戦場のメリークリスマス: 影の獄にて 映画版

  • 新思索社
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783510789

感想・レビュー・書評

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  • ヴァンデル・ポストの作品を今年は色々読んでいます。そもそもはカラハリ砂漠のブッシュマンについて調べていて、ネットで検索していたら戦場のメリークリスマスが出てきて、あの有名な映画の原作者である事を知りました。
    ついでに映画も観ましたが、映画だけでは原作に書かれていることを理解するのは困難ですね。あくまでも中心人物はセリエです!セリエは弟に対する罪の意識を贖罪し昇華することで無私の人となったのです。これはキリスト教の教えでもあります。ヨノイとの関係を同性愛とする解説も見受けられますが、違います。葬式の実施、饅頭の配布、処刑の身代わりとセリエの行動を見れば分かります。日本人が映画を、見ると日本人目線で物語を見てますしまいますが、あくまでもイギリス側から見る方が原作に近いです!ただしヨノイもハラもその時の状況に応じて人間的に判断していると描かれているのも忘れてはなりません。

  • 大島渚の『戦場のメリークリスマス』を民放映画番組で観たのはまだ未成年の時だったと思う。物知り顔の文化人気取りたちが、自らのセンスの良さを誇示するために話題にする「有名タレントを使ったセンセーショナルな前衛映画」だとその時は感じた。
    しかし今考えてみれば、どんな映画でもそれをを制作するというのは当然大変なことで、莫大な資金と、綿密なスケジュールと、多数の共働者の賛同を必要とする非常に骨のおれる作業だ。映画には原作を持つものがある。映画の原作とは、この骨のおれる作業をしてでも実現させたいと、作家(映画監督)の創作モチベーションを掻き立てるほどの物語なのである。それをこの『影の獄にて(本書)』は教えてくれる。
    本書の三部作で著者が伝えたいのは、戦争は悲惨な惨事という側面だけでなく、その特別な状況ゆえに、どんな人種、どんな国籍、どんな性別であろうとも、人間が自分自身の生を知ることの出来る有益な時間をももたらす、という驚くべき発見である。そしてそれは恐るべき事実かもしれない。本書を原作とした『戦メリ』が悲惨で残酷な反戦教訓映画ではなく、「美しい」「感動的」「奇跡的」と評される不思議は、このことに由来するのかもしれない。

    『影さす牢格子』
    ハラ軍曹とロレンスの不思議な友情物語。
    共通する「篤い信仰心、国家愛、強い正義感」、但し宗教も国籍も違い、戦争で対峙する相手同士。
    そういう者同士が捕虜収容所という特殊空間で出会うことにより、奇跡的な関係性を生む。その奇跡はクリスチャンであるロレンスにとって、クリスマスの出来事を最も印象的なこととして記憶される。

    『種子と蒔く者』
    恵まれた頭脳と能力、容姿に生まれたセリエ。完全を求められる周囲からの期待をこなして生きていく中で、世界の不完全を発見していく。その発見に導いたのは自分と正反対の弟。障害を持つ弟は鈍重で、歌うことと田畑を耕し適切に種を蒔くことしか取り柄がない。弟はセリエが在学する寄宿学校に入学するが、新入生への「イニシエーション」で残酷な仕打ちをされる。セリエはそれを止めることの出来る立場であったが、しなかった。そのことの後悔を中心に、セリエは世界の不完全に翻弄され、精神を蝕まれていく。
    そんな中、戦争勃発のニュースが入り、精神の救いを見出だす。"人生の目的が甦り、素晴らしいことが約束されているように感じた"116
    肉体と精神の活力が沸き上がり、セリエは町の志願兵第一号になる。
    戦地での多くの命知らずな活躍で称賛され、その後パレスチナに赴任。そこでマラリアに罹り「神憑り」をする。現れた主は、そこにユダが居ないことを指摘し、セリエは「私がユダ」であると告白し、さらに「私は弟を裏切ったユダ」だと説明する。主は「私はユダと和解し自由を手に入れた。私にユダが必要なように、お前には弟との和解が必要だ。」と述べる。セリエは開眼し、戦地を去って弟の居る故郷に向かう。セリエは故郷で過去の裏切りを弟に告白し、和解する。
    その後服務したセリエは各国を転戦した後、日本軍に捕まった模様で、処刑されそうになるが直前になぜか執行猶予になり、ボロボロの容態でジャワの捕虜収容所に入れられる。執行猶予の理由は、所長のヨノイに「容姿が気に入られた」からだと言う。
    ヨノイはセリエの治療と介抱を命令し、回復の暁には俘虜長を任命する心積もりである。セリエが回復したその日、収容所の捕虜全員が広場に並ばされる。ヨノイはそこで前俘虜長を虚偽を働いていたかどで処刑しようとする。突然そこにセリエが割って入る。「キサマ下がれ!」と撲打されセリエは倒れるが、立ち上がりいきなりヨノイを抱きしめ頬にキスをする。動揺したヨノイはそのまま卒倒し、セリエは周りの日本兵に暴行され連行される。そしてセリエ以外の捕虜は助かった。その後、首だけを出し生き埋めにされたセリエは、弟の歌を歌いながら数日後亡くなる。その夜、セリエの亡骸の前に現れたヨノイは、セリエの遺髪を切り取り、深く敬礼する。
    終戦後戦争裁判にかけられたヨノイは、セリエの遺髪を没収される。死を悟った彼は、通訳のロレンスに遺髪を取り戻し、私の代わりに故郷の神社に奉納してくれと懇願する。ヨノイの話は"それは自分が会ったなかで、いちばん立派な男の髪の毛である。その男は敵側で、もう死んでしまったが、それでもやはり大変立派な男で、自分は決して忘れない。その髪をとったのは、それを祖先を奉った神社へ奉納し、その男に後世の住処を与えんが為。(それが出来なければ)自分は死んでも、死にきれない"。
    結局ヨノイは死刑を免れ故郷に帰る。そして後日ロレンスから送られたセリエの遺髪を神社に奉納する。
    セリエの弟が「蒔いた種」はセリエを通じジャワの捕虜収容所、ヨノイとその故郷の神社、そしてロレンスに植えられ芽吹いた。
    "風と霊、大地と人間の命、雨と行為、稲妻と悟得、雷と言葉、種子と蒔く者-すべてのものはひとつだ。自分の種子を選んで欲しいと言い、あとは、内部の種子蒔く者に、みずからの行為のなかに蒔いて欲しいと祈ればよい。それだけで、ふくよかな黄金なす実りは、すべての人のものとなるのだ"

    『剣と人形』
    ロレンスの物語。ここでは剣(男の子が遊ぶオモチャ)と人形(女の子が遊ぶオモチャ)を比喩にして、男女の本能的な世界(戦争)への関わりかたを話している。

  • 2018年12月18日

    <Merry Christmas, Mr. Lawrence Laurens : A Bar of Shadow>
      
    装幀/ミルキィ・イソベ

  • 映画を観てよくわからなかったので本を読んだら更によくわからなかった。
    文化とか年齢とか感覚が違うんだろうというのもあるし、文章が詩的すぎてよくわからないのもある。
    そういうのを割り引いてもホモソーシャルな価値観が受け付けない。

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