ホロコースト後のユダヤ人―約束の土地は何処か (金沢大学人間社会研究叢書)
- 世界思想社 (2012年10月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784790715757
作品紹介・あらすじ
ホロコーストの嵐が吹き荒れるなか、ユダヤ人に逃走する理由がありすぎるほどあったとすれば、戦後、彼らはなぜ、もとの居住地に帰還して生活を再建せず、ヨーロッパを去ったのか。彼らは、どこに行きたかったのか。日本におけるユダヤ人DP(Displaced Persons)問題研究序説。
感想・レビュー・書評
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200頁にも満たない小著ですが、密度は濃く、パレスティナ問題を理解するうえでの入り口として勉強になりました。
現在のイスラエルはどのような経緯で建国されたのか。ホロコーストにより深い傷を負ったユダヤ人たちは、シオニズムの勃興と相まって約束の地があるイスラエルを建国した。間違ってはいないが、解像度を上げるとその経緯も複雑であり、ユダヤ人たちも一枚岩ではない。
本書に出てくる言葉にDP(Displaced Person)がある。難民と訳されることも多いとのことだが、本稿でのDPは戦後間もない頃の狭義的な意味であり、平たくいえばタイトルにある「ホロコースト後のユダヤ人」を指すといってよい。(当時のDPの定義は本書内でしっかり説明されている。)
ホロコーストにより収容所へ強制移住されたユダヤ人たちは、連合国側の勝利によって解放される。しかし、なぜDPが現れるのか。
考えてみれば、ドイツだろうがポーランドだろうが、どこに住んでいたのであれ、連合国側により解放された以上は元々住んでいた場所に帰れば済む話である。DPという立場になったとて、それは帰還までの一時的な措置であるはずだ。実際、連合国側(アメリカ)はDP収容キャンプでDPたちの生活を手厚く保護しており、それは一過性のものであるという算段でいた。
だが、事はうまく動かない。
イスラエル建国時、ユダヤ人移住者たちの大半はポーランドとルーマニアからだった。なぜ彼ら彼女らは解放後も元々住んでいた国に帰ったにもかかわらず、イスラエルという新たな国に移住したのか。
まず、ポーランドはナチの勃興以前から反ユダヤ主義が盛んな国であり、戦後わが家へ帰国したポーランドのユダヤ人たちには悲惨としか言いようがない迫害が待っていた。
「戦間期にすでに十分に暴力的であったポーランドの反ユダヤ主義は、戦争中、ナチという手本を得てさらなるレベルアップを遂げ、ユダヤ人の殺害を何とも感じぬ凶暴さが戦後ポーランド社会を覆っていた」
ポーランドのユダヤ人が強制収容所に送られたあと、その住んでいた家にポーランド人が住み着いていたこともあったという。比喩でもなんでもなく、帰国したところで家がないのである。そして、ポーランド社会の空気は上記のような有様である。取り戻せるはずもない。
また、当時の反共思想もあり、ユダヤ人=共産主義者というレッテルが貼られていたことも重要だろう。
(余談だが、私が20年ほど前にクラクフの近くにあるアウシュヴィッツへ行った際、たしかに負の遺産としてのシリアスさはあるのだが、極端なほどに観光地化がされており驚いたことがある。もちろん、それがポーランドに根付く反ユダヤ主義に由来するものというわけではないが、ホロコーストという陰惨極まる事象と比較すると、そこまで深く重く受け止めていないかのような印象は少なからず残った。)
もうひとつのルーマニアに関しては、反ユダヤ主義は場所によるらしいが、パレスティナへの移住に関しては当時発生した飢餓が大きく影響しているという。
そのような理由から、DPたちには移住先となる国が必要となる。そこで出てくるのが約束の地があるパレスティナだが、それもすべてのDPたちが約束の地を求めたわけではないという。実際はアメリカやカナダに移住したい希望を持つユダヤ人もいたし(アメリカには移民法の関係でなかなか叶わなかったようである)、本書の最後ではドイツに帰国したユダヤ人も少なくないという一節が紹介されている。
しかし、シオニストたちは約束の地にこだわるわけであり、それは当然ながらパレスティナのアラブ人たちとの戦争を意味する。
