- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787232724
作品紹介・あらすじ
ミュージアムパークとしての上野公園、近・現代の「暴力」そのものを展示する遊就館、1980年代の文化的象徴=セゾン美術館などを取り上げながら明治期以降の歴史をたどり、グローバリゼーションなどを俎上に載せて美術館という思想を縦横に批評する。
感想・レビュー・書評
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新美術館や日本民藝館、セゾン美術館といった個々の美術館に焦点を当てながら、日本に存在する美術館の現状やそれが抱える課題を明らかにしている。新美術館は英語では「ミュージアム」という名称を使われていないことや、最近閉店したリブロを含むセゾン文化が衰退に至る経緯についての話は興味深かった。制度体制的な問題点についての言及もされているが、やはり美術館という枠が日本の文化歴史にどれだけ根付いているのかが根本にあるのだろう。もちろんそれは美術館の問題だけではなく、日本という社会が抱える問題点そのものでもある。
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美術評論家の暮沢剛巳(1966-)による21世紀初頭の博物館・美術館事情を論じたもの。
東京国立博物館や日本民藝館といった歴史ある博物館から、国立新美術館、森美術館、金沢21世紀美術館などの新鋭美術館まで、それぞれが背負い目指す文化的使命は異なる。(当たり前だが)
評者は美術については全くの門外漢なので、著者の主張が的を射ているものかどうかはわからないが、冒頭で提示された欧米に比して日本の博物館・美術館の集客力の低さという点は納得できる。
また、箱(建物)だけで中身(美術品)を伴わない、新国立美術館への言及はなるほどと思わされた。
しかし、一方で著者が啓蒙を呼びかけたい「現代美術」や「情報ネットワーク」という近代的な展示方法に収まりきらない芸術をどう扱うのかという点は極めて難解である。現代美術に興味ある一握りの人のために国公立博物館・美術館があるわけではないという点も十二分に考慮されるべきだろう。
モダンとポスト・モダンの断絶を埋める企画を通じて啓発を続けていくしかないのかもしれない。
本書は基本的には前半と後半に記述の断絶があり、その意味で全体の整合はいま一つである。また、後書きで著者が「うってつけ」と言っている署名の「政治学」という語については、評者はふさわしくないと感じた。本書はシンプルに美術館論であり、それを動かす政治力学についての描写は皆無と言っていい。 -
[ 内容 ]
国立新美術館をはじめとする美術館の建設ラッシュは、何を意味しているのか。
明治期以降の美術館の歴史的展開をひもときながら、思想としての日本民藝館、ミュージアムパーク=上野公園の記憶と美術、近代史の矛盾を抱える遊就館、80年代文化の象徴であるセゾン美術館、地方都市の地域文化と美術館の関係性、指定管理者制度をはじめとする美術館経営などの具体的な問題群を取り上げて、文化装置としての美術館をめぐるさまざまな政治的力学を解明する。
美術館という“場”を批評的に読み解き、マルチカルチュラリズムやグローバリゼーションをも議論の俎上に載せてその可能性に光を当てて、縦横無尽に美術館を語り思考するミュージアム・スタディーズの成果。
[ 目次 ]
序章 日本のミュージアムの現状と課題とは?
第1章 万国博覧会という劇場
第2章 思想としての日本民藝館
第3章 上野公園の美術と記憶―ミュージアムパークのゆくえ
第4章 戦争展示のポリティクス―遊就館の両義性
第5章 セゾン美術館から森美術館へ―“文化”の転換と美術館
第6章 ICCとメディアアートの(不)可能性
第7章 美術館と地域文化
第8章 国公立美術館の現状と課題―独立行政法人と美術館経営
第9章 グローバリズムのなかの「ミュージアム」
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