- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791763399
感想・レビュー・書評
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『バルテュスまたは本質的なものの探求』という気取ったタイトルが『芸術と脳科学の対話』という邦題になっているのがちょっと悲しい。売れるタイトルを考えた出版社の思惑もあるのだろうし、私自身この邦題をみて、何だろうと関心を思ったのだけれど。
もっとも、芸術と脳科学が対話なんかできるもんかと私は思ったのであり、帯にもこんな台詞が引用されている。「あらゆる芸術的な努力とは、脳の巧みな機能の実験なのです──ゼキ。脳だけが動きを表象できるわけではありません──バルテュス」。2001年に亡くなった画家バルテュスと『脳は美をいかに感じるか』の著者ゼキとの対話である。原書の出版は1995年。予測されたように最初から話は噛み合わない。
「脳」が流行して久しい。例の「脳科学者」の活躍をはじめ、書籍を「脳」で検索してみると「脳の変化でみる女の一生」「脳に効く」「戦争する脳」「脳がすっきり」「脳力アップ」「脳ドリル」……すっかり主体の座は「脳」に奪われてしまったようでもあり、「脳」こそ人間の最大の道具のようでもあり、いったいわれわれ自身が「脳」なのか、脳に騙されたりする対象なのか。正直、私は辟易としている。「あなたは脳のことばかりですね」、バルテュスのいらだちに拍手する。
とはいえ、私はバルテュスの名前と少女を好んで描いた画家というくらいの世評しか知らなかった。『ニーチェと悪循環』のクロソウスキーの弟だとか、妻が日本人だとか、抽象絵画には批判的だとか、本書を手にしてから知った。分析し、普遍化し、知りたいゼキと、総合し、個別化し、知らずにおいておきたいバルテュス。第1の会話はまったく物別れに終わる。「結局のところ、あなたにとって芸術家とは何なのですか?」というバルテュスの問いに対するゼキの答えもまた評者には要領を得ない。
しかしゼキも馬鹿ではない。バルテュスも対話を拒むペダンティストではない。なんとか共通の話題を見出そうとする努力が続けられる。ゼキは脳がどのように機能するかの知見を持って切り込もうとするが、バルテュスは絵画は脳で描くものではなく、手で描くものと思っているようである。彼は画家を職人と規定し、自身を十九世紀の人間という。ゼキの質問する態度は性急だが、そこに科学の傲慢を見るのはもっと性急だと訳者はいう。ゼキは敬愛する芸術家を前に無邪気に質問しているのだと。とはいえ、バルテュスの対話者としてゼキの質問の投げかけ方はまったくもって不首尾で、「本質的なもの」が探求されたとは思えない。
バルテュスの愛好家には興味深い点もあるかと思うが、あに図らんや、『芸術と脳科学の対話(なんかできるもんか)』という本だったと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示