道徳の時間/園児の血

著者 :
  • キノブックス
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784908059414

感想・レビュー・書評

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  • 5年生。禁じられた遊び。
    浣腸をめぐる道徳の時間。

    孤高の園児のハードボイルドな幼稚園生活…。

    子供の世界も大変で、いろんな思惑があって。いろんな感情があって。ふむふむと思う。

  • 2023/02/08 読了

  • どうやったらこんな文章書けるの

  • 前田司郎は一時期マイブームがあって、当時読めるものは全部読んだのだが、忘れていて、久し振りに再会。
    前に読んだものはファナモとか新婚旅行に地獄に行くやつとかだったので、これもそんな感じかなと読み始めたら「道徳の時間」は取りようによっては、というかそう書いていると思うけど、性暴力を描いていて、考えさせられた。登場人物は小学生でやってることはカンチョーだけど、痴漢とかレイプにも共通するものがあってゾッとする。教師の無能ぶりも社会の強者(政治とか法とか教育とか福祉とか)みたい。
    一番厭なのは被害者が体の発達のはやい子どもなのに、貧困で服を買ってもらえず、いつも短いスカートをはいてるってとこ。おかあさん、将来の学費の貯金は大事だけど、気付いてあげて‼ズボン買ってやって!と思ってしまった。そういう話じゃないんだけど。
    大人の社会の寓話のような小説だけど、こういうことは子ども社会にもある。性欲自体は自然なこととはいえ、線引きは大人がしてやるべきだなあ。この教師みたいな対応は最悪。でもこういう先生リアルにいそう、とも思う。
    次の「園児の血」は幼稚園児の日常をハードボイルドタッチで描いていて、笑える。
    友達が、幼稚園に入る前に保育所に行ってたと知って「こいつ相当な修羅場をくぐってやがる」とか、園児のサッカーだからいい加減なんだけど「自分のチームが負けそうになるといつの間にか寝返ってる奴がいたりする危険なルールだ」とか。シール集めや交換に夢中になる子を「シールの修羅」とか。
    最後に著者のプロフィールがあるのだが、近著に『口から入って尻から出るならば、口から出る言葉は』というタイトルがあって、ホントよくそんな面白いタイトルを思いつくなあ、と感心した。
    読んでみたい。

  • うーん…今回のはあんまり…楽しめませんでしたかねぇ。いやまあ、楽しめたは楽しめたんですけれども、何か…本当に道徳の授業を聴いている時のやうなつまらなさを感じました。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    著者はなぜこういった題材を選んだのか? 疑問ですねぇ…表題作よりも園児の血のが幼児のハードボイルド小説、といった趣で笑えたし、面白かったですかね。けれどもまあ、後半に入るとグダグダしてきてしまって残念ですが…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    そんなアレで表題作はなんかスッキリしないというかまあ、小学生でも一応、性の意識はあるよ、みたいなことを表現した作品と言えるでしょうか…さようなら。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • 【道徳の時間】
    『ああ、夢よ。想像よ。それらは、いつも現実から、一歩ずれている。想像する先の距離が遠くなればなるほど、最初のその一歩のずれは次第に大きくなる。』

    『この世に正しいことなど無い。正しいと決めることは出来ても、何かを正しいと決めることは正しくない。』

    『女の脚と脚の間には何か大きな秘密が隠されている。そんな予感があった。』

    『子供たちにとって性器は謎の部分であった。いまいち使い道がわからない。大人もそれについて教えてくれない。その部分に関する情報にだけ簡単にはアクセス出来ない。
    そしてその秘密を暴くこと。それを考えるだけで胸が高鳴り、原初的な喜びが腹の底から湧きあがる。』

    『美奈の思う恥ずかしさと、洋子の感じる恥ずかしさは、全く質の違うものであり、洋子のそれは得体の知れない強い後ろめたさとの化合物であった。』

    『社会性という服を身につけていない裸の人間、それが子供だと思うようになった。大人たちが社会性という衣服の下、さらにはその皮膚の下、分厚い脂肪と肉の底に秘めている欲望が、剥き出しにある。それは敏感で、傷つきやすく、また傷つけることを厭わない。』

    『性欲と恋とに違いがあるとするなら、愛と性欲が程よく化合したものが恋と言えるかもしれない。』

    『愛などと簡単に言うが、誰もそれを見たことがない。確かに存在しているかのように語られるが、その存在すら怪しい。
    そんなあるか無いかもわからないようなものに、人間は振り回される。』

    『禁止された行為は、禁止されることによって輝く。価値は高騰し、誰もが求めるようになる。』

    『こういう感じをイメージしていた。前の文章はなんでも良い、とにかく最後に「人は一人では生きていけないのです」と言いたかった。
    この言葉はよく考えると当たり前なのだが、なんとなく含みがあるように聞こえるし、この言葉を聞いて「いやいやそうとも言えないだろう」などと言う人はなかなかいない。』

    『では、無人島などに漂流して一人で何年も生き抜いた人がいるのはなぜです? という問にも答は用意してある。「その人は生きていくために考えましたね? 考えるのに言葉を使いました。ある程度の知識も持っていたでしょう? 言葉も知識も、その人以外の他人が作り上げてきたものです。人は一人では生きていけないのです」
    ね?』

