元気じゃないけど、悪くない

著者 :
  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784911226025

作品紹介・あらすじ

*** 3/15(金)リアル書店先行発売! ***

50歳の急カーブ、愛猫との別れ、不安障害、めまい、酒や家族との関係…
わけのわからない不調のどん底から、リハビリが始まった――。

「わたしの心と身体」の変化をめぐる、物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。

***
「死にたい」と思うほどの状態から、「これなら生きていてもいいかも」と思える状態になるまでの心身のリハビリについて書いてきたのだと、書き終えてわかった気がした。
 (…)
 無傷ではないし、今後は古傷が疼くことがあるのかもしれない。全快しゃきしゃきの元気いっぱいでもない。でも「回復」とは異なるカタチで、わたしは自分の人生を新たに立ち上げて生きている。そういうの、全く悪くない。むしろ、悪くないと思うのだ。
――本文より
***

「コントロールしよう」を手放し、自分が変わったと実感するまでの3年間の記録。


装画・挿画・題字 細川貂々

感想・レビュー・書評

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  • 《予約・3/20以降発送》読書会(3/31)参加チケット+書籍『元気じゃないけど、悪くない』 ...
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    Yumiko Aoyama|note
    https://note.com/aoyama_kobe

    元気じゃないけど、悪くない | 書籍 | ミシマ社
    https://mishimasha.com/books/9784911226025/

  • 心が振りきれてしまわれるまでのことと,その後のことが丁寧に書かれている.自分自身,義妹がつらい状態の真っ最中だけど,どんな気持ちなのか少しだけわかれて良かった.とにかく心配なことや不安なことが多いというのは,同じような感じだけど,それを意識して流せるようにできればと思う.あと,体を動かすという点では,義妹も最近チョコザップに行き始めたので,それも良いというのが再確認できた.

  • 『人生最後のご馳走』に感銘を受け、『ほんのちょっと当事者』の出版記念のトークイベント(titleにて)で大笑いしながらも感激したのが2019年の12月。それ以来ずっとSNSで発信される言葉の端々から著者の心身の揺れを我が身に重ねて一喜一憂していたので「元気じゃないけど、悪くない」のは実感としてすごく共感できるし本当に本当に嬉しい。予想もしなかったいろんなことが怒涛のように降りかかって来る中、試行錯誤した日々をよくぞ記録していてくださり、その上こうしてまた一冊の本にしてくださり感謝します。

  • 本のタイトル、歳を重ねていくと実感する。

    身体は若い時のように良くもならず、現状維持か下降線。
    あとは気の持ちよう。とはいえ、なかなかコントロールするのが難しい。

    うんうんと同意できるところ、なんか違うなと思うところも含めて、これから先、大いに参考にできる著書との出会いに感謝。

  • いま読めてよかった本。回復とはちょっと違う、新しい自分を創っていく話。

  • 青山さんはすごい。不調な中でもいろんなトライをし続けて、じわじわとご自身のペースを作っていかれる様子が描かれる。体調との向き合い方も、原因を探れるものは探りつつ、「自分にとって心地のいい場所や、人とのかかわり」を構築しつつ、「悪く無い」とつぶやく。こんなのなかなかできないよ、しんどい時に。すごい。結果的に広がる世界、気になるところから広げていく姿、人生を諦めない姿に涙する。不調の真っ只中でも唯一読めた本です。

  • 感想はあとでゆっくり書きたい。しばらくは読み返しながら自分に響いた言葉をひとつひとつ拾いたい。

  • p.31 ロイを見ると、かわいいより先に感情の整理がつかず、複雑な気分になるのだ。邪心や偏見を持たず、透き通った瞳をキラキラさせて愛を信じるロイが、犬と言う存在が、私はいつしか苦手になった。ロイはいつだってかわいい犬だった。そう思えなかったことが今となっては、申し訳なく、その事実ははわたしという人間の醜悪さを表出させる気がして、哀しい。ロイが選ましかったのかもしれない。
    後年、母が終期の、本当に命の限りを目前にして苦しみに耐えていたとき、病室で唐突にこんな言葉を滑らしたことがあった。
    「ゆみこちゃん、わたしね、ロイをもっとかわいがってあげたかったのよ。かわいいかしこい犬だったでしょ。でも他のことでしんどくて。いまならもっとかわいがってあげられ
    るのに」
    十数年も前に死んだ犬のことを、こんな病床で思い出すなんて…・・・・・。
    母も苦しかったのだ。純粋に愛することだけをできなかったことが。
    ママはかわいがっていたよ。わたしもかわいがってあげたかったよ。仕方がなかったよね。わたしは力なくそう答えるしかなかった。
    なすべきこととして「世話をする」でなく、おおらかに「面倒を見る」ことをわたしたちはしたかったのだと思う。手がかかることさえ慈しむということを。
    十五年ほど我が家にいたロイは、大きな病気もせずにいわば寿命を全うした。最期は家のなかで家族に見守られて静かに眠りについた。

