階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794219589

作品紹介・あらすじ

経済力だけでなく、倫理観、価値観においても圧倒的な「階級格差」が生まれてしまったアメリカの現状を、リバタリアンの論客が詳細に分析した一冊。従来とはまったく異なる階層の存在を指摘し、二つの階級の断絶が社会を崩壊させると警鐘をならす。福祉の充実ではなく、かつてのアメリカ人が持っていた価値観の再建こそが重要と主張して全米で大論争を巻き起こした話題の書。

感想・レビュー・書評

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  • アメリカ社会の1960年から2010年を比較して、起こっている変化を分析し、新上流階級と新下層階級に分化し「階級間断絶」状況が限界まで来ているいるということが語られる。嘗ての階級間の争いではなく階級間の乖離、その断絶が社会形成上抜き差しならなくなっているということが主題である。
    新上流階級は『シンボリック・アナリスト(ロバート・ライシュ) 』『コグニッテブ・エリート(作者) 』『クリエイティブ・クラス(リチャード・フロリダ) 』と定義され、エリート同士の感性、嗜好、文化を共有する集団が形成され、存在感を高めている。親の住む超高級住宅地に住み、認知能力(知能指数)の高い子供達が両親の愛情のもと恵まれた環境で徹底したエリート教育を受けてハーバートかプリンストンかエールに入学する。背景には頭脳の市場価値の上昇、高所得、大学入学選抜制度、そして同類婚などの特殊な環境がある。アメリカはある時期に、若者の認知能力を識別して優秀な人材を大学へ、最優秀な人材を名門大学へと吸い上げるシステム作りに成功した。それによって人的資本の活用効率を想像を超えて上げることができた。異常な高所得集団であるがこれは富によって芽生えた文化ではなく、認知能力の高い人々が同じ企業や地域に集まって独自のコミュニティを作った時に、彼らの際立った感性と嗜好によって生まれる独特の文化である。学歴の高い裕福な人々がそれ以外のアメリカ人から限りなく乖離しエリートバブル極まれりである。読んでいて、珍しいもの見たさの覗き見感覚が刺激される。
    翻って新下層階級はますます貧困の進行である。家族は結婚と子供について私生児、非嫡出子、婚外子という母と子だけの生活が最も問題であるにも拘らず、「不完全でも規則違反でもないよくあること」になってしまった。男親は同棲しても結婚しないで子育てや労働、経済的義務から逃れ、寝ている時間とテレビを見ている時間が増えて、最後は麻薬や犯罪に走る。「勤勉でなくなった」、これが世代を超えて拡大再生産される。このような問題は生活保護などの福祉政策では解決できず、却って助長するだけである。アメリカの白人労働者階級は明らかに家族の崩壊が進み、新下層階級は倍増している。人種や民族の問題ではない。
    解決策として、ヨーロッパモデルの先進福祉国家がいいかというとそうではない。それでは財政がもたない。リバタリアンの筆者はいう、崩壊しつつあるが建国以来のアメリカンプロジェクトにまだ期待をするべきで、自由と責任を持って勤勉・正直・結婚・信仰を回復することである と。今、少数の新上流階級は内向きで建国精神の美質をかろうじて守っているが、それを他に働きかけることはしない。「普遍的優しさの掟・不可解な中立主義」で「見苦しさ」の「仲良しクラブ」に浸っている。「支配的少数派のプロレタリアート化」であり、彼らは規範に対して自信喪失しソーシャルキャピタルを喚起するよりもわずかの税金を払うことで誤魔化すことに汲々としている。異常に高い報酬も「見苦しい」が違法ではなく、公務員の税金無駄使いや政治家の利権獲得競争と一緒で不誠実な見掛け倒しのエリートの一症状であり、絶対王政下の支配層よりはまだマシだ とする。どうすればいいか。それは新上流階級の人々が自ら実践していることを他の階層の人々にも勧めればよい、ただそれだけのことである 、とこの論考を纏める。
    結論が余りにもお粗末でがっかりである。
    この本は新上級階級も新下層階級についても深刻な現象の羅列は十分で衝撃でもあり、最後の解決策への期待が厭でも盛り上がる構成になっている。それだからこそ、この結論では余りにも期待はずれだ。最後の最後で作者が突然思考放棄をして結論追求を投げ出したようなものだ。現象の背景分析が甘いので解決策への思考が本質に迫れないのであろう、残念だ。
    自分だけ可愛い世間知らずのエリートバブル渦中の新上流階級の人達が、今更世のための行動ができるだろうか。
    高額報酬を「見苦しい」ものと表現し「仲良しクラブ」になっているが違法ではない とか 福祉国家批判がマルクス主義批判になる件など、折角の場面で理屈の上滑りや乱暴さが目につく。後半の結論としての道徳律的な倫理観の議論にも違和感を感じる。ここまで読んできた読者が求めているのはそんなことではないはずだ。難しい問題ではあるが、もっと科学的で説得力のある深い議論が欲しいのである。これらの課題には経済的で政治的な視点からの思考も必要だ。
    そして必ず階級断絶の解決策はあるはずだ。

