なぜ、脳は神を創ったのか? (Forest2545Shinsyo 15)
- フォレスト出版 (2010年6月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894518155
感想・レビュー・書評
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序盤から中盤にかけてはなるほどと思わせる部分があり、まま面白かったのですが、中盤以降の著者の理想の箇所はトンデモで、文章に一貫性がなく、「その論理は破綻している!」と思わせるようなもので、落胆以上の落胆でした。
僕の評価はBにします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
原爆のエノラゲイに13人目の乗組員がいて、
それがカトリックの神父だと...
アメリカ人は日本人を人間とみなしていないらしい。
この原理を応用して、仕事場に神父が多くなったと・・・ -
再読。
神はいないことを、数学や物理学でどのように証明されたのかがわかりやすかった。
仏教とキリスト教に関しては、膨大な資料を読んだであろう著者しか書けない内容で、勉強になった。(普通はどちらかの宗教のことは詳しいけど、宗教全体を書けないからね)
宗教と政治の関わり、その洗脳から自由になる方法まで、新書にしておくのは勿体ない本。 -
20140425読了
さらっと。うーん…いまいち何も伝わってこなかった。著者が博学なのは分かった。 -
神を信じることが手段として使われる。
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うーん、全然頭に入ってこなかった。脳が神を作った。うん、そうだろう。完全じゃない自分を肯定するために支えとなる全知全能の神を作り上げた。リチャード・ワイズマンのas ifの法則とつなげると、「神はいるかのようにふるまって」いたら「神がいると信じる」ようになったんだろうなー。
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不確定性原理、不完全性定理で神が存在しえないことが証明された、と言われても門外漢にはピンとこない内容だった。
それでも人智を超えた何かがあると思うことは、部分情報しか持ち得ない人間が、絶対情報を有する存在を恋慕するという古代シャーマニズムのDNAの所為なのか。
共感できたところは、仏教が中国に輸入された瞬間にタオのアプリオリに変換されたということ。
シャキャムニ滅後200年後に創作された「仏教のようなおとぎ話」である法華経をとってみても、鳩摩羅什訳ではタオ思想の本迹観が盛り込まれ、方便品の「十如是」は、本来サンスクリット語では「五何法」であるはずが作為的に異訳されている。
これでは天台の根本教理である「一念三千」は本当は「一念千五百」になるので、最澄らが知ったらびっくりするだろう。
インド思想<中華思想にしようとする意図が見え隠れする鳩摩羅什の名訳「妙法蓮華経」は、研究が飛躍的に進化した今、もう一度再評価をしなければならない。
般若心経が中国で創られたという箇所も面白かった。
お盆の由来が説かれた「盂蘭盆経」も中国で創られたもので、お盆といえば仏教と連想しがちだが、仏教とは全くの無縁であり、道教の教えである。
シャキャムニは、捨置記といって形而上のことをいたずらに説くことはなく、死後の生命や世界を説くこともなかった。
レビューの体になっていないが、最終章は読むに耐えない内容であった。
やはり天才といえども得意不得意はあるようだ。 -
ゲーデルの話はおもしろいよね。彼は神が存在しないことを数学的に証明してしまって、そのことにビビってしまい、晩年は、神が存在することを必死に証明しようとしていた、みたいな噂話?を聞いたことがある。
オレは苫米地英人の本は、意味不明なのが多くて、あんまり好きじゃないんだけど、この本と電通の本だけは、非常におもしろかった。 -
1991年、神は死んだ。この概念はとても参考になる。
この概念に基づくと納得いくものも多くなる。
概念を得るとはこういうことやね。