ホロコーストを命からがら生き延び、連合国の庇護のもと収容キャンプで暮らすユダヤ人DPたちを実質的な強制徴兵でリクルートし、銃の安全装置の外し方さえ知らないユダヤ人の若者が中東戦争に巻き込まれていく様は悲惨極まりないものである。
また、パレスティナ問題に関して、当時パレスティナの委任統治国であったイギリスの罪が問われることも少なくないし、間違いというわけではないのだが、それも当初はアメリカからの要望でありイギリスは拒否していた。拒否の理由も石油利権を考えてのことであったりするので、あまり褒められたものではないだろうが、とにかく連合国側の論理はユダヤ人DP問題の解決であり、結果的にはその解決法が新たな問題を作ることに至る経緯も書かれている。
単純な加害/被害という二項対立では到底おさまらない様相が描かれており、改めてパレスティナ問題の複雑さを知らされる一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/60576 -
神を畏れぬシオニズムの行為こそホロコーストの原因だったのであり、ホロコーストはシオニズムに対する神の懲罰。
1945年6月時点でポーランドにいたユダヤ人は7万4000人。そのうち5500人はドイツの収容所からの生還者で3万人はリトアニア、ベラルーシ、ウクライナからの帰還。
戦後ポーランドではポグロムで多くのユダヤ人が犠牲になった。
ユダヤ人とポーランド人が乏しい生計手段を奪い合っていた。
戦後欧州でのユダヤ人DPの状態はアメリカに、絶滅ということを別にすればナチス時代と同様に扱われている、とレポートされた。
ゲットーの地獄やナチスの強制収容所、ソ連の労働キャンプを生き抜いた者たちが切望しているのは平凡な日常の回復であり、再び戦火に行くことではなかった。 -
ナチ後のユダヤ人の移動とイスラエルのこと。
第一部はユダヤ人DP(displaced persons / 難民)発生の経緯と世界の反応。
第二部はユダヤ人DPとシオニスト・イスラエル建国の関係について。
戦争による難民は戦争が終われば減っていくはずなのに、戦後のドイツやオーストリア(の難民キャンプ)にはユダヤ人難民が押し寄せた。
ナチがいなくなっても故郷の反ユダヤ主義はなくならない。
ナチに奪われた財産の返還を求めるだけで殺されたりする。
だから故郷を脱出し、難民キャンプを経てアメリカ大陸やイスラエルへ移住する。
イスラエルを目指すのは必ずしも「約束された場所」を求めるからではなく、「居ていい場所」が他にないから。
ナチの悪(→己の正義)を主張したい連合国はユダヤ人を痛めつけるなんてわけにはいかない。
けれど大切にしたいわけじゃないから、ゴミ処理場みたいに、「必要だけどうちには来ないで」とみんなが思い、断る力のないアラブに押し付ける。
「もてあます」って言葉がしっくりくる扱いだ。
イスラエル建国は「マダガスカル計画」を上手に、もうちょっと人道的にやったようなものだったか。
ホロコーストそれ自体について知ろうとするときは、ナチが絶対的に悪だから、ひどいことはひどいんだけどまだ気が楽だ。
その後の話はつらい。世界中に無視されてヨーロッパ中で殺されて、ホロコーストが終わってもポグロムは続いて、世界中でないがしろにされる。
そんな風に扱われたユダヤ人が自分の場所を求めるのは当然の流れだけど、アラブにとばっちりがいっていい理由にはならない。
虐待の連鎖を見ているみたいでつらくなる。
それはナチ後もポグロムまでおこすポーランドや、その他の「去る者追わず」な国や、そもそものドイツも同じだ。
強いものに叩かれる人たちが、叩きやすいものを叩く側になる。
表紙に薄くどんとある「DP」の文字は難民のこと。
難民という訳でほぼあっているけれど、特定の意味でつかわれることもある。
この本では特定の意味。すなわち第二次世界大戦後に使われた用語で、戦争に起因して移動を強いられた(強制労働・強制収容を含む)「連合国側の」もしくは「枢軸に敵視された」難民。らしい。
序章からDPの文字があって、これなんだろう説明してくれないとわからないようと思ったけれど、きちんと読んだらこの順番じゃなきゃいけないんだとわかる。
丁寧に考えられている。薄いわりに読み応えがある。 -
第二次世界大戦時、ドイツはユダヤ人に対して組織的大量虐殺(ホロコースト)を行った。しかし、ドイツが破れ戦争が終結すると彼らはもとの居住地に戻ることなくヨーロッパを去っていった。なぜ土地を捨て去ったのか、またどこへ行ったのかを詳しく知ることができる。
(匿名希望 外国語学部 外国語)