  • 橘玲の著書で紹介させていたので読んでみた。
    勤勉、結婚、正直、信仰の4つをアメリカの美徳とし、それが今では所得の高い、いわゆる上級国民の間でのみ保たれているという主張をデータを元に示していた。
    上記の主張は概ね賛成できるが、そのほかの人種や結婚、子育てについての意見は賛成しかねるし、全体として高齢者によくみられる自分の主張や価値観を人に押し付ける姿勢が随所に見られて読んでいて気持ちの良いものではなかった。
    橘玲の著書で要点は述べられているので本書をわざわざ読む必要性はあまりないと感じた。

  • トランプ大統領が生まれることを予言したかのような本。
    自分の理解では、米国は高学歴の新上流階級と低学歴の下流階級に分断されており、特に白人の下流階級が増えている。
    彼らがトランプへの熱狂を生み出した、というストーリーかな。
    数多くの統計データを元に、2つの階級が分断していることを説明している。
    下記の本と合わせて読むと、米国の現状、そして世界が今後進む悲しい将来が見てくる。

    絶望死のアメリカ | アン・ケース, アンガス・ディートン, 松本 裕 |本 | 通販 | Amazon https://www.amazon.co.jp/4622089637

  • アメリカ社会が人種や民族ではなく「階級」によって分断されていることを明かす。1960年以降の統計データから、白人社会における上流と下層の差異がもはや収入の多寡によるライフスタイルどころではなくひとびとの根本的な価値観に及んでいることを示す。その過程で建国以来の美徳であった結婚、勤勉、正直、信仰が失われている現実についての分析は興味深い。第Ⅰ、Ⅱ部ではファクトが中心となるが、第Ⅲ部では人生における幸福は家族、仕事、コミュニティ、信仰の4つの領域で育まれることを定義したうえで、これからの理想の社会像とそのために為すべきことが語られる。人生の目的は誕生と死のあいだの時間をできるだけ快適に過ごすことであり、政府の目的はそれをできるだけ容易に実現できるようにすることであるという価値観はヨーロッパ症候群であり、人びとの人生から問題を取り除くことは、自分の人生を振り返って、「何かを変えることができた」といえるための主要な手段を人々から奪うことになる、という福祉国家への批判はリバタニアンである筆者らしい主張だが示唆に富む。代わりに、少数の新上流階級がアメリカを特別なものにしたものにもう一度夢中になるしかないと言い切って終わる。

  • アメリカで、新上流社会=知的階級が発生し、生活が新下流社会と分断されてきている実態を描く。
    「第I部新上流社会の形成」(P195まで)まで読んだところで時間切れのため返却

    2014年4月
    最後まで読んだ。
    後半は、アメリカ建国の理想の根源となるのが、勤勉、結婚、正直、宗教の4つであり、新下流社会ではこの4つが失われてきていることが述べられている。

