- Amazon.co.jp ・本 (700ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791768479
感想・レビュー・書評
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現在までに、多くの種類の暴力が減ってきた。なぜそれが実現したか。下巻は心理学・認知科学的な考察。
我々は人類史上最も幸せな時代を生きている。心構えとしても大事だし、実際に統計でそれを示すというのは実に野心的だがデータに説得力がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白かった。人類の歴史を通じて、暴力が減少しているというのは非常に興味深い指摘である。ただやっぱり統計の妥当性は本当なの?という点が気になってしまう。全然レベルの違うものを同じ土俵に載せている気がしてならない、というか…。
心理学の知見を歴史学に持ち込めるか、という点も議論があって面白い。日本の歴史学ではほとんどそういう傾向はないけれど…近いものとして、認知考古学があるけれど…。以前神経経済学の本を読んでこれはすごいことだ、と思ったが、歴史にもそういう流れが今後入ってくるかもしれない。そうなったときに、既存の手法をもっている歴史学者は徐々に駆逐されていく…のかもしれない。 -
上下合わせて1300ページを超える並外れたボリュームの本書。これだけの紙数を割いて、今日、我々が暮らす時代は、人類が地上に出現して以来、最も平和な時代であることを主張する。
テロ、紛争、無差別殺人といった悲劇的なニュースで毎日が溢れている現代であるが、それでも我々は最も平和な時代に生きていることを示すため、膨大な量の統計データとともに人類の歴史を振り返る。
暴力性の後退が6つの大きなトレンドに分類して考察されている。
1.狩猟採集から統治機構を持つ農耕社会への移行に伴う「平和化のプロセス」
2.中世後半からみられた中央集権的統治と商業基盤の確立による「文明化のプロセス」
3.ヨーロッパ啓蒙主義によって奴隷制や拷問・迷信などを克服した「人道主義革命」
4.第二次第戦後に超大国・先進国同士が戦争しなくなった「長い平和」
5.冷戦終結後に紛争・内戦・独裁政権による弾圧が低下した「新しい平和」
6.1948年世界人権宣言以降に少数民族や女性に対する暴力が嫌悪されるようになった「権利革命」
著者は特に3つめの「人道主義革命」に注目する。この時代に暴力を見る目を大きく変わったのだ。残虐行為を「あって当然」から「ありえない」へと変容させた人道主義革命。それを駆動した要因が書籍。グーテンベルクによる活版印刷の発明を経て、17~18世紀に出版物は爆発的に増加し、それに伴い識字率も飛躍的に向上。読書により、さまざまな人や場所、多様な文化やアイデアに触れ、人びとの感情や信念に人道主義的要素を吹き込むことにつながっていくのだ。
暴力が減少していく一方で、人間の理性の力と抽象的推論能力は向上していく。2つの力の組み合わせによって、私たちは自己の経験に囚われることなく、広い視野を持ち、暴力回避という選択肢を選ぶことができるようになっているのだ。自身の経験にのみ基づくことが他者との摩擦を増大させ、その後の暴力の呼び水となることは想像に難くない。
今後も平和が続くと予測するものではないが、そうなるのだろうと期待を抱かせる大著であった。 -
下巻はいかに平和な時代になったかというその背景を分析したもの。
心理学の話が多いが、ゲーム理論的に効用の高い平和・平和の戦略よりも暴力が支配戦略だったのが、歴史的な知識の積み上がりやコミュニケーション技術の発達で繰り返しゲームになってきた。とはいえ第一次第二次世界大戦はベキジョウ的な戦争被害の曲線の橋にいるものとして突発的に存在しており、このような事象がなくなることを絶対視もできない。 -
ハーバード大学心理学教授として認知心理学を研究する著者が、人類の長年の歴史において実は暴力は減少しているということを解き明かし、何が人間を暴力に掻き立てるのか、逆に人間の暴力を抑制するものは何かという点を多用な学問領域の知見を活用して明確にした一冊。ようやく下巻も読了。
