- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784887061057
感想・レビュー・書評
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30カ国の家庭の写真集
★★★★☆ -
一つの国から一つの家族が、自分の家の前に家財のすべてを並べます。
そこから見えてくるのは、国ごとにバラエティに富んだ暮らしの様子。
世界の文化を比べてみると、見えてくることがある。
社会科好きなら、この本で読書感想文も書けそうだ。 -
約20年前の本とはいえ、国による違いは歴然。紛争下のボスニアやアパルトヘイトがまかりとおっている南アフリカなども載っていて、あれから情勢が変わった国は今はどんな暮らしぶりなのか気になった。
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★★★★☆
世界中を旅して、目をつけた(笑)ご家族の家の中の家財道具一式を表に出して、パチリ。
約30年前の、ごく一般的なご家庭だと思うのですが、日本てやっぱたくさんの持ち物に囲まれて暮らしてるんだなあと。
(まっきー) -
高校生のとき授業で読みました。
日本の家族の物の多さに驚き! -
い まはすっかり買わなくなってしまったかつての週間文春に、いろいろの家庭の朝食や弁当のスナップ写真を並べたのがよく載っていた。 それより前なのか後な のか、何故か「地球家族」という日本語のタイトルをつけられた「Material World」というこの写真集(プラス解説少し)は、1993年から1994年ごろに世界30カ国を巡り、「ふつう」の家庭の持ち物を家の前に並べ、家族 の集合写真を撮るというものである。
オリジナルの本と日本語版とでどのように違うのか確認はしていない。しかし、カメラマンが各家族と1週間暮らしたわりには、期待していたほどの写真 が見られなかったのが正直な感想だ。 Materialな面では、もう16-7年前の世界各地でも、随分と画一的に収束していくのが感じられる。そこをだ したかったのかも知れないが、意図と違っていまひとつ、すべてが見世物な感じで、リアルさが出てきていないのは残念だ。 アメリカの家族の写真があるのだ が、見事にアメリカ的な家族の笑顔。アメリカ人の写真の撮られ方の画一さには恐れ入る。 そして他の国々の写真もそのような撮られ方の方向に向かっている ように見えるのだ。
また、並べられたものにまつわるストーリーがないのも残念だ。 おれなどは部屋がもので溢れているが、お迎えがきたらほとんど家人を煩わせながら捨 てられる予定のものばかりだろう。しかし、写真の貧しい国々のものは、使用主が逝った後も役に立ち続けるのであろう。「フォローの文明・ストックの文明」 という本があったが、各国のどのものが使用主より長生きで、どのものが短命なのだろう?家はフローとするのだろうか?そのフローにローンはいくらあるのだ ろうか? 表紙のマリの日干し煉瓦の家には60才過ぎまでのローンが設定されていて、団信に加入させられているのだろうか?アメリカ人のテキサスの家は、 通常どうりノン・リコースローンが設定されているのだろうか?
「ふつう」の暮らし、とサブタイトルになるが、もちろん平均的な所得などでふつうを測るしかない著者。 「ふつう」の質的な違いにまで踏み込めていないのは, Materialな世界を強調したかったからだろうか? -
日本のものの多さに驚愕。10年以上前の写真だから今はもっと多いんだろうなと。途上国の生きるためのシンプルな生活感が頭に残る。
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「家にあるものをすべて家の外に出す」事で、世界の家族・文化を比較する写真集。日本って物がたくさんあるんだなぁって事が実感できます。
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世界30カ国の「ふつう」の家庭(男女各一名とその子ども+α)の家と持ち物を出せるだけ出して並べてみた写真。
写真がきれいだしプロジェクトは下世話な好奇心を満たしてくれて面白いがオリエンタリズムにうんざりする。
ほぼ20年前の作品だから、今とは当然状況が違う。
たった20年で世界はこんなに変わる(あるいは変わらない)ものなのか。
中国やベトナムは発展前夜で日本はバブルをひきずっている。
南アフリカはアパルトヘイト中でイラクにはブッシュがいない。
ハイチは津波に襲われる前だけど現在と同じように貧しい。
ロシアは辛い状況だけどこの後もっとインフレが来るんじゃなかったか。
このころのこの国はどんな状況だったんだっけ、この後どうなるんだっけ。
ほとんど思い出せない。というか知らない。
エチオピアの三歳児は鶏を抱いていた。
イタリアの三歳児はおしゃぶりをくわえていた。
発育はイタリアの子のほうがいいような気がする(人種が違うせいもあるかもしれない)のに、エチオピアの子のほうが大人びてみえた。
エチオピアの子は「子供」で、イタリアの子は「赤ちゃん」に見える。
持てないから物がない国があって、持てるけどコンパクトな国があって、動物を所有する国がたくさんある。
日本は物が多すぎだけど、東アジアの貯蓄率や中国の「ためこむくせ」を考えると経済状況というよりはアジアンの習性なのかもしれない。
先進国の家にはあまり仕事道具がない。貧しい国の食事はほとんど穀類だけ。
起きている間中働いている家族がいて、働く場所のない家族が居る。
「アンティークのミシン」を持つ家があって、同じくらい古い型の現役ミシンを使う家がある。
国としての裕福度ではずっと上に居る日本の「中流」よりもクウェートの「中流」のほうがずっと豪華な家に住んでいるのは上と下にすごいのがいるってことなんだろう。
こうやって見ていくのは面白いけれど、著者たちの見方が気に入らない。
プロジェクトチームの「普通」を基準にして、部外者がこの国っぽいと思うものを探して、部外者が見たいものを撮っている。
貧乏なら子沢山なはずとか、
(欧米人である自分たちにとっての)異文化には民族衣装やそれっぽいものが欲しいとか、
ロケーション(これは撮影の都合もあるのである程度仕方がないにせよ)とか、
出生率の低い国でもあくまで夫婦と子どものセットが「標準」だとか、
撮影に都合が悪いというだけのことを「この過程に問題がある」と評するとか。
データや写真家の感想にムラがあるのも残念。
製作者が重要だと思ったことしか書いていないから比較ができない。
特に後半(非ヨーロッパ)がひどい。
上から目線で褒めるか自分にとって異質な価値観を危ぶむか。
アメリカの白人一家のサラ・ペイリンみたいにやばげなクリスチャンっぷりは「熱心な信心」でアジアの土着の精霊信仰は「迷信深い」。
共産っぽいものには(お裾分けレベルの助け合いにすら)いちいちダメだしが入る。
冷戦が終わって間もないとはいえアカ狩りをしなくちゃ気がすまないような、西側至上主義の見方が不愉快。
家族の形も信仰もご近所づきあいも、みんな自分のものさしにむりやりあてはめて映し出そうとするから観光客向けの絵葉書みたいな不自然なものにしかならない。
それでも本物の被写体からは本物が垣間見えるのだけれど。