    p.69 親は子供に呪いをかけてしまう

    その本に関わるタイミングと重なってわたしは一冊の本と出会っていた。福岡で学習塾を運営する鳥那郡久さんの「おやときどきこども」だ。思春期の子どもと向き合う鳥羽さんが「子ども」が「自分独特の生き方を発見した興奮」に触れる感動を綴ると同時に、そうした「子ども」を阻害する存在としての「親」や「大人」について紐解くように語られた一冊でもある。
    親子がどうしてうまくいかないのか。鳥羽さんの語りを聞いているうちに、もう五十を目前にする年齢で、とっくに大人になっているはずの「自分のなかの子ども」が強く疼いた。
    例えばこんな一文がある。
    親というのは子どもにたびたび呪いをかける存在です。成績が急上昇して喜んでいる息子に「そんなに調子に乗っていると、いまに悪くなるよ。」そう言い放つ父親がいます。彼氏ができた嬉しさではにかんでいる娘に「どうせ遊ばれてるだけよ」と貶める言葉を吐く母親がいます。こういう少し極端な例を持ち出さなくても、親や大人たちはそうとは気づかずに子どもに呪いをかけてしまうものです。
    (一三九頁)

    p.72 「自分のやり方を押しつけるなよ」と夫が高すると、わたしは「挑角良いことを言ってあげているのに、どうしてこの人はうがったものの見方をするのだろう」と心からうんざりして、「わかってもらえない」ことへの不満のようなものが、どんどんと心のなかに積もっていった。それはすべて夫のせいだと疑うことがなかった。
    しかしどうだろう。親子の間で生じやすい支配構造のようなものが、自分の夫婦関係にそのまま当てはまる気がしてならない。
    「よかれと思って」なんて言いつつ、ぐっと休職して捉え直してみると、ほとんどの状況
    はあくまで「自分にとっての都合の良さ」ではなかったか。さらに、思い当たることがある。「よかれ」には深い意味があるわけでもなく、たいていはわたしのその時々の単なる「気分」によって決められていた気がする。そしてそして、その気分のほぼすべてが、なんらかの「不安」から生じていたように思い起こされてならない。ああ・・・・・・。
    気分にムラのある母が予測不能に感情を波立てるので、自己防衛のためのアンテナを常に立てて疲弊しながら育ったことに、強めの言葉を使うと、わたしは子どもの頃から怒りを感じていた。親は気ままで理不尽で支配的な存在だと。支配される側がどんなに翻弄され、時に傷つくか。

    誰かを傷つけるような人間にはなりたくない。反発する気持ちが大きかった。
    なのに自分がその親とそっくりのやり方で、現在の家族である夫に対して接しているのではないか。そう気づいてしまったとき背中に氷を押しつけられたような恐怖を覚えた。
    そんなつもりじゃなかった。よかれと思って・・・...。自分に言い訳したかったが「つもりはなくても、受け止める側が感じていたなら、やってたってことでしょ」とわたし自身が親に対して感じていた言葉が、そのまま自分へのダメ出しの声として聞こえてもくる。ぐうの音も出ない。
    愛情や心配という体に見せかけた呪いで、人を支配しようとしている。わたしは無意識に誰かに呪いをかけている。わたしは根本的に間違えている。誰から指摘されたわけでもないが、自分でそのことを知ってしまった。はっきりと。かつて自分がかけられ、いまは人にかけている呪いを初めて「見た」ような気がした。

    p.75 それは生まれてはじめての感覚だった。暗く重たく物事を考えてしまう。鬱っぽい感じとは正反対の、ぱーっと、明るく、思考が空回りするような感覚。だが、どれだけ回転したところで、わたし自身の「想定内」のなかでしか広がらず、「閉じた思考」は行き場がなく空虚で軽い。その事実さえも「見えて」しまう気がして、浅はかな自分がたまらなく痛い。辛い。なのにどうしても自分に問い、答えを出そうとすることを止められない。
    考えることをやめられずに苦しくて苦しくて、わたしは気が狂うかもしれないという恐怖を感じた。あきらかに「異常事態」だと気づいた。
    これはいわゆる「躁」っぽい状態ではないだろうか。
    以前、社会福祉士の受験勉強をしていた頃に読んだ精神障害の入門書に書かれていた内容を思い出し、たったいまの自分の状態を「危険」だと理解した。自分の脳が、異常なフアンの音を鳴らしながらオーバードライブで過熱するパソコンのように、ついにはブラックアウトしてしまうんじゃないかと。
    ぎゅんぎゅんに空回りする思考をどうすれば止められるのか。どうしてもわからない。
    パソコンなら外付けハードディスクを取り外して、強制終了できるのに。人間の場合は頭だけパカッと外してぽいっと投げ捨てたりはできない。苦しい。
    ふっと思いついた。高いビルから飛び降りて自分を身体丸ごと止めてしまえば、もうこれ以上考えずにすむのかも。そうか、身体が死ねば頭ももう考えなくていいよな。強制終できる。それはどんなに楽だろう・・・・・・。。
    死にたいというのは、楽になるための選択なのか。なるほど!そんなことまでもわかったすごいと驚いて、死にたい、楽になりたい、と空回りする頭で考えている自分が恐ろしくてたまらなかった。
    そのときのことをいまもはっきりと覚えている。
    楽になりたい。苦しいからこそ希望を見出して、人は死を望むのだなという感覚を。
    ちなみに制御不能になって、心の危機を感じていたわたしのすぐ隣の部屋には夫がいて、コップがテーブルにコツンとあたるようなのどかな生活音が漏れ聞こえていた。
    緊急事態はすべてわたしの頭のなかで起きていることでしかなく、夫はそんなわたしの様子に全く気づいている気配はなかった。そのことが辛うじてわたしを現実に引き留めていた気がする。