    著者は基本的にリバタリアンであり、社会福祉がアメリカの理想の根源である上記の4つの美徳を損ねているという考え方をとっている。

  • 1963以降、新上流階級と新下層階級に分離、居住地も生き方も行動規範も異なる。交流もなくなってきている。アメリカを動かしている新上流階級が新下層階級と接触せずに大人になるのは問題。

    ここ50年ほどの間の大きな流れ、意識や習慣の悪化。上層と下層とで考え方も行動も違っていること。同じひとつのイメージだったのですが、二つだったのか、なるほど、という感じです。

  • ”アメリカ人が建国の美徳を失い階級分裂が進む姿”を統計データを元に描き出す。
    筆者によって取りまとめられた統計データを中心にアメリカの階級分化を説明しているが、統計といっても決して無味乾燥な本ではない。
    むしろ、データの料理の仕方といい、こなれた翻訳といい、極めて面白く読めた。

    著者は、1963年ごろまでのアメリカは、教育や流通といったサービス産業の多様化が進んでおらず、また富裕層の集住が進んでいなかった。このため、アメリカ人は大体同じような生活をしていて、昔ながらの道徳観も大事にしていた。
    しかし、JFKが暗殺された1963年ごろを境に、二つの新しい階級がうまれ、アメリカは均質な世界ではなくなっていったとしている。

    一つは、あたらしい上流階級で、元々多い収入は収入は増加の一途をたどっている。
    金持ち用の教育を受け、アイビーリーグやセブンシスターズなどのエリート校に進学し、高給取りの職業に就き、金持ち用の高級住宅街に住み、同じような金持ちと近所づきあいをする。
    彼らは選別と高い教育を受け、エスタブリッシュメントの家庭に育っているから真面目で、貧乏人よりも家族を大事にする。おしゃれな健康食とワインを好み、テレビは見ない。比較的マメに教会にも通う。
    政治傾向は所得の再配分にも肯定的なリベラル派だ。
    筆者は、一見いかにもアメリカらしい大衆文化を嫌悪する上流階級の生活を面白く描いて見せる。
    村上春樹が、アメリカの大学教授はバドワイザーなんかバカにして絶対飲まない、と昔書いていたのを思い出すスノッブぶりは面白い。

    さらにもう一つは、あたらしい下流階級で、収入の変化は低めなものの変化はゆるやか。
    しかしその生活は、過去おなじような収入を得ていた健全なブルーカラーとは大きく異なっている。
    筆者がアメリカの根幹と考える勤勉さ、コミュニティへの奉仕、家庭生活、信仰、といった美徳を失っているとしている。
    離婚や、結婚を伴わない若年女性の出産による家庭生活の崩壊は見るに堪えないグラフになっている。
    労働意欲も低下していて、労働不能を(おそらく偽装して)生活保護を受給する人がどんどん増えている。
    筆者は、連邦政府だけでも所得移転のために1・5兆ドルも浪費していて一向にこの状況が回復しないのは、モラルの問題で、下層階級はアメリカ人としての美徳を失った結果、不幸せな生活を送り、社会福祉を食いつぶしていると指摘している。

    なるほど、そうなのかもしれない。

    なんだかんだ言って筆者もまた上流階級なので、下層階級の気持ちに迫っているかというと、微妙な気もする。
    ピルの普及や、労働者階級が黒人やチンピラ文化を真似るようになったことだけがモラルの崩壊をもたらしたのだろうか。
    個人商店などのスモールビジネスがチェーン店やeコマースに取って代わられ、熟練した手作業を必要とする工場はアジアに移転してしまい、アメリカの労働階級の仕事からやりがいは失われていないだろうか。
    念のために付け加えると、筆者は上流経営層が不当な高給を取っていることも一応批判している。
    あと、建国の美徳を重視するところが親学・日本会議界隈と似ているなと思った。

