- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794210494
感想・レビュー・書評
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古本屋で見つけ『そういえば流行ったなぁ』と思い未読だったので購入し拝読。
内容は現代文・古文などでよく目にし耳にしたものが多く、馴染みのある構成にしてくれているので、懐かしみながら読み進められる。全てに興味があるわけではなかったので、所々端折りながらであったが、大人にならないと楽しめない著書だと感じた。
昔の娯楽を後世に伝える術としての文章・文体は、現代に準えると音楽(特にラップ)などへと形を変えて詩となり曲となり、大衆化して現代娯楽へと移り変わっていっているのかも知れない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宿題「〇〇ページから⬜︎⬜︎ページまで3回音読してきなさい」
みたいなんあったなぁと。
正直声に出して言葉を味わうようなものでない本読みの宿題は苦痛でしかなかった。
この本に書かれているような、言葉を発することにより味わいが生まれる本読みだともっと楽しくできたのかもしれない。
以下、印象的なシーン
・早口言葉
→これは言えても言えなくても楽しい。誰かとやっても楽しいだろう。
・大漁
→昔元気に朗読してた記憶がある。この詩の味わい深いところは、浜(人間側)では魚がたくさん賑やかだが、海(魚側)ではたくさんの仲間が捕まえられて悲しいという、別の側面から見ると正反対の感情が生まれていること。
・宮本武蔵の『五輪書』の解説で、「武蔵は、具体的な思考、吟味と鍛錬を経験的に蓄積していく、実に合理的、実際的な人物であった」の部分
→合理的の実際の意味するところはこのような経験から学ぶ姿勢という意味なのかなぁ。日常では合理的ってなんか効率のいい、無駄なことはしない的なニュアンスがあるけどそれもやっぱ経験を積んでこそなのかな。
・『道程』
→中学の時、友達が国語の授業でやたら「道程」を強調して音読してたなぁ笑
中学生男子に読ませる詩じゃないぜ笑 -
2017年3月17日読了。古典の冒頭部分などを中心に、リズムがよく著者・著作の思想や時代背景などをよく表している名文とその解説がコンパクトにまとまった本。このコンパクトさ、「気軽に読めて賢くなった気になれる」点、ある程度の年齢以上の読者なら誰でも「おっ、この文章知ってるぞ。そうかこれは名文だったのか、こんな名文を覚えている俺ってクールジャパン」といい気持ちになれるところがヒットの要因だったのだろう。「声に出すと気持ちいい日本語」があるのは確かにその通り、リズムのある文章を音読することは理解を助け、国語力を高める、という説に異論はないが、インターネットの文章など目で見て読んでざーっと流すものばかり・音読する時間なんてないし、外部環境の変化に応じて我々に求められる能力も変わっていくものなのではないか、と思う。
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面白かったけど、ちょっとダルい
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今まで生きてきた中でどこかで聞いたことがフレーズにこの本を通じて再び会うことができた。音楽や絵のように、言葉についても質が高い名作に子どもの頃から触れさせるべきだという著者の意見には納得。
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1 腹から声を出す
2 あこがれに浮き立つ
3 リズム・テンポに乗る
4 しみじみ味わう
5 季節・情景を肌で感じる
6 芯が通る・腰肚を据える
7 身体に覚え込ませる・座右の銘
8 物語の世界に浸る
著者等紹介
斎藤孝[サイトウタカシ]
1960年、静岡生まれ。東京大学法学部卒。同大学教育学研究科博士課程をへて、現在明治大学文学部助教授。専攻は教育学、身体論。『身体感覚を取り戻す』で2001年度、新潮学芸賞を受賞した -
日本語の楽しさと美しさを存分に味わえる一冊。
黙読で読了してしまうのは非常に勿体なく、著者が勧める通り是非伸び伸びとしっかりと朗誦したい本。
(しかし私はといえば賃貸暮らしと気恥ずかしさから、つい小声で朗誦してしまったのだが)
本書で取り上げられている日本語たちはスッと身体と心に馴染む。
特に七五調のリズムはなぜ日本人にとってこんなにも心地よいのだろう。
日本語圏以外の言語にもそういう感覚はあるのだろうか。
学校で習ったもの、何故だか知っているもの、そして母から教えられたものも多くあり、懐かしく読み進めた。
母はとても厳しい人だったけど初めての子供だったからか弟妹に比べると色々な事を教えてもらえたな。
百人一首は勿論、春の七草、十二支、和風月名、本書には無いが虹の七色、太陽系の惑星…きちんと暗唱できるように繰り返し何度も。
私が愛誦している日本語はこれもまた母に習った『ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらん』
春のうららかな日差しに包まれた時、そっと口にしたくなる一首。
ははそはのははもそのこも〜ふたたびはせず。
もう母が私に何かを教えてくれる事はほとんどないが、子供の頃に埋め込まれた“日本語の宝石”は大人になった今も自分の心身に埋め込まれており忘れる事はない。
母から受け継いだ言葉たち、生憎私には子がおらず誰にも継承できないのが少々残念である。