MONSTER DVD-BOX Chapter 1

監督 : 小島正幸 
出演 : 木内秀信  能登麻美子  小山茉美  磯部勉  田中秀幸  勝部演之 
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感想 : 21
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988021129053

感想・レビュー・書評

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  • たまらん
    序盤を少し見逃した
    またいつか観たい
    マンガの方も

  • マンガは昔途中で投げてしまったので改めてアニメで。作画が浦沢直樹そのままでびっくり。

  • Gyao!にて。鑑賞メーターから移行。

  • 暗いアニメ、長くて疲れた。
    壁崩壊より前の話が多いので、時代が下るとわからない人が増えそう。
    逃げるのが医者ゆえリチャード・キンブル、追いかけるのはジャヴェール警部に思えた。
    ねずみ男そっくりのコソドロとかも出演。
    ラストに向けてのメインストーリーよりも、ロードムービー風の脇エピソードの方がいい。

  • 本作の主人公は一見するとDr.テンマであるかのように見えるのですが、ほんとうの主人公はヨハンです。ヨハンの存在証明としての数々の残酷と、ヨハンのアイデンティティ獲得の物語、愛を求める物語です。テンマはあくまでヨハンによって、人生を狂わされた人物のひとりにすぎない。そのなかで、ニナ同様、特別の思い入れを持つ人物であるに過ぎない。「名前のない怪物」ヨハンの(望ましくはない)成長を主軸に、複数の人物のあまりにも濃い人生の物語が展開されていますが、それもすべて、ヨハンという少年が狂わされ、やがてその狂わされたやり方と同じやり方でしか世界を眺めることができない青年になったヨハンが、やはり同じやり方で、周囲を狂わせていく物語です。
    人は誰かに与えられたものを軸に、自分の存在、自分の生き方をある程度規制されてしまう。それは両親の教育方針であったり、愛情の注ぎ方、あるいは学校の規則、社会のルール、友人関係、師弟関係、あらゆる生きていくうえで関わってきた人々との間に生まれたものでしか、人間を規定することはできないということ。狂わされることしか知らなければ、同じように、かつて自分が狂わされたやり方で、人を狂わせることしかできない。愛されたことのない少年が、人を愛することのできる青年になることはできない。登場人物たちはさまざまな人とのかかわりあいの中で、欠けていたものを見つけたり、失ったものを見つけたり、たくさんの取りこぼしたもの、要らないとうち捨てたものを拾い上げる日々を送ります。名前=存在の証明、愛=存在の許容、人間であることを問い直す物語です。

