なぜ、脳は神を創ったのか? (Forest2545Shinsyo 15)
- フォレスト出版 (2010年6月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894518155
感想・レビュー・書評
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タイトル通りの内容から始まったが「キリスト教=神」という論理から仏教の話まで飛躍していき、論点が著者の伝えたい内容に落ち着いていた。
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この本の目的は別のところにあると思った。悲しい。
きな臭い。胡散臭い。
これ読んだ!って友達に言えない。
けど、
中学生の頃これを読んで全然意味がわからなくて
心理学に興味持ったはじまりの本。 -
大胆不敵な、苫米地流宗教論。
直観的な独自の見解も多数盛り込まれており、トンデモ本的要素もないではないが、彼の著作の中では比較的まっとうで、宗教に関心のある向きには一読の価値がある。
著作を粗製濫造していることもあって、苫米地は有象無象の自己啓発書著者と十把ひとからげにされがちだが、その著作には卓見もちりばめられており、あなどれない。
本書の前半は、脳科学・認知科学・量子論等の知見を駆使して神の存在を否定するとともに、「人は(脳は)なぜ神を必要としたか?」という問いに答えた内容。
人間は、「自分が不完全な情報システムであるということを、誰もが何かをきっかけにして自覚する」。ゆえに、「完全な情報システム」を求める心が信仰を生んだ、と苫米地は言う。「その意味では、資本主義もマルクス主義も宗教現象」だと……。
《なぜなら、資本主義とはお金という完全情報に対して憧れを抱き、そこに不変の価値を見いだす脳内現象だからです。
(中略)
逆に、資本家の搾取をただし、労働者による階級闘争の進化を予言したマルクス主義は、資本主義に対抗するための宗教現象です。それは、労働こそ唯一絶対の価値であると信仰する宗教現象だといわなくてはなりません。》
このように、宗教学者なら立場上言えない大胆な解釈をちりばめて、苫米地は宗教という現象に迫っていく。
後半は、仏教に一神教とは異なる独自の価値を認めるとともに、「宗教は、本質的にはこの21世紀には不要なものです」という苫米地が、人々が宗教から自由になるための方途を探っていく。
「神とは何か」という大テーマに新書一冊で迫ろうというのだから、論の進め方はかなり乱暴だ。それでも、刺激的で面白く読めた。 -
苫米地さんの本は今月『婚活がなくなる日』を読み、二冊目です。
彼に興味があったからなんですが、ごめんなさい、もう当分いいやー。
「なぜ脳は神を造ったのか」を知りたかっただけなのに…
「あれも」「これも」って。
なんか、ちょっと話しただけなのにマシンガントークを長々と続ける知り合いを、数人思い出しました。 -
もはや宗教だよねこの人。漫談のような気がしてきた。
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この本は珍しく自己啓発的な内容ではない笑
不確定性原理と不完全性定理で神は存在しない、と証明された、、らしい。
死の恐怖、が宗教をつくった。
ヒトは死に直面するまでその恐怖を考えないようにできている、などは面白い説明だった。
そして、ヒトは動物で唯一同類を殺せる、論理が本能を上回った瞬間、など。 -
神はいない事が論理的にも証明された件、量子論も混じりながら釈迦の本来のハードコアな思想を語る部分、など、この本自体がハードコアで、かつ難しいが面白い。
日本にある近所の寺などの存在が虚しくもなる。 -
私は釈迦の仏教信者なので、そもそも神を信じてません。自助努力で人生に幸せを平和を築こうとしています。
なので、ほらね、やっぱり神はいなかったかと、自分が肯定された良い気分を楽しました。
が、日本はキリスト教の国ではなかったから原爆が落とされた、とか、インド人もバチカンに依れば(キリスト教ではないから)人間ではなく、よって搾取された、というような、宗教が作り上げてきた歴史を、恐るべき事実(?)として読みました。 -
読み終わりました、科学的にどういないかなぜ人は神という存在を作ったのかを分かりやすく説明していたが最後のほうになると物理学のような話になりマニアックは話だった。