    唯一の手に賭けることにした。
    月曜の午前診は十時から受付開始だ。それまで約四十時間。ここを乗り切って先生になんとかしてもらおう。わたしはいまちょっとおかしいので、自分を騙してでもなにも考えないでいなくてはいけない。睡眠導入剤を飲めばある程度寝られる。それ以外の起きている時間をどうやってやり過ごせばいいのか。
    そう思案したとき目が合ったのが、タラ・ウェストーバーという三十代の歴史学者である女性の書いた、「エデュケーション」という五〇〇頁ほどの分厚めの回顧録だった。ブックライティングの締切を抜けたら読もうと楽しみに机に積んでいた一冊だ。
    そうだ、本は自分を忘れさせてくれる。のめり込むように読んでしまう本なら、自分の思考を保留にしてくれる。これは子どもの頃から有効な手段だった。
    『エデュケーション」は仕事仲間でもある村井理子さんが翻訳したもので、読むのが苦しいほど辛い本だけど、読み応えのある強い語りの一冊だ。ということを、その数日前に一気読みしたという牟田都子さんからも聞いていた。
    二人の頼する手練れの読み手が「心をもっていかれる」ような本なら・・・・・・すがるような気持ちでわたしは表紙を捲ってタラの語りを必死に目で追った。目のレンズの焦点が合う先に現れる一文字しか見ないと決めて、自分史上最大の集中力を振り絞って命がけで「エデュケーション』を読み始めたのだ。
    結果からいうと、わたしの脳はこの本を貪るように読んでくれた。表紙を捲ってから即引き込まれて、その夜は晩ご飯を食べる以外は、本から目が離せなかった。

    アメリカのアイダホという遠い地の話ではあったが、それは親子の物語だったからだ。
    政府、病院、公立学校を頼らないサバイバリストで、狂信的なモルモン教原理主義者の父。
    支配的な親の環境下から、死に物狂いで自分を解き放つプロセスを描いたサバイバーによ
    せいぜつ
    る凄絶な自分語りだ。
    心身への強いダメージを受けながらそれでも諦めずに何度も立ち上がろうとするタラの声が、まるでわたしの魂にじかに触れてくる気がした。読んでいるだけで息が止まりそうなエピソードの連続が、わたしになにかを考えさせる隙をあたえないほど、強くまっすぐな声で届いてくる。わたしはほとんど目を見開いたまま、呆けたように口を開いて、ただただ彼女の声に耳を傾けていた。
    気づけば十二時を回り、目がカラカラで肩もバキバキだった。本を閉じて睡眠導入剤を飲んでぱたりと寝て、いつものように悪夢にうなされて中途覚醒しながら途切れ途切れで寝て、早くに目を覚まし、朝ご飯を食べると再び続きを読んだ。
    希望と絶望が同時に訪れる彼女の心の痛みに自分の胸を焦がし、それでも彼女が諦めずに一つひとつ手に入れようとした自由への震えにわたし自身の一部が解き放たれて、源を流した。行きつ戻りつ揺れ動く彼女の心情に、自分を重ねてまた泣いた。夫がつくってくれた昼ご飯と晩ご飯を食べる以外はひたすら読み続けて、絶対に諦めないタラに引きずられるように最後の一頁まで読み終える頃にはまた夜中になっていた。
    深い深い森から生還した。そんな気分だった。
    わたしは再び薬を飲んで布団に潜り込んだ。その夜は一度も中途覚醒せずに、夢も見ずに、起きると八時間が経っていた。そんなに長い時間ぶっ通しで寝られたのは何年ぶりだ
    ろう。
    たっぷり寝たのに頭が激しくずきずきした。夫に言うと「本の読みすぎやろ」と軽く返ってきた。
    あんなに高速回転していたわたしの脳は、何事もなかったかのように静かに、むしろのろのろと動いていて、なんだか急にどっと疲れた気がした。また夫に言うと「寝すぎやろ」と返ってきた。
    「エデュケーション』には、いわば親にマインドコントロールされていたタラが、自分だと思っていたものが、自分ではないと気づくプロセスが描かれているのだが、わたしが本著を読んで得た最も大きな発見は、親に洗脳されていたタラがそうであるように、わたしも「自分を知らない」ということだった。
    子どもの頃から親に怒られたり、言われ続けたりした刷り込みのようなもの。気づかなこうあに自分にはりついて「自分」だと疑わなかったもの。わたしは親や大人に反発する気持ちが強くて、性格をこじらせて天邪鬼でずるく小覧しい人間になった。自分をそう思い込んできたけれど、それは本当に「自分」だったのだろうか。そう思い込まされて、いつしか自分で勝手に信じ込んできたのではないか。
    タラの語りにどう助けてもらったのかわからない。はたして自分がどう助かったのかもわからない。ただ、自分のこじれを指摘されて、根本がぐらぐら揺れている理由の「どうしようもなさ」をタラが共有してくれて、考えることを諦めさせてくれた気がするのだ。
    圧倒的なすごい力で触れてきて、自分をどこか手放すようなことをさせて、結果的にいちばんしんどいところから脱け出させてくれたのがタラ・ウェストーバーの「エデュケーション』だった。
    そんな月曜の朝、午前診の受付ぎりぎりで精神科に滑り込んで、担当医の先生に「自分で自分をコントロールできなくて、頭のなかでずっとひとりでしゃべっちゃってました」と土曜日からの出来事を説明したところ、先生はそれまで見たことのない真剣な表情で、注意深く言葉を拾いながら聞き終えてから、「軽い躁っぽい状態だったんだね。でも、もう大丈夫。あなたは自分も誰かも傷つけないよ」とわたしの目を見た。
    先生と話していると、あの異常事態とは違う状態に自分がいるという実感が薄いた。苦しくて死にたいと思ったけれど死なずに生きていて、狂うかと思ったけど、それも避けられたようだ。とにかく生き延びたのだ。
    できるだけ考え込まないで、よく寝ましょう。先生が睡眠の薬を少し強めに調整してくれて、帰宅した。張り詰めていた緊張が解けて腰が抜けそうに力も気も抜けた気がした。
    頭はどこかふわふわと所在なく、自分が自分でないような、言いようのない心許なさがわたしを包み込んでいた。

