インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]
- ソフトバンククリエイティブ (2006年7月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797334678
作品紹介・あらすじ
日々、変化するインターネット社会において、その枠組みとなる法をどのように捉えればいいのか?情報法のエキスパートが、軽妙かつ明快に法とネットについて徹底解説。歴史的な背景も踏まえた、スリリングな論考から現在の諸問題が次々に浮き彫りにされていく。インターネット社会に関わる人にとって必携の一冊である。
感想・レビュー・書評
-
国家はネットワーク利用者を特定し記録する能力を持っている。
法と法律が決められても、実際には慣習を判断基準としている。詳細をみるコメント1件をすべて表示-
だいさんhttps://www.evernote.com/shard/s37/nl/4075866/79baed2b-b8d4-46b9-858b-...https://www.evernote.com/shard/s37/nl/4075866/79baed2b-b8d4-46b9-858b-876cbabba3682014/04/30
-
-
著者の白田さんが英米法の専門家であることから、まずは大陸法と英米法の違いに触れながら「法とは何なのか」について述べています。
この議論を発展させるかたちで、今の法の枠組みでこれからのネットワーク社会を整理することにいかに無理があるのか、さらには今後ネットワークが政府(政治)をどのように変えていくのかを論じています。
私としては、タイトルからもっと実務的な、“インターネットと著作権法”のようなありがちな内容を想定していただけに、いい意味で裏切られた本です。
(読み終わってはじめて、サブタイトルが「かなり奇妙な法学入門」となっているのに気づき、なるほどと思いました。)
特に興味深かったのが、終盤に出てくる白田さん流のニート論(白田さんはあえて「ニート」という言葉は使っていませんが)。
ニートとは、自分の利益を代表してくれる人を議会に送り込めない(同じような立場の人間でまとまる力すら持たない)人々が、自分達の自由や財産がないがしろにされていることへの反乱を消極的に表現した、いわば『一人テロ』だと。
小泉さんの肝いりで当選し、ニート対策に邁進しているはずの杉村太蔵先生にも聞かせて上げたい、すばらしい洞察だと思います。 -
"判例主義の英米法と成文法を中心に置く大陸法の違いを歴史も踏まえ砕けた口調で解説する前半から、ネットワーク上で法を整備するには各個人個人が「名」(それは現実世界の本名と一致しなくても構わない)を持ち、それが常識という風土を築くことが肝要だとし、ネット上での人間同士の交流のプロトコル(典礼)の創造することによって規範、秩序を定着させることを読者に提案する。
書名からネットに置ける著作権の考え方を実例を交えて論述しているかと思ったのだが、筆者も言うようにエッセイ的にネットに置ける法の整備に対して考えを促すような意見を提起する。 " -
ずっと、モヤモヤとしてよく分からないままだった著作権。
その概念を、スパッと分かり易く説明してくれたのが、<a href=http://hotwired.goo.ne.jp/original/shirata/>このcolumn</a>でした。
(これを書いている現在は、HotWiredから<a href=http://wiredvision.jp/>WIRED VISION</a>への移行中とのことです。)
だから本書が、ぼくが著作権を真剣に考える切っ掛けとなったことは間違いありません。
本書が面白いのは、著者である白田氏が「サイバー法学者」であることに因ると思います。
法関連の話をする際、「法」と「ネット」を両立させて捉えることが出来る人って少ないです。
それは、いまの著作権談義や政治家の発言なんかを思い浮かべれば、自ずと分かると思います。
著作権、という仕組み自体が、ただでさえ理解しにくい概念ではあるのです。
成立してから長い年月が経っており、いろいろな要素が追加され続けてきてますからね。
そして、インターネットという文化は、まだ出来て間がありません。
古くから改造を繰り返してきた「法」と、既存の枠外に登場した「技術」。
どちらか片方だけの専門家にとって、もう片方の概念は、なかなか簡単には馴染めないです。
著作権などの成立過程を丁寧に追いかけていくことで、その必然性が分かってきます。
なぜ制定されることに至ったのか、どのようにして今に至るのか。
それが分かると、現在の状況がどのようなものであるのかが見えてきます。
法というものは、絶対の正義でありながらも、決して不変なものではありません。
「絶対の正義」であるということは、そういうことなのです。
人の営みによって、その時々で「正義」は変わります。
そうであるのなら、「正義」の具現である「法」もまた、変わっていかなければならない。
だから、「法」は不変であってはいけないのです。
インターネットと、その周辺を固めている技術や文化は、とても風変わりです。
それらの新しいmovementは、インターネット以前の法では捉えきれない。
だから現在、アメリカを始めとした諸国で、数々の議論が巻き起こっています。
ところが、日本ではどうかというと・・・。
