現代思想 2016年10月号 緊急特集*相模原障害者殺傷事件 (青土社)

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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791713301

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  • 2016.10―読了

  • 2016年7月26日、相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件について、様々な立場の人が論考を寄せている。優生思想から述べているのが多い。


    <blockquote>上野千鶴子
    ・齢を重ねる、とは弱いを重ねる、ということ。加齢とは、昨日できたことが今日できなくなり、今日できたことが明日できなくなる、という経験。

    ・いついかなるときに、自分が弱者にならないとも限らない。・・・それだからこ弱者にならないように個人的努力をするより、<span style="color:#0000ff;">弱者になっても安心して生きられる社会を</span>、と私は訴えてきたのだ。</blockquote>

    <blockquote>大澤真幸
    ・ほとんどの人が、こう思っているし、こう言って子ども達を教育しているのではないか。「他人に迷惑をかけてはいけないよ」と。・・・
     しかし、これには、なおどこか落とし穴のようなものがあるのだ。・・・・・・ほんとうに、迷惑をかけることは何もかもいけないことなのか。考えてみれば、<span style="color:#0000ff;">人が生きるということは、ほとんど常に、人に迷惑をかけることでもある。</span>そして、この当たり前の規範が、障害をもつ人にとっては抑圧的なものになりうる。

     (「車輪の一歩」を取り上げて)(三浦綾子さんも)
     「他人に迷惑をかけたっていいではないか」
     そうである。私たちは次のように言えなくてはならないのだ。他人に迷惑をかけてもよいのだ、と。</blockquote>


    <blockquote>木村草太
    ・「人の命はすべて尊く、いらない命はありません。優生思想は誤っています」と唱えれば、問題は解決するだろうか。おそらく無理だろう。優生思想は、「人の命はすべて尊い」という価値観を否定する。「重度の障害者は、人の手を煩わせるばかりで何の生産性もない。コミュニケーションすらできない。そんな人に価値はない」と考える人にとっては、何の説得力もないだろう。

     優生思想を克服するには、「そんな発想は誤りだ」と非難するのではなく、その合理性をさらに突き詰めた時の結論と向き合う敷かない。

     障害者を排除すれば、障害者の支援に充てていた資源を、他の国家的な目標を実現するために使えるだろう。しかし、それを一度許せば、次は「生産性が低い者」や「自立の気概が弱い者」が排除の対象になる。また、どんな人でも、社会全体と緊張関係のある価値や事情を持っているものだ。タバコを吸う人、政府を批判する人なども、社会の足手まといとみなされるだろう。国家の足手まといだからと、<span style="color:#0000ff;">誰か一人でも切り捨てを認めたならばその切り捨ては際限なく拡大し、あらゆる人の生が危機にさらされてしまう。だから、人の命に価値序列をつけることは許されないのだ</span>。</blockquote>

    <blockquote>白石清春
    ・力の強い者、スポーツが上手な者、頭が切れる者、才能のある者等、人間にランクが付けられていく現代の競争至上主義の社会。でも、ここで考えたい。・・・いったいどれだけの体力差があるというのか。その差はほんの微々たるものであるだろう。その微々たるものの差がかたや何十億の利益を得るようになる社会システムに問題があるのではないのか。<span style="color:#0000ff;">競争社会の中で人間が勝手に「力の差」という物差しを使って人間をランク付けしている</span>。
    ・・・
     障碍者は競争できないし、現代社会で働くこともままならないし、兵隊になっても戦争もできないし、そのような視点から観ると、いたって平和でのんびりとした人間なのである。世界中の多くの人間が、平和で時間に縛られないのんびりとした障碍者の存在を認識し、共に生きることを選択すれば、社会(世界)は変化していくと私は信じる。</blockquote>

    <blockquote>星加良司
    ・事件を解釈する枠組みとして「テロ」の可能性が示唆すらされなかった。・・・事件の様相が明らかになる前段階において、その可能性にすら言及されなかったことに、不自然さを感じたということなのである。

     「テロ」報道に典型的なのは、我々の社会に対する外的な脅威として事件を描く図式である。そのために、加害者側が、理解しがたい思想や心情を持った絶対的な「他者」であることを強調する一方、<span style="color:#3300ff;">被害者側には、我々に共感可能なストーリー(夢や生き様、親しい人との関係などがあったことに焦点を当てることで、我々の社会の「内側」の存在であることを印象付ける。そうした構図を浮き立たせることによって、事件は我々の社会を理不尽に侵害する許しがたい暴挙とされ、人々の悲しみや怒り、憤りといった感情を喚起するセンセーショナルなものとなる。</span>9・11のテロを思い起こすまでもなく、最近でもバングラデシュ・ダッカでの人質立てこもり事件や、フランス・ニースの花火大会開場でのトラック暴走事件などの際に、我々はそうした図式のメディア報道を目にしてきた。

     <span style="color:#0000ff;">翻って、相模原での事件に関する報道について振り返ると、被害者を「我々」の側に位置づけようとする姿勢は、初めから決定的に欠けていたように思えてならない。・・・事件全体の扱い方として、被害者を共感の対象とするような情報の提示は著しく少なかったように感じる。・・・恐らくそれは、我々の多くがこの事件を「我々の社会に対する脅威」というフレームで解釈する対象とは見なしておらず、</span>だからこそメディアの側もまた、そうした図式で人々の耳目を集めるニュースではありえないことを敏感に−−そして正確に−−察知していたということではなかったか。

     ・・・<span style="color:#ff0000;">この事件がいかに残忍で卑劣な犯行であったとしても、それが「我々の社会」において「我々」に対して向けられたものだというリアリティを、多くの人は感じなかったということではなかろうか。私が直感的に覚えた違和感の正体は、まずは、この社会が重度知的障害者をこれほど絶対的に他者化しているという事実を、改めて突きつけられたことへのショックだったのだと思う。</span>

    ・まずは、障碍者の他者化をいっそう強化し自然化するようなこうした趨勢に対して、それに抗する言葉を生み出す努力を始めなければならないのだと思う。</blockquote>


    <blockquote>杉田俊介

    ・<span style="color:#0000ff;">役に立つか立たないか、という物差しをもし使うならば、誰の役にも立っていない人生はある。他人に迷惑をかけ続けて終わっていく人生もある。それはある。
     けれども、役に立たなくても別に構わない。社会や国や誰かの役に立たなくとも、あるいは誰かに負担や迷惑をかけていても、生きていることはいいことである。なぜなら、生きることは、比較や線引きの対象ではなく、そのままでよいことだから。</span>それを言えたとき、他人に対してそう言えたとき、ようやく新しい問いが始まる。</blockquote>


    <blockquote>廣野俊輔

    ・障害者にとって生きにくい社会を自分たちの都合で作っておきながら、子殺し等の事件が起こった場合には、加害者に同情を寄せることの欺瞞。</blockquote>

著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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