    p.90 「しんどいのに、自分でわざわざ不安を作っちゃうのが不安障害やねん。体にも反応が出てるから、だいぶしんどそうやなぁ。薬、飲んでみる?」

    p.91 不安障害とは、自分が生み出す「根拠のない不安」が、新たな「不安」を生むというのようだ。なによりしんどいのは「不安のループ」から抜け出せないような思考の囚われだ。その四われはわたし自身がつくり出している。なぜ、なぜ。考えると不安になるので、処方された薬を早速飲んでみた。なんとなくふわふわする浮遊感がましになった気がする。
    気のせいかもしれないが、嬉しくなった。不安で埋め尽くされたわたしの心に、小さな好りがぽっとともったような感触に泣きそうになる。
    この灯りが大きくなれば、わたしはこのわけのわからない苦しさから脱け出せるのかもしれない。胸のあたりにかすかにともる小さなその灯りを、ぎゅっと抱きしめたくなった。
    大事にしよう。
    そして迎えた五十の誕生日、あんなに節目に感じていたはずなのに、「自分なんか生まれてきてどうなのか」というネガティブな気持ちしかもてなかった。五十にもなって中学生のように「自分」をこじらせるなんて、恥ずかしくてひたすら痛い。
    太陽が姿を現すことのない、薄暗く凍てついた世界が「自分」のなかに広がっているように感じた。暗く混んだダークサイドにわたしは墜ちてしまったのかもしれない。なぜ、なぜとやっぱり考えてしまう脳を、薬が少しぼんやりさせてくれていた。

    p.98 付き合いの長い病院と言うのは、私にとって信頼する専門家が話を聞いてくれて、何かしら意見がもらえる場所だ。私の妄想というか想像ではない、確かな声が聞けるのは、不安ではち切れそうな私には貴重な機会でもある。

    p.102 わたしはごく当たり前に掃除、洗濯、日用品の補充といった家を整える雑事を担っていた。
    子どもの頃から「女がやるもの」と言いつけられていたので、「そういうもの」という諦めはほとんど無意識のレベルにあっただろう。
    そんなわたしと「夫」という「家族」との関係性、そして暮らす家という「場の環境」が邀変したのだ。同時に、わたし自身も「変わろう」としていた。本当に心から自分を変えたかった。
    例えば、部屋が自分の思うように片付いていなくても気にしないなど、それまで自分で自分に課していた小さな「~すべき」ことを手放していった。いや、手放そうと努めた。
    これはなかなかの難問だった。
    家事なんて心からやりたくないし、「やらなくてもいい」と夫に言われても、「なにもしない」自分に対して、自分自身が落ち着かないのだ。
    夫が食事の用意をする台所から聞こえる音に、責められている気がするし、食後にお皿を洗わないで座っている自分を夫は腹立たしく思っているのではないかと歪んだ想像が膨らみ、こんなにしんどいのにどうしてわたしを責めるのかと腹が立ってくる(ひと言も責められていない。
    あふれ出る枝害妄想にうんざりして、こんなに落ち着かないなら自分で洗おうと、心かやりたくない気持ちと、やったほうが気が楽だという気持ちに引き裂かれながらスポンジで皿を洗っていると、悔しくて涙が止まらなくなったことがある。
    やりたくないことを我慢してやろうとする自分と、こんなこともできなくなった自分に対して。
    泣きながら泡を流すわたしに夫はドン引きして、やめとけよ、と無理に替わろうとしたのがさらにわたしの負のスイッチを入れて、「やりたいことはやらせてくれてもいいでしょ」と意味不明にぶち切れた。そんなふうに切れる自分が申し訳なく情けなく、やっぱり自分がわからない。やりたいこと、ほんとの自分の気持ちがわからない。意地になる自分の愚かさだけはわかる。こんなふうにこじらせてしまったのは、やはり自身のせいだと責めたくなる。
    そんなときは自虐のループに陥らないようになんとか自分を制して、心を「無」にする努力をした。例えば、流れる水をただ眺めるとか、猫を撫でるとかして、自分の意識を飛ばすことを必死に心がけた。
    家事を諦めることは相当にハードルが高く、自分に刷り込まれたものがここまで強固だとは•・・・・と頑固さに打ちひしがれるほどに簡単ではなかった。
    それでも「しない」という選択ができたのは、身体がしんどくて「できない」からだった。身体が諦めさせてくれたのだ。元気で「できた」なら、わたしは「~すべき」と思い込んだことをし続けていたと思う。いまも変わらず。
    また、以前なら夫が掃除したやり方が気に入らず、「ここの汚れが取れてない」などと自分のルールで文句をつけていたのだが、そもそも自分の目についたところしか、気にも留められていなかったわけで。正直、ちょっと汚れてたってなんか問題ある?病気にならない程度のほこりなら必死にならんでええやん。なんでわたしはそんな必死になってたんや・••••・とまたも自分を責めたり。
    ぐちゃぐちゃに心を揺らしているわたしに、なにも要求せず、深く詮索することもなく、ひたすら夫からの協力が全面的に得られたことは、本当に幸運だったと思う。その幸運が彼自身の不調経験によるものだと想像すると、複雑ではあるが。また、当時は夫自身も心臓病や怪我からの病み上がりだったので、かなりしんどかっただろう。でも、そのことに気を回す余裕はわたしには一ミリもなかった…。
    さておき、そこまである意味、環境が整っていても、「家事をしない=なにもしてない」気がして、後ろめたさと申し訳なさで自虐する思考のループは簡単には止められなかった。
    「気にするな」と夫に言われても、「気になる」のが「気の病」。本当に難しい。