上巻では、人間の暴力を様々な観点から分類した後で、そのそれぞれの暴力形態が主に長期間の歴史的時間軸で見ると減少していることを定量的なデータにおいて示される。続く下巻では、人間を暴力に掻き立てるイデオロギー、ドミナンス、サディズムなどの「内なる悪魔」と、人間の暴力を抑制する共感やセルフコントロールなどの「善なる天使」が、脳科学や心理学の最新の知見・研究結果などに基づき示される。
本書の卓越したポイントは、何が暴力の減少に相関していて、何が相関していないのかを、イメージではなく一定の論拠と共に示したことにある。暴力の増加・減少に相関するのは、ホッブズが示すところのリヴァイアサンのような独占的に暴力をコントロールする国家の存在、穏やかな通商、女性化、輪の拡大、理性のエスカレーターが挙げられる。一方で、一見相関しているように見えるがそうでないものとして、兵器と軍縮、資源支配と力、経済的な豊かさ、宗教などが挙げられる。各要素の相関関係を明確にしつつ、その全てで必ずしも因果関係があるかはわからないにせよ、今後も暴力をさらに減少させ平和な社会を作るために必要な要素や我々がすべきことへの示唆は十分引き出せる。
現代においてもテクノロジーへの嫌悪なども含めた反近代派は、一見テロや内戦に溢れた現代がいかに暴力に溢れた時代であるかという誤ったイメージを拠り所とした主張を行うが、そうしたイメージではなく、しっかりと歴史を見据えた判断をすることの重要性を本書は明らかにしてくれる。 -
詳細目次は、『上巻』への感想文に置いてある。
【抜き書き】孫引きです。
pp.484ー487
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理性の欠如が蔓延しているだけでも嘆かわしいことなのに、それでもまだ足りないのか、多くの評論家はもてる限りの理性の力をふるって、理性が過大評価されていると言いつづけてきた。〔…中略…〕左寄りの「批判理論家」とポストモダニストも、右寄りの宗教擁護者も、ある一点にかけては合意する。すなわち二つの世界大戦とホロコーストは、啓蒙主義時代以来、西洋がひたすら科学と理性を育ててきたすえの有毒な果実だったのだと。
〔…中略…〕
ホロコーストが啓蒙主義の所産だという考えも、ばかばかしくて怒る気にもならない。第6章で見たように、20世紀の大きな変化といえば、それはジェノサイドが発生したことではなく、ジェノサイドが悪いことと見なされるようになったことだ。ホロコーストを象徴する技術的、機械的な殺害手段にしても、それは派手に大量の人間を殺したというだけであって、大量虐殺を行うのに必須のものではない。それはルワンダでの虐殺が血まみれの鉈で行われたことからも明らかだ。ナチのイデオロギーは、同時代の国粋主義、ロマン主義的軍国主義、共産主義の運動と同様に、19世紀の反啓蒙主義の所産だったのであって、エラスムス、ベーコン、ホッブス、スピノザ、ロック、ヒューム、カント、ベンサム、ジェファーソン、マディソン、ミルに連なる思想系列の一端だったのではない。科学の皮をかぶってはいたが、実際のナチズムは笑ってしまうほどの疑似科学で、本物の科学にあっさりそれを見破られている。哲学者のヤキ・メンシェンフロイントは、啓蒙主義の合理性のせいでホロコーストが起こったという説に関して、最近の著作のなかで卓見を述べている。
『ナチのイデオロギーは大部分において不合理だっただけでなく、反合理的でもあったのだと考えなければ、あのように破壊的な政策は理解しようがない。ナチのイデオロギーは、多神教に優しく、ゲルマン国家のキリスト教以前の時代を懐かしみ、自然に帰るとか「オーガニック」な存在に帰るといったロマン主義的な考えを採用し、世界の終わりを想像する黙示録的な思想を育て、そこで人種間の永遠の闘争がついに解決されると期待させた。〔…中略…〕理性主義と、それが関わっている嫌らしい啓蒙主義への軽蔑が、ナチの思想の中核にあるものだった。だからナチ運動の論客は、自然かつ直接的に世界を経験することであるヴェルトアンシャウング(「世界観」)と、概念化や計算や理論化によって実在(リアリティ)を解体してしまう「破壊的」な理知的活動であるヴェルト・アン・デンケン(「世界について考えること」)との矛盾を強調したのだ。「堕落した」リベラルなブルジョワによる理性崇拝に対抗して、ナチは、妥協やジレンマによって妨げられたり曇らされたりしていない、活力に満ちた自発的な生を標榜したのである。』
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