生きる意味: 「システム」「責任」「生命」への批判

制作 : デイヴィッド ケイリー 
  • 藤原書店
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (461ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894344716

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  • 初イリイチ。対談の前に彼の著作を要約した序論が付いてて助かる。

    「道具」は一定の強度を超えて発達すると不可避的に手段から目的へと転じ、逆生産的、非機能的になる。
    っていう主張の例として現代の学校教育・医療ケア・賃労働・エコロジーなんかを斬っていく。そんでイリイチによると、これらが現代抱える問題の歴史的起源はキリスト者としての使命感やキリスト教の教えが倒錯的な変質を蒙ったところ(最善のものの堕落として生じた最悪のもの)にあるらしい。この歴史学・神学的アプローチがなかなか説得力があって、歴史的に見て現代に蔓延る固定観念の出現がいかに最近のことでいかにこの時代特有のものであるかを示すんだけど、それら全部悪とみなしてるところが納得いかない。望ましくない副次的効果だけを殊更に強調し過ぎてる気がする。脱病院化やジェンダーは特に賛同できなかった。でもそう思うのは既に自分が現実に慣れきってるからなのか。
     『主要な道具の諸体系によってもたらされる最も重要な効果は、現実に対するわれわれの見方をかたちづくることであり、われわれの内面に一連の固定観念を植えつけることである。』
    常に何でも疑ってかかるように心がけてはいるんだけど…

    形態と規模に密接な関係があるのは分かるけど、行き過ぎた科学が人類を破滅に導くとしても、道具が機能的・生産的であるところの閾値は一体どこにあるのか。定められるのか。とっくに超えてるならどうやって戻していくのか。
    現状を踏まえた上での対策についてイリイチは何も語らないし何もする気がない。彼の理想は、伝統によって伝えられ、場所によって制限され、行為者が慣習的に手の届く範囲で行った選択によって特徴付けられた秩序ある労働や手作業や住まいや苦しみらしい。さすがにそんなところまではもう戻れないよ。

    他にも、イリイチにとって愛は『(善きサマリア人のように)いま現在おこなっていることをすべて放り出して、その人を抱きかかえること』であり、そこまでできない(本当の意味で愛せない)ことがわかっているから、そして自分が無力であるという意識から逃れたくないから、遠く隔たった(発展途上国で苦しむ)人びとのことを全く気にかけなかったり。わかるけど、極端だなぁ。


    終盤のエコロジー・責任・生命に関しては、
    ―「生命」が神に代わって世界の超越的な基礎となった現代において、地球上の生命を我々が守らなければならないというエコロジーは、今では「いきいきと生きる」よりも「生存」(非常にネクロフィリックな言葉)に力点を置いているようだ。エコロジーは、我々は「生命」に対して責任を負わねばならないという意識であり、我々が保存したいと思うものは管理可能であるという発想である(『責任という概念は自分が責任を負っているものに対して自分は何かをなしうるという信念と結びついた独特な倫理』)。―ここまでOK。
    でもイリイチはそういったなかで、我々は何事もなし得ないという立場をとる。
     『明日というものはあるでしょう。しかし、それについてわれわれが何かをいえるような、あるいは、何らかの力を発揮できるような未来というものは存在しないのです。われわれは徹底的に無力です。』だからこそ『今この瞬間自分がいきいきと存在していることを深く楽しむ。』
    絶望の中で生きるのではなく寧ろ享楽主義。うーん。今はまだそんな風に開き直りたくない。


    あと、サン・ヴィクトールのフーゴーのテクノロジーに関する哲学的神学が素敵。彼によると、神はアダムとイブに(鋭い爪や牙でなく)果物をもぐための手だけを与え、彼らにいくつかのルール(エコロジカルな制限)を守るよう命じた。でもそのルールを破り、木の枝を折っ(て禁断の木の実を食べ)てしまったため、万物の均衡と調和が崩れ、人には楽園向きにつくられていた身体が残された。その身体は、いばらを踏めば出血してしまうので靴を必要とし、あるいは寒いので糸や織物を必要とするようになった。テクノロジーとは、人が、神によって創造された際に与えられたものを用いながら、エコロジカルな介入を通じて失ったものを部分的に回復しようとする営みにほかならない。そして、そうしたエコロジカルな介入こそが罪だった。
    罪というものを人類と自然との間の調和の破壊として語り、テクノロジーを自然を支配する手段としてではなく、人間にとって最も暮らしやすかったであろう状態に復帰するための治療とみなす。
    彼の考えがもっと人びとに広まってたら…なんて妄想は無意味で、そうならなかった事実が人の欲深さを物語ってるんだろう。

  • NDC(9版) 304 : 論文集.評論集.講演集

  • 生きる意味―「システム」「責任」「生命」への批判
    (和書)2011年06月24日 19:48
    2005 藤原書店 イバン・イリイチ, デイヴィッド・ケイリー, 高島 和哉


    柄谷行人さんの書評から読んでみました。

    姿勢を徹底させることとはどういうことかということを理解するには良い書物だろうと思う。

    どういうことか分かることは重要だと思う。

    そういった姿勢を相互に見いだせれば、それこそ革命だと思うが、こういった徹底性をもっと容易に見いだすことはできないのかなと考えてします。高次元での回復と柄谷さんが言っている部分の可能性と姿勢の徹底化について考えてみたい。

  • 12,3世紀の著作から、現代社会の問題点を照らし出しているイリイチの問題意識が那辺にあるのかということについて、少なくとも今の自分には、それを探りたいという気持ちがほとんどないということに気付かされた。

  • 社会
    思索

  • 世の中をあらゆる事象をまず批判の目を持って見る。
    インタビュー形式なので、哲学書っぽくなくて非常に読みやすい。

  • 分類=西洋哲学(オーストリア)。05年9月。

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