    p.120 朝起きる。顔を洗う。椅子から立ち上がる。階段を下りる。牛乳を買いにコンビニに歩いて行く。借りている本を返しに図書館まで自転車を漕ぐ。鳴いている猫にご飯をあげる。
    冷えた身体をお風呂で温める。ただの日常生活だが、浮遊感が怖くてつい座り込んでしまいそうなわたしには、「行動」を「運動」としてカウントすることが、いわばリハビリの最初の一歩ともなった。
    目的をつくって、小さな行動をする。生活をするってこと。あまりに当たり前のことばかりだが、身体も心も鍋のように重たいわたしには、一つひとつが必死の冒険のような心持ちだった。できなくてもいい、できれば上等くらいの感じで。
    地味なりハビリを積み重ねるような毎日が、二日、三日、一週間と過ぎるなかでわたしはなんとか日常生活が送れるようになっていた。
    小さな小さな「身体を動かす仕掛け」を日常のあちこちにトラップのようにつくっていきながら、できれば楽しみを目的にした「行動」も意識し始めた。自分の小さなやる気を見逃さないように注意深く、ぽっと胸の奥に生まれる欲望の灯りのようなものに忠実に。
    思い切ってぼさぼさの髪の毛を切りにいき、歯科クリーニングの予約も入れて、ほとんどセルフォグレクトになっていた自分をケアすることも少しずつ始めた。そんなすべてが「連動」の機会につながる。それは少なくとも自分に悪くない。たぶん。

    p.120 大家さんが主人ということで、物件に対する信頼は、もとより、その人が人生よか、ぐずぐずに詰まって、心身ともにくたびれきっていた私の状態を聞かずともさしてくれる存在だったことも、その部屋に対して100%以上に安心できた理由だった。

    p.142 「自分しか自分が守ってくれないですよ」と貂々さんがあるときに口にした言葉も、胸にしっかりと刻み、自分を守るやり方も身に付けたいと、心に小さな光がまたぽっとと思っていた。

    《書籍》

    ヴァージニア・ウルフ(著)、片山亜紀(訳)「自分ひとりの部屋」平凡社ライブラリー、二〇一五年

    小林弘幸(著)、一色美穂(漫画)「まんがでわかる自律神経の整え方ー「ゆっくり・にっこり・楽に」生きる方法』イースト・プレス、二〇一七年

    斎藤環(解説)、水谷緑(まんが)『まんがやってみたくなるオープンダイアローグ』医学書院、二〇二一年

    水谷緑「精神科ナースになったわけ』イースト・プレス二〇一七年

    細川貂々「ツレがうつになりまして。」幻冬舎、二〇〇六年

    青山ゆみこ「ほんのちょっと当事者』ミシマ社、二〇一九年
    青山ゆみこ、牟田都子、村井理子『あんぱんジャムパン クリームパン女三人モヤモヤ日記』亜紀書房、二〇二〇年

    細川貂々、水島広子「それでいい。ー自分を認めてラクになる対人関係入門』創元社、二〇一七年

    p.160 渡し程度で…と、今更のように不安を募らせたが、顔合わせの初日に自己紹介代わりにあれこれ話した結果、他の三人から「いまいちばん困っている人は青山さんのようなので、青山さんが困りごとを話す人(相談者)として、オープンダイアローグを始めましょう」と満場一致で決まった。
    高次脳機能障害、うつや摂食障害、発達障害といった皆さんより、たったいまはわたしがいちばん困っているのか。そう認定されただけで、もうほとんどの話を聞いてもらったような強い安心感と心強さと、「困っている人」の自が改めて湧いた。
    そして安心してめそめそと泣きながら愚痴のような、弱音のようなものを漏らして、みんなにただただ聞いてもらい、わたしの話を聞いたみんなの感想も聞かせてもらった。
    それはいまもってうまく言えない体験だった。なにもないと言えば、なにもない。ただ話をする声と、当たり前だが時間の経過がある。それ以外は、うーん。表現することが難しい。
    「オープンダイアローグ」は「対話の手法」だが、複数で集まって話す、聞く。基本はそれだけともいえる。「その人の体験や話を否定しない」「ジャッジしない」「説得やアドバイスをしない」といったシンプルな対話のルールが共有できれば、特別な道具も使わずとも、人が集まればその場は生まれる。