あとがきから、一部引用したいと思います。<blockquote>「インターネット」という言葉の先端的な印象とは違って、今私たちがネットワーク上で直面している社会変化もまた、過去に起きた出来事と構造を同じくしており、その表面的な装いが異なっているだけだ、ということに気がつかれたかと思います。その一方で、表面的な装いが異なっているだけのように見えるような事態が、根本的な構造変化の結果である、ということにも気付かれたのではないでしょうか。</blockquote>本当にその通りだと思います。
すごいのは、過去と同じような状況を辿っているのに、完全に新しいということです。
だからこそ、これまでの経験と、新しい価値観を両立させることが必至になるのです。
その後、白田氏は発起人の一人として、<a href="http://miau.jp/">MiAU</a>を立ち上げました。
本書で書いていた理念を、実際の行動に移されたのです。
その行動力と覚悟には、本当に感服しました。そして、賛同しようと思いました。
政治というのは、遠い世界での出来事なんかではありません。
もっとも身近で、生活に直結している事なのです。
無関心でいることは、決して格好良いことなんかではなく、むしろ逆だと思います。
本書は、そのことに改めて気付かせてくれる、良書だと思います。
<a href=http://wiredvision.jp/>WIRED VISION</a>への移行が終わったら、ぜひ読んで欲しいと思います。
なお、本書の脚注にあった下記の引用部にも同意です。<blockquote>学生がアメリカのチンピラみたいな格好をして、大股開きで、口をポカーンと開けて、ヘッドホンからジャカジャカ騒音を立てて、満員の電車の中で堂々と座っている姿を見ると、またそうした学生を見て見ぬふりをしている大人たちの姿を見ると、「下品でアホな人たちを露骨に差別する社会づくり」の必要性をチョビッと感じるんですが、皆さまいかがお考えでしょうか。</blockquote> -
【由来】
・
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・
-
法制史から視た「ソーシャル以前」のウェブ入門書。ウェブの秩序を守る「法」を、責任ある「名」を持つ人間が作り上げる必要性について、法制史の観点から主張する。白田秀彰氏は匿名ユーザが非匿名ユーザを圧倒する(2006年当時の)状況に苦言を呈し、最低限の規範として固定ハンドル(非・名無し)の使用を提言する。
本書刊行当時と現在ではウェブの様相はかなり違う。匿名が非匿名に優越する環境から、匿名も非匿名も「特定行為」「人肉検索」といったリスクを被る環境に移行した。佐々木俊尚氏(2011)はソーシャルメディア社会において人間のネット活動履歴の透明性を指摘した。本書はそうしたソーシャル移行期の里程標として意味を持つと思われる。
身近な知識から法制史を辿って法に親しみながら学べる。以降の議論は上述の経緯から思考実験になってしまっているが、白田氏の野心と情動溢れる文章に付き合う読書もまた楽しい。ということで星4つ。
参考:
佐々木俊尚『キュレーションの時代』(2011)
http://booklog.jp/item/1/4480065911
(蛇足)ウェブにおいてキャラクターの虚構性は存在として自明であり、匿名・固定ハンドル・実名といった「名」の仮面を形骸化させると共に、画面の向こうに人間の存在を想起させる。それでもボクらが「名」乗る理由とは、「名」に実体<ヴァーチャル>的キャラクターを与える想像力を持つからだと思う。 -
インターネットを生業としているなら,読んで損はない.特に僕は,社会や法に関する一般常識すら持ち合わせていないので,学ぶべきところや考えさせられるところが多く,刺激を受けた.惜しむらくは,文体があまりにくだけている所だけど,それが逆に良さでもあるので,テイストは残しつつもう少し理解しやすい文体であって欲しかった.良書.
-
ひょっとするとNHK「ザ☆ネットスター」にたまに出てたキャラの濃い学者さん、というイメージがあるかもしれない著者。
そんな著者らしいと言うべきなのかもしれないのが本書です。
情報法と知的財産法の専門家である著者が、ネットワークを切り口に法学入門を書いたかと思いきや、読んでビックリしました。
いきなり法学部の基礎法学や外国法で学ぶような英米法と大陸法の話が始まります。法学部の学部生は、英米法や大陸法系の授業の予習にまず本書を読むべき、それくらい骨太の議論がわかりやすく説明されています。
でも、いくら法学の基礎の基礎とはいえ、時空を越えた遠くの遠くから説明してて意味あるのかよ…と思ってたら、法的なモノの考え方を示すと同時に、ネットという新しい社会で生まれている様々な慣習について、それがどういうことかもわかりやすく説明されていて二度驚きます。
おそらく、歴史の中で法思想や法制度ができあがってきたのと、人類にとって新しい未開の地であるネット社会で新しいルールが形成されていく流れがちょうど重なるんでしょうね。
歴史的な経緯を押さえながら、法や権利に関して骨太の理解を得ることで、ネットに関する問題の見え方が変わってきます。その上、骨太の理解が土台にあることで、より息の長い(射程の長い)議論をすることができます。本書でも、後半ではネット社会の"社会"の側面が強くなってきて、ネットと社会(政治)の関係性にまで話が及んでいきます。
ネットと法律(特に著作権)を"しっかり"考えたい人に、是非一読をオススメします。僕も読み返したくなってきました。 -
高校世界史での学びと、法とが関連づけられて語られていて、分かりやすかった。
面白く読めた。