    『「いい? みんな ー 人は一人では生きていけないのです」
    そう言って、教室の後ろを見る。
    皆は何かあるのかなと思って、教室の後ろを見た。書道の作品が飾ってあるだけだ。
    「だからなんだよ」二十六人の生徒のうち二十二人がそう思った。残りの四人は、聞いていなかった。』

    【園児の血】
    『ああ、オレは今相当格好良い。生まれて二番目に格好良い。一番格好良かったのは、覚えてないけど多分ママのお腹から飛び出した瞬間だろう。でも、その次に格好良かった記録を破り、今この瞬間が格好良かったオレの第2位になった。』

    『オレはもしかしたら、パパとママの子供じゃなくて腎臓人間なのかもしれない。腎臓人間の腎臓ってなんで腎臓なんだろう? 今度おばあちゃんに訊いてみよう。』

    『「きさんら、何しに来よった?」
    「ふざけろ。胸に手を当てて考えてみな」
    クラトは胸に手を当てて考えた。言った。
    「何しに来たんじゃい?」
    「わからないのか? もう一度、胸に手を当てて考えてみるんだな」
    クラトは胸に手を置いて考えた。そして言った。
    「なんじゃい?」』

    「なんで嘘泣きなんてするんだよ」
    「バカなの? あんたを手なずけるために決まってるじゃない」
    「オレは手なずけられたりしないぞ」
    「ねえ、すっかりしょげてたのは誰? 思う壺じゃない?」
    「壺? なんの? 思う?」
    「知らないわよそんなの、なんか壺でしょ、白い」
    「白いの?」
    「だから知らない」
    「なんでお前は壺の話なんてするんだよ」
    「壺の話なんてしてないでしょ?」
    「わはは、嘘つけよ」

    『オレは無茶苦茶な理屈を強い口調で言う。そうすれば大抵のことは通るのだ。
    カネダは納得がいかなそうな顔をしていたが、オレがあまりにも自信満々に言うので、もしかすると自分が間違っているのとかもしれないと考えて、うやむやに頷いた。』

    「クラトはどこだ?」
    「知らねえな」
    「クラトの腰巾着のお前がやつの居場所を知らないわけがないだろう」
    「腰巾着?」
    「ウエストポーチみたいなやつのことだ」
    「俺がクラトのウエストポーチってどういうことだ?」
    「どういうことだと思う?」
    「便利ってこと?」
    「そういうことだ」

  • 道徳の時間◯
    園児の血△

  • 「道徳の時間」
    自分が小学生の頃には浣腸の被害にあったことはないのですがそれはともかく。
    小学生というと純粋無垢な存在だと思われがちですが実際そんなことなかったよなあと振り返れば思うわけで、自分の行動がどういう風に周囲に映るのかとか、かなり計算高く行動していたと思います。そのあたりをかなり正確に描写しているんじゃないかと感じました。100Pの短編ですが登場人物が多く、それぞれの思惑の絡み合いが面白かった。
    「園児の血」
    全力でふざけてるな。自分は割と嫌いじゃないけど、読んでも何も残らない作品ではあるw

  • 「道徳の時間」。大人も子供も心の中にある微妙な心理がことごとく描写されている気がする。そのおぞましさにヒリヒリする。
    「園児の血」。これはちょっと無理がある表現かな、と感じる。園児が大人すぎる? ある程度はわかるし、その試みも悪くはないが、ちょっと行き過ぎ。

  • こういう感じわかるなあ、登場人物全員に共感できるし手に取るように想像できる。よく言語化するなあ。
    ふきげんな過去はやく見に行きたい

  • 2つの子どもの話。なのにそれはひとつのぞっとするような社会。おもしろいです。映画、最近では「ふきげんな過去」やその他著書もほぼチェックしていますが、演劇だけは観たことがないので、ぜひ観たいと思い続けています。

  • かんちょーブームは確かに自分の子ども時代にもあったはずで、
    これに似たようなことはきっと、自分のすぐ近くにもあったはずだ。程度は違えど。
    あのころのことを丁寧に描写して言語化したら、こんな小説になっていたのだろうか。それを四十路手前でやってのけてしまう前田司郎ってすげえと、単純に思った。

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著者プロフィール

1977年生まれ。劇作家、演出家、俳優、小説家。和光大学人文学部文学科在学中に劇団「五反田団」を旗揚げ。2005年『愛でもない青春でもない旅立たない』(講談社)で小説家デビュー。同作が野間文芸新人賞候補となる。2006年、『恋愛の解体と北区の滅亡』(講談社)が野間文芸新人賞、三島由紀夫賞候補、2007年、『グレート生活アドベンチャー』(新潮社)が芥川賞候補に。2008年には、戯曲「生きてるものはいないのか」で岸田國士戯曲賞受賞。同年、『誰かが手を、握っているような気がしてならない』(講談社)で三島由紀夫賞候補。『夏の水の半魚人』(扶桑社)で第22回三島賞。その他の著書に、『逆に14歳』(新潮社)などがある。

「2011年 『小説家の饒舌 12のトーク・セッション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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