    ただ、そういったこととはどうあれ、アメリカの階級分化が進んでいるという事実そのものは、正しいと言えるのではないだろうか。

    さて、この事象は、日本と関係があるのだろうか?
    階級分裂のルーツの一つが学歴による選別なので、いずれ日本でも発生する現象かもしれない。
    知能は高学歴高知能同士の結婚と出産によって上流階級に蓄積されていき、サービスの多様化は階級の間で生活スタイルを断絶させ、同じ国なのにまったく違う生活を送る人々の集団ができてしまう。
    細かい要素は日本と異なりこそすれ、これは日本でも起きる事なんじゃないだろうか。

  • 1960年代以降にアメリカで起こった価値観レベルでの階級分断について書かれた極めて刺激的な本です。

    1960年頃までは、白人社会においては格差は見られたものの、余暇の種類や質等にも極端な違いはなかったものの、認知能力がパフォーマンスを発揮する仕事の普及と認知能力を効果的に振り分ける大学進学の普及により、認知能力の高い人同士が集まり、コミュニティや地域を形成し、認知能力の高い人同士が結婚し子どもを産み二世三世が出てくるといった過程で、「新上流階級」がその他の人々から分離することとなった。そうして分断された新上流階級と新下流階級においては、アメリカ建国以来の美徳と考えられてきた、結婚・勤勉・正直・信仰に対する態度に乖離が生じている。一般的なイメージと異なり、データが示すのは、これらの美徳を維持しているのは新上流階級の方である。幸福を得られる領域は、家族・仕事・コミュニティ・信仰の4つのみであり、これは先述の美徳によるものであり、結果として新上流階級における幸福は維持されている一方で新下流階級においては減じられている。しかも分析対象をを白人だけでなくアメリカ全国民(の壮年)に拡張しても、その構図は変わらず、すなわちアメリカで起こっているのはもはや人種による分断ではなく階級による分断であるということになる。そして新上流階級の行動規範は「いい人であれ」という漠然とした命令でしかなく(これを著者は「普遍的優しさの掟」と呼ぶ)、新上流階級は自らの価値観を広めることを避けるため、本来支配的少数派として行動規範が社会の基準になるべきであるところ、その役割が果たされない。

    以上のことはデータを分析した客観的事実として提示していますが、最終章ではリベラリストとしての主張を展開しています(むしろ前章まではこの主張を展開するためのお膳立てであると言えます)。そもそも幸福を得られる領域が4つしかないという前提は、すなわち、家族に、仕事に、社会に対して責任感を持つことそのものからこそ幸福が得られるという考えに依拠しています。そのため、西欧的な福祉国家政策はこのような責任感を毀損するものであり、アメリカ的な精神にそぐわないばかりか一般的にも国家の崩壊を招くと痛烈に批判しています。これについては読者の政治信条により意見が分かれるところでしょうが、無視できない白熱する議論のテーマとなります。

    最終章以外と最終章は違う頭で読むべきでしょう。そして翻って日本についても個人主義と福祉国家志向が入り混じった社会であって、新上流階級社会的な価値観を持つコミュニティも、新下流社会的なそれも、日本なりの変化した形となって存在しているように見受けられます。本書の中にある「一般のアメリカ人が新上流階級を知らないことより、新上流階級が一般のアメリカ人を知らないことの方が危険だからだ」という一節は、正に日本においても存在する危険であると言えます。

  • 建国の理想とえげつない現実のギャップ・・・。アジア系の人が準白人のステータスを獲得していることは感無量です。

  • 上流階級と下流階級で同じ国なのに文化が分かち合えず、交流もないまま上流階級だけで政治やらもろもろが決定していく…問題です。日本でもそういう面、出てきていると思うのでどうすればよいのか、と思いながら読んでいましたがそこは自分で考えないといけないようです。データ解析等裏付けはしっかりしていると思いましたが著者自身が上流階級でそれを良しとしており、下流階級に対し目線がやや冷ややかかなと。分かっていても断絶の解消は困難なのですね。

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