- Amazon.co.jp ・本 (1ページ)
- / ISBN・EAN: 9784902744729
感想・レビュー・書評
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リオデジャネイロの風景と、レコーディングをめぐるリオデジャネイロの縁を語るエッセイ。思い立って地球の裏側とか、思い切るなあ。そして、リオの人々の特徴もよく掴んで、時間にルーズだったり思った通りに事が運ばなくても悠然と構え、リオの流儀に身を浸しているのが伝わってくる。カエターノ・ヴェローゾのアルバム聴きたくなった。本文中に息子でプロデューサーとしても頭角を表しているという親日家のモレーノ・ヴェローゾとの交流が語られてるのを見て。
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光が輝いていても、高野さんの写真ってあまり眩しい感じがしない。それどころか、曇り空を含めた構図なんかが逆に印象的に感じられるような写真だったりする。そして、リオを撮っているので、もちろん、そこの空気を伝えるものだったりするのだけれど、この場合、写真家としての高野寛さんのヴィジョンとシャッターを押す感覚が創作的なのが、アウトプットされた写真たちをみてみるとよくわかる。撮り手の意図と、被写体となった空間がみせるそのときの表情が、こういう形でマッチングしたのだな、というように楽しめる。そこには、たぶんに、高野さんのクリエイティブ運として、他の人には出合えない面白いシーンとめぐりあい、そこでちょちょいと高野さんの感覚がぶつかりあって、出来あがっている写真たちのような気さえする。いや、目ざとく、僕らだったら気がつかなかったり、流してしまうようなシーンを、拾い上げるフィルターを持っていて、そこでその素材を料理しているのかもしれない。総じていえば、そんなクリエイティビティを感じさせながら、いたずらっぽいポップさがうかがる写真集だった。
エッセイのほうは、おもに、ブラジルと高野さんの付き合いってこうこう、こういう感じなんだ、というのと、ブラジル、ひいてはリオってこういうところでこういう人たちがいるんだ、という紹介といった内容だった。淡々として抑制の効いたクセのない文章で、そのおかげで伝えようとされていることが、ストレートに伝わりやすくなっているように読み受けた。