    集まりの場で、参加者はフラットなポジションでお互いの顔が見えるように座る。そこでまず相談者が話したいことを話す。その後、不自然ではあるが、相談者と目を合わせないように身体の向きを変えて、「聞く」メンバーだけでそれぞれが感じたことを伝え合うのがリフレクティングだ。相談者からすると、まるで他人の話でも聞くように、目の前で「自分についての話を聞く」ことになる。
    わたしはこれまで、適度に質問を挟んだり、相づちを打ったり、言葉のキャッチボールを弾ませることが「良い会話」だと思い込んでいた。けれど「話す」と「聞く」を分けた、話を造られることがない場だと、内容は支離滅裂であっても「話し切る」ことができるような感触があった。話に結論は出ないのに、「聞いてもらえた」という実感というのだろうか。
    最初はとりとめのなさに不思議な感触をもつが、体感的にとことん安心が確保された「居場所」となることもわかった。だからめそめそ泣けたのだと思う。
    アドバイスはなくとも、共感や心配の気配は伝わってくる。言葉を選ぶその所作からも。
    その場で結論が出て、問題が解決する、なんてことが起きなくても、一緒に考えていきましょうという心強い言葉があった。いや、やっぱりそれを越えた気配がなにより大きい。

    p.203 鍼治療の先生があるとき、一つの極論だけどと前置きして、心臓さえ元気に動き、全身に血液を回せれば、だいたいの身体の不調に変化があると話しておられた。運動を始めてから、精神科では「有酸素運動はいいですねぇ」とめられた。
    当たり前すぎるけど、酸素って脳にすごく大事なんだな。酸素が届かなくなると、脳細胞が死んでしまいさえする。血液の循環が全身にくまなく酸素を運ぶためだということも、改めて思い返す。やっぱり血行。また腑に落ちる。どの診療科の先生も、つまりは同じことを伝えてくれていたのだと、いまになってわかる。
    「心と身体のバランス」とよくいわれるが、確かにどちらかだけではうまく回らない。どちらかが動けば、もう片方はつられて動くのかもしれない。
    ちょっと話が飛ぶかもしれないけれど、わたしは不調に陥って自分を観察するようになってから、なぜか急に苛立ったり、嫌なことを思い出したりしてしまうとき、そういえばお腹が空いていたり、寒いのを我慢していたり、眠たかったり、どこかが痛かったり…実は身体的な「不快」が先にあることに気がついた。そんな身体の声に気づいていないときが多いってことにも。
    心を大きく怪我することも人生にはある。身体が動かないほどのダメージも受ける。
    ただ、身体が動く限りは心の傷に手当てして、癒やすことだってできる。
    傷が深い場合は回復にも時間がかかるし、古傷みたいに残る痛みもあるかもしれない。
    一つの身体で長く生きていると、無傷じゃいられない。指の切り傷や子どもの頃の火傷の跡のように、傷が残ったとしても、だからってうまく暮らせないとは限らない。
    怪我をしたときは適切な治療と、身体が回復する時間が必要だ。その時々に必要な手当ては異なるんじゃないかって。

    リハビリ期は、期待が大きくなるので、焦りも大きくなる。
    自分ひとりだと不安になるけれど、そんなときに併走してくれる人がいたら、なんだか心強い。「治したい」医者は、「治りたい」わたしの強い味方にもなると感じている。
    励ましと見守りとアドバイスをくれる味方は一人でも多いほうがいい。意見は異なるほが聞いたときに方向転換しやすいように思う。
    拠りどころというと大層だけど、悩みごとの度に相談する人が違ってもいいかもしれないって。それが仲間なのかもしれない。
    五十を過ぎたわたしの人生は、平坦で穏やかには進まないし、なにより間違いなく「老いて」いて、心も身体ももう無理がきかない。年を取るって結構大変なことだわ。しみじみ。そういえば、こうしたネガティブな意味ではない「諦め」は、いままで自分のなかになかった気がする。すっと肩の力が抜けるような「諦め」は、思いのほか生きることを楽にしてくれる。頑張りすぎるのはもうやめて、ほどほどに動いて、ほどほどに休む。騙し騙しは怖いので、あえてのらりくらりと気を楽に。
    ワンツーワンツーのリハビリダンスを始めて四カ月ほど過ぎた。そういえば「ふわふわ
    めまい」は七か、いや六くらいになった気もする。気のせいかもしれないけど。悪くない気がするなら、それでいいんじゃない。

