ロッキン・ホース・バレリーナ (ダ・ヴィンチブックス)
- KADOKAWA(メディアファクトリー) (2004年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (387ページ)
- / ISBN・EAN: 9784840111225
作品紹介・あらすじ
初めてのツアーに出たパンクバンドが、どーかしてるゴスロリ娘を拾った。流れ続ける70's〜80'sポップ&ロック。君を旅へ連れて行こう!God Gave Rock'n Roll To You-ロックの神様が教えてくれた。誰かを好きになること、どこまでも楽しくなること。
感想・レビュー・書評
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8/10.
特に最初の方は爆笑ばかりだった。ボクは海外生まれで分からなかったバンド・芸能人・大衆文化への参照は多かったが、それでも読むのが非常に愉快だった。後半は少し重くなるが、最後は無理のないハッピーエンドで大満足だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
駆け出しのインディーズパンクバンドが
日本横断ツアーに行く物語
主要人物それぞれの思いや悩みが交差し
経験を積むことで大人へと成長していく
ツアー中 各地のライブハウスでは
対バンが既存の名のあるバンドだったりも
するので
知っているとおお!!と思ったりもする
70’80’のロック知識があると
より楽しく読めると思う
ハロルド作石のBECKを好きな人は
気に入るかもしれないし
最後の方は泣ける -
『18歳で夏でバカだった。』冒頭の言葉が全て。
ロック少年達の夢と大人の打算を詰めてツアーに出た彼等の前に現れたゴスロリ少女。彼等と彼女のバンドツアーは馬鹿げた諸々の出来事の中に深い傷や傷みが入り組みだして意外に重い内容でしたが文章の軽さがそれをそんなに感じさせませんでした。
バカな18歳の夏が過ぎて少年達はこれからどう成長して行くのだろう。理不尽なことや大人の汚さや死と言った様々なものを見ても、それでも真直ぐな大人になって欲しいと思う。 -
【397】
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「18歳で夏でバカ!」
パンクバンド「野原」とビジュアル系バンドのおっかけゴスロリ少女七曲町子。ハイエースで全国横断。ぼくたち、わたしたちの青春ロードムービー活劇! -
昔バンドやってました。野原のように、ハイエースで全国ライブしてみたかった…。
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どこへでも行ける、何にでもなれる。
それは18歳で夏でバカだけの特権ではない、筈なんだよな。 -
「十八歳で夏でバカだった」
もう冒頭の一行がこの物語のすべてを表しているよね。だけどこの一行が無限にも広がる物語を秘めているのだ。この一行はきっと青春のカンヅメみたいなものだ。開けたら中から閉じ込められていたたくさんの夢が飛び出してくる。
「十八歳で夏でバカ」
僕はバカではあるけど、十八歳はとっくに通りすぎていい年齢になってしまったし、夏はもう終わろうとしている。夢など既に忘れてしまった。だからこの一行にどうしようもないノスタルジーと憧憬を感じてしまう。大人が忘れてしまった、ドキドキワクワクする二度とない夏。そんな物語だ。
ロックバンド・筋肉少女帯のリーダーであり、また小説家としても活躍する大槻ケンヂによる青春ロック小説。十代のバンドが初めてのライブツアーに挑み、ライブを重ねる中で大切なものを見つけ、成長していく。
十八歳の耕助はアマチュアロックバンド「野原」でギターを担当するバンドマンだ。ベースのバン、ドラムのザジと共にそこそこ人気も出てきて女の子を食いまくりの日々だ。そんな八月、マネージャーの得山と共にメンバーは一台のワゴン車に乗って東京から博多までのツアーへと繰り出す。初のツアーに高鳴る胸。そんな意気揚々のバンドの前に突如出現したのはゴスロリファッションに身を包み、足元にはロッキンホースバレリーナを履いた謎の女・町子。
博多へ憧れのバンドマンに「食われに」行くのだと語る彼女は、耕助たちのワゴン車に強引に同乗して博多までタダ乗りしようとする。最初は反発しあっていた町子とメンバー達だが、旅の中で彼らの間には奇妙な絆が生まれていく。
なぜ町子は無理矢理耕助たちの車に同乗してきたのか。そして本来の目的とは何か。ストーリーはこの謎めいた女をめぐりながらも、ツアーを通じてメジャーデビューを目指す少年たちの奮闘を描いていてる。
大槻ケンヂが書いているだけあって、バンドに関する描写は非常に生々しくかつ生き生きとしたものだ。恐らくバンドをやっている人の間では「あるある~」というような細かいネタがたくさん散りばめられているのだろう。
ライブのシーンの緊張感や躍動感は読んでいてまるでその場に居合わせるような臨場感。外は夏の熱気。中は人の熱気。そんなノリノリのライブ会場の様子が目に浮かぶようだ。
もちろんこの人のことだから十代の少年にありがちな性的欲求もストレートに描いていて、いわゆる「バンドやる男の9割は女にモテること目当て」という俗説を真っ向から真実として捉えている。
といっても実はこの男女関係が物語でも重要な意味を持っていて、バンドに女は不要・害悪、と唱えるマネージャーの得山をよそに耕助と町子の関係は接近していく。そこにはもちろん人間関係や男女関係の危うさがある訳で、中盤で明かされる町子の意外とヘビーな過去が読者の胸に重くのしかかる。
「さすがに、バカな耕助でも気が付いたのだ。/そこそこ可愛い顔立ちをしていて、そして何よりもロックバンドをやっている十八歳の少年にとって、セックスは肥沃な南国でもぐ果実よりも、容易に手に入る至高の甘味だということに」(p7)
最初の方に登場するこの一文。この時点ではバンドマンの入れ喰いっぷりを茶化す程度の意味合いだけど、読み終えた後で改めて見てみると違う印象を受ける。追っかけの女の子たちとのセックスを通じて耕助は何を求めて、何を手に入れてきたのか。そして何を失ったのか。耕助が探し求めている女性とは誰なのか。
十代の健康な男の子にとって女は非常に重く大きな存在であり、それを抜きにしてこの物語を語る事はできないのだ。
そしてこの小説で強く描かれていること。それは大人たちの汚さ。バカでスケベだけどピュアで一直線な少年たちと対比される存在として、3人の大人が登場するが、実のところ彼らは特別悪いことをしている訳でもなく、大人の世界では真っ当とされる事をしているだけなのだ。
それが耕助の視点で語られるので汚い事のように思えるけど、果たして彼らを糾弾できるような大人に俺はなれているかな。否、なれていない。大人の世界と少年たちの世界の間に横たわる大きな溝を大槻ケンヂは軽い文体の中に強く描き出している。
だからこの小説は青春小説として輝きを放つのだ。ギャグ満載でポップに言葉を紡ぐ作者のセンスは、遠い少年時代の自分に気持だけでも戻れてしまう。
「あんたの履いているすり減ったラバーソールなんかと違って、誇り高い町子のロッキンは、月にも届けと町子を高いところに連れていってくれるの」(p43)
なぜ町子はあんな歩きにくそうなロッキンホースバレリーナを好んで履いているのだろうか。俺たちはどこにでも行ける、何にでもなれる。だって、
「神様が、アンタたちにロックンロールを与えてくれたんだ」(p97) -
中学生のとき、野ばらちゃんの本にのめり込んでるときに平行して読んだ本。多分表紙がこれじゃなかったらかってないかなぁ。なんだか今になって、もう少し大きくなってから読めばよかったなあって思う。本って読むまでこれはいついつ読めばもっとよかったってわからないのが悔しい
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ロッキンな青春小説。爽やかな感動。オーケンらしい笑いも楽しかった。