。
借りが負債になったことで、奴隷関係になるようになった。
そして人は、社会システムのパーツとなって組み込まれるようになった。顕著な例はただ株の売買をして金銭を稼ぐデイトレーダーである。
人は愛と感謝を忘れずにいれば、返す借りと返さなくてよい借りが判断、選択できる。人との関係性の中で、選択すれば良い。
そうすうることで、人は自由になることができる。
そういう借りに基づく社会システムが必要である。
本書は金融資本主義を激しく避難し、借りに基づく新しい社会システムが必要であると警鐘を鳴らしている。
ただ、新しい社会システムが何か、がもっと知りたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まず、哲学の本なのにこれだけ分かりやすいのにちょっと感動しました。
これからは共感と思いやりの世界、それは恩送りがキーと思っており、「借り」の概念を考察し論理を発展させていく本書の内容は素晴らしいの一言です。
封建主義から資本主義へ、そして次の段階へと進む流れが理解できます。どうやれば実現できるのか、読後みんなが考えるべきテーマです。 -
借りの概念を考察する前に、著者は贈与に対する哲学的な捉え方と社会学的な捉え方の違いに言及している。そして、この2つの考え方の対立を解消するためには、肯定的に捉えた借りを復活させることだと提案している。
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【由来】
・原先生から8/7に借りた。もともとは内田樹がモースの贈与論ということで言及しているのをどこかで読んだのがきっかけだった記憶が。
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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【目次】
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話としては面白い。だが細かい部分がよく分からない。
・家族のところがよく分からなかった。
・「借りを拒否する人々」が批判されているようだったが、その内実があまり明確でなかった。
借りを否認する者としての自律信奉者と、借りから逃走する者としての機会主義者が批判されていたように思われる。前者に関して、批判のポイントはわかりやすい。完全な自律というのはありえず、誰にも借りを負わないということは不可能であるし、目指すべき理想としても不適切である、だから、借りなしに完全に自律していると信じることやそれを理想と見なすことは誤りである、と。
しかし、後者に関してはよく分からない。借りから逃走しても、孤立的な生を歩んでしまってよくないとか、社会のネットワークにタダ乗りすることは自らを部品化してしまうことになるとか、いつかは最大の借りを返さなければいけなくなるという点が書かれていたが、別に良いのではないか。さまざまな部品に生成変化しながら生きて何が悪いのか。いつかは返さなければいけなくなるのが良くないのだとすれば、逃げおおせるならそれで良いのか?
この批判の不明確さは、結論部と合わせるとさらに際立つ。借りや負債によって奴隷化してしまうような人間関係や、借りを否認する人間と対照して、「借りを返さなくてよい」というあり方を主張する。それは、他人の借りについての態度としてはお互いに借りを取り立てないようにする、自分の借りについてはそれからの逃亡の可能性(ある借りをそのまま相手に返せなくても、別の形でどこかに返す)を考えられるようにする、個人の態度とそれを保証する制度の導入を主張するということである。
だが、機会主義者であることを全面的に保証することではないのか? 現代の機会主義者と、著者の理想とする「返さなくてよい借り」論者は、借りを元のところにちゃんと返さないということでは同じである。どこかに返すという意識の有無が、重要な差なのだろうか。うーむ。 -
TSUTAYA湘南にあり。
こんどゆっくりと読みたいー -
資本主義は一旦は人間を「借り」から解放した。「借り」の負の面をコントロールしながら、「借り」が人のつながりをつくる世の中を実現できないだろうか?を考える本。借りの負の面に言及しているものの、「マイナスの借り」にも考察が必要ではないだろうか?それは本書では「罪」と「赦し」として語られているが、「加害者が被害者に借りがある状態」と「マイナスの借り」は別の問題として存在するように思う。
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この本は、千夜千冊で「ここ数年で一番ボクをさわやかにさせてくれた本」と紹介されていた。そりゃ、読むしかないじゃないか!
http://1000ya.isis.ne.jp/1542.html
著者のナタリー・アルトゥ=ラジュは哲学専攻で、フランスの雑誌副編集長らしい。千夜千冊から引用させてもらうと、「人間はつねに他者からの借りで生きている」「どんな時代の者も先行する世代からの借りの中にいる」「借りのない生などありえない」ということだ。
もともと、この手の議論は「贈与」という視点になる。「贈与」は「返礼」を求めるのか、求めないのか。ボクの感覚でいえば、恩義は感じるかもしれないが、「返礼」をするときも、しないときも、それはあるとなる。この「恩義」をここでは「借り」というらしい。
「贈与」は「借り」とセットであり、「返礼」をもとめなくとも「借り」と一緒に贈られる。もしくは、受け取られると著者は言っているようだ。その「借り」は、ときに本人に返す場合もあるが、本人に返さずとも、別の人や、世代に返すことにも繋がる。始点を変えれば社会的責任を果たす、後世に伝えるということにもつながっていくと思う。
ボクは本書の最後の部分も印象的だった。引用しておく。
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人は新しい自分の可能性を追求するために、ほかの人との関係を弱めたり、ちがうものに変えたり、あるいは「関係」そのものを断ち切ったりしなければならないのだ。それによって、人はあらかじめ決められた人生から自由になり、自分だけ未知の人生を切り開いていくことができる。私たちはそうやって新しい自分を目指し、これまでとはちがった存在になるのである。「《借り》をもとにした社会」をつくることは、そのためにこそ必要なのである。
(引用終わり)
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