    p.223 酸素運動と無酸素運動を組み合わせたプログラムなので、心拍数が上がり、必ず息が切れるタイミングがある。肺や心臓にも結構な負荷がかかっていると思う。不調になってからいつも喉が詰まっているような感触があったのだが、肺活量が上がったのだろうか。
    気づけば以前より声が出るようになっている。
    それは嬉しいおまけだが、わたしにとって大きく得たものが他にもあった。手を抜く。
    力を抜いてサボるということだ。トレーニングの真っ最中でも、あまりに息が上がって、ああ、無理!と思うその寸前の瞬間、すかさず力を抜いて、自分のペースで息を整えるようになったのだ。なにをやっていても力を抜くことが苦手だったわたしなのに。
    軽い筋肉痛や関節の違和感があるときは、迷わずトレーニングを休み、パッチワークのように湿布をぺたぺた貼りまくる。わたしにとって湿布とは、自分の身体をケアする、大切に扱うという行動の可視化でもある。他の誰でもなく、わたし自身がわたしの身体をケアする。わたしさえケアし続ける限り、わたしの身体は傷つきっぱなしなんかにならない。
    自分なりにとはいえ、身体の声を聞き逃さないようになれたのは、不調になってから結果として継続してきたリハビリのような数々の取り組みの成果なのかもしれない。
    友人に話すと、「格闘技1?」とまず驚かれる。
    確かに、フィットネスとはいえ曲がりなりにも格闘技にハマるなんて、自分でもいまだにじられない。ただ、このジムではなんせ試合がないし、勝敗を競うトレーニングもない。実際のところ格闘はしていないのだ。
    そして、自分でも確かに元気だなあと思う。五十を過ぎてキックボクシングを始めるなんて、やるなあって。
    いや、でも、というかだ。わたしは「元気になってきた」のだ。さらにいうと、「元気になっている」まだ途中なのだ。そんなふうに振り返れるようになったのも、不調のどん底だった自分が、少しずつ「過去」となりつつあるからかもしれない。

    p.275 「僕はこういうのを、運動の貯金と呼んでるんだけれども。やはり元気なときに、できるだけ動いておいたほうがいいんだよね。何かあったときのためにもね」...寝込んでしまった後も、とにかく動かなきゃと思えたのは、「体の方が頭が良い」と言う姿である。内田樹先生の言葉を思い出したからだし、ゆっくりとではあるが、少しずつリハビリを積み重ねてキックボクシングを始めるまでに慣れたのは、運動の貯金のおかげなのかもしれない。頭では忘れていても、体は覚えているだろうか。貯金、有効!わたしの人生を「やり直す」ことはできないが、生活は「立て直す」ことはできるかもしれない。現に、リハビリ開始後の「運動」に見立てた「行動」は、そのままいまのわたしの生活をつくっている。
    不調になって以来、わたしの生活も、わたしの身体も変わり続けている。微しい波はあれども確実に、悪くない方向で。これがよくいわれる「回復」なのだろうか。わたしにはそういう言葉とは、なんだか違うように思えるのだ。
    キックボクシングを始めて、驚いたことがある。
    なにかに勝ちたいとか思ったことのない、勝負事に全く興味のなかったわたしだが、「自分に負けたくない」という思いがどこからか湧いてくるようになった。
    諦めたくない。そういう気持ちなのかもしれない。格闘技は、自分のなかにある、自分
    もまだ知らないものを引き出してくれるのかな。よくわからないけれど。

    p.237 「手放すっていいねぇ。なにを手放したん?」
    「自分のことをどうしたいとか、夫にはこうなって欲しいとか、自分も誰かもなにもかも思いどおりにならなくてしんどかったけど。でも、どうにもならないよなあって。自分でも自分を思うようにできないし、そもそもどうにもならないことってあるから」「それはね、コントロールしようとするのを手放したんと違う?」「そうなんでしょうか。ちょっと考えてみます。考えすぎるのもやめて。ああ、また大変なことがあるかもしれないなあ。でもまあ、なんとかなるような気がします」「生きるって大変やもん。また大変なことあるんちゃう?」「ちょ、先生、不安になるようなこと言わないでくださいよ」
    「ははは」「ふふふ」
    そのときはまた先生を頼ります。他の誰かにも、まわりの人に頼りまくろうと思う。そのことにはわたしはもう一ミリの迷いも不安もない。

    p.239 あとがき
    うつ病は「心の風邪」とも表現される。
    わたしの場合は、精神科クリニックの診断はひとまず不安障害だったけれど、軽いうつと軽い躁も認められて、わたし自身の体感では「死ぬかと思った」である。風邪どころではない。
    「死ぬかと思った」ような状況で、一度、はっきりと「死にたい」とも思った。
    この「死にたい」は、なんとなく「死にたいなあ」みたいなぼんやり慣れ親しんだものではなかった(子どもの頃から生きるのが面倒に感じることが多かったので)。
    「こんなに苦しいなら死んで楽になりたい」というくっきりした、当時の青山ゆみこ人格の強い主張で、その声が聞こえたとき、かなり怖かった。
    あぁ、これはもう、わたしの心か脳か、そのあたりがなんらかの病気なんだなあ。
    幅広く設定されている「それなりに健康」の範囲に収まらない、いわゆる「心が振り切れた」状態だとわかった。
    心の繊細さや不安定さ、奥深さについてはもともと関心が強かったので、「メンタル」や「精神医療」関連の本やニュース、映像などに結構触れていた。情報や知識として、それなりに自分のなかにあった。
    そのおかげなのか、振り切れた自分を、もう一人の自分が眺めながら、「ああ、これは見聞きしてきたものだな」とわかった気がした。
    「自分」というのは、あんがいどこまでも「ひとり」じゃない気がする。いや、どうなんだろう。そんなふうに分裂していることで、わたしのなかの「誰か」が暴走したのだろう
    か。
    とはいえ、当時は、ほんの少しのその客観的な視点をもった「自分」が、わたしを精神科クリニックに駆け込ませたりして、「死にたいくらい辛いので楽になりたい」から、思いとどまらせたように思う。
    思いとどまったことは、やっぱり良かったのだろうと、理解している。
    でも、ひと思いに楽にならずに思いとどまったあと、「はい、じゃあ、今日からまたすっきり生きましょう~」とはならない。
    わたしは常に「過去の自分」と地続きだからだ。
    「死にたくなるほど苦しい思いをしたくない」という心からの願いを叶えるためには、ひどい火傷のあとの回復期のように、それなりの治療が必要になった(子どもの頃に、上半身を大火傷したことがあるのでこの表現です)。
    治療はさまざまな苦痛も伴った。どんなに劇的に効く薬を用いても、ただれた皮フが一度制がれ、そのあとに新しい皮フが再生するための時を要するように、時間がかかる。
    新しく生まれる皮フは、もともとの皮フを引き攣らせたりもする。その際には独特の痛みもある。
    多くの心の病の経験者と同様に、わたしも身体の不調がわかりやすく、時にわかりにくく頻出し、そちらの痛みも並行して治療する必要があった。
    「死にたい」と思うほどの状態から、「これなら生きていてもいいかも」と思える状態になるまでの心身のリハビリについて書いてきたのだと、書き終えてわかった気がした。
    いまは、新しく生まれた皮フと、もとからの皮フが、境界がよくわからないほどになじんでいる。見た目にはちょっとちぐはぐしていても、皮フ感覚では違和感がない、といったところ。いまのわたしが、そのわたし自身になじんでいる。
    無傷ではないし、今後は古傷が疼くことがあるのかもしれない。全快しゃきしゃきの完気いっぱいでもない。でも「回復」とは異なるカタチで、わたしは自分の人生を新たに立ち上げて生きている。そういうの、全く悪くない。むしろ、悪くないと思うのだ。

    リハビリの過程で自分が抱えている問題のようなものがいくつも目に入った。アダルトチルドレンやインナーチャイルド、アルコールなどの依存症のこと、DVなどの歪んだ支配構造から起きるハラスメント、共依存などの問題もそうだ。すべてが自分事として関係していると確認することにもなった。臨床心理士の倉田さよ子さんの著書や、HCC(原宿カウンセリングセンター)の講座にも多くの示唆を受けた(というより、救ってもらったとも感じている)。東駅人さんの臨床心理学講座では、心を見る「フラットな目線」
    や、東畑さんの知的好奇心が伝わってきて、苦しいなかでも面白さを心にもとうと思えたり。またさまざまなメンタル不調の当事者による切実な著書の数々は、どれほどわたしを励まし、助けてくれただろう。
    たったいま、絶望している、生きることから解き放たれたい。
    これを読んでいるなかにも、そんな人がいるかもしれない。
    あなたの思いをわかるとは絶対に言えないし、その人になにができるかって聞かれても、とても難しくて黙り込んでしまうかもしれない。
    それぐらい、その人にもどうにもならないことだって、ちょっとだけ想像します。

    大変だろうな。
    大変ですよね。
    そうとしか言えなくて胸が痛い。
    希望が欲しかった。小さくてもいいから。
    あの当時のわたしに向けても、これを書きました。
    書くことはわたしを大きく助けてくれた気がしています。併走してくれたミシマ社の編集者・角智春さんにも感謝です。
    あまりにたくさんの人に助けてもらったので、名前が書き切れません。関わってくれた全員がわたしの恩人なのだと心に刻んでいます。ありがとうございます。

  • 貴重な当事者のお話を読むことができてよかったです。自分だけじゃないんだなと思えたこと、血行を良くするために何かやろうと思います。

  • 年齢を重ねてから出会う心身の不調とセルフケアのお話。

    前半は不調のお話が中心で、どうなっていくのかなと思いましたが、後半、セルフケアのお話になってきてからはぐいぐい引き込まれ、しみじみ味わいながら読みました。

    様々なセルフケアの技法をどのように導入し、そこで何を感じ、何を考えたのかが本書の中で丁寧に紹介されています。
    『セルフケアの道具箱』の活用方法が改めてよくわかりました。繰り返し、繰り返し、自分にフィットするやり方を探して、見つけていくことが大切なのだと思いました。

    心身の調子が崩れてくるお年頃なので、この本をガイドに、私も私のためのセルフケアを見つけ、ブラッシュアップやカスタマイズをしていこうと思います。

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著者プロフィール

フリーランスの編集・ライター。1971年神戸市生まれ。神戸松蔭女子学院大学非常勤講師。対話型文章講座を主宰。著書に『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

「2024年 『元気じゃないけど、悪くない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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