    全話見終わったうえで、物語の全容を時系列的にメモしておくと、まずはボナパルタが、時代の気運に後押しされ、優秀な兵士として機能する、人種的にも優秀な人間をつくりだすために、子どもたちに虐待まがいの教育を繰り返し、血も涙もない、誰とでも代替可能かつ殺人も自殺も厭わない兵士を国家戦略として育てるための前段階の実験として、「赤い薔薇の屋敷」で、選ばれた男女から生まれた選ばれた子供たちを英才教育(という名の虐待)します。ここで双子の両親がランダムに親として選ばれ、双子はその怪しげな教育の実験台となるけれど、ここで屋敷に連れて行かれたのはニナ。しかしボナパルタは双子の母に恋をし、双子を憐れむようになり、双子を実験から解放するため、実験に係わった人間を屋敷に呼び集め、46人を毒殺。やがて双子は家を焼き払いふたりだけで荒野をさまよう。このときボナパルタからニナは、「人間は誰にでもなれる。だから怪物にはなるな」、つまり君たちにした虐待の跡は消えないかもしれないが、それを忘れて、健やかな人間として育ってくれと伝えていた。しかしそれを知らないヨハンは、里親のもとを転々としながら、警察に引き渡されそうになったり、屋敷の人間に足跡がばれそうになったりすると、ためらわず彼らを殺しながら、ふたりだけで生きようとしていた。ニナはそれを知らず、ただ兄と放浪の人生を送っていた。あるとき、兄はかつての屋敷で行われていた実験をさらに軍事に密接に結びつけた教育を行っていた511キンダーハイムに、ヴォルフ将軍によって収容され、ニナはふつうの孤児院に預けられる。母親に捨てられたと思い込み、ニナの受けた仕打ちを知り、すでに人格の歪み始めていたヨハンは511キンダーハイムを崩壊に至らしめ、やがてまた双子は外交官のリーベルト夫婦のもとで養子となる。しかし、ボナパルタがひっそりとわが子のように思っていた双子見たさにリーベルト夫妻のもとを訪れると、身の危険があると勘違いしたヨハンによりリーベルト夫妻は殺害、直後自分を殺せとニナに指示を出し、ヨハンはニナに銃撃、これをテンマが救出する。その後ヨハンは世話になったお礼という気持ちもあってか、テンマの上司を殺害後ニナを連れて逃亡、数々の里親のもとを転々としたヨハンは、15歳で闇銀行の頭取になったり、人を使って殺しをしたりと、陰でひっそりとおびただしい数の悪行に手を染めていく。ニナは一方、特定の里親のもとで長く暮らし、本物の家族のように暮らしていたが、20歳の誕生日前から、中年夫婦連続殺人事件が起き始め、ヨハンから迎えに行くとメールが届く。そしてあとはご覧のとおり、ヨハンが数々の自分の過去を知るもの、自分の過去とかかわりのあるところにいたものをことごとく殺してはその罪を別人に着せ、最後には自分を知るものをゼロにして、自分も死ぬ、この世から完全に消え去るというシナリオのもと、次々と凶悪事件が起こっていく。その過程で、東独ネオナチや旧チェコスロヴァキア秘密警察と結びついた、かつて自分たちを含む子供たちに非人道的な教育を施していた連中に利用されるふりをして利用し、結果ほぼ残党を狩りきるに至った。そしてこのヨハンの足跡とヨハンをはじめ、511キンダーハイムに代表される、非人道的な教育を受けたかつての子供たちの生い立ちを、すべての罪を着せられ指名手配されても追い続けたのがテンマで、そのテンマを追うルンゲ、テンマを憎みポジションがころころ変わるエヴァ、ルーディやライヒワイン先生のようなよき助けを得て真実を暴きヨハンを追い詰めていく。
    キンダーハイムの例、それから屋敷の例でもそうですが、組織の中が一枚岩ではないのに、パワーバランスの傾きによって、悪いほうへ悪いほうへ転がっていく、そしてニナと比べても繊細なヨハンに降りかかる圧倒的な孤独感とすべてに裏切られたような絶望感、こういう悪い要素が重なって生まれた、不幸な物語です。

    作品はよく練られていて、ドイツ史および東欧史の知識があるのとないのとでは作品の背景事情の理解が異なりますし、実際の事件や、犯罪心理学に関してもかなり調べられています。しかもただ練られているばかりでなく、ここに各登場人物のドラマが、非常に象徴的な形で盛り込まれていながら、そのひとつひとつのドラマがそれだけでじゅうぶんに味わい深い。好き好きでしょうが、私はエヴァのキャラクターがかなり好きですし、グリマーはほんとにかっこいい。嫉妬に駆られて事実も何もかも見失う瞬間にも、思い通りにならない自分自身に絶望しないでもがき続ける、そんな苦しみのなか必死に生きようとするひたむきさにも、そして絶望に駆られ怪物的な破壊活動を行った憐れむべき青年に対しても、最後には温かいまなざしが向けられる。タイトルはMONSTERですが、最終的には、誰の中にも怪物はいるし、逆に、誰だって怪物ではない、そういうメッセージの込められた作品に仕上がっています。

    以下、本ディスクに収録されている15話までの各話感想を書いていきますが、全74話を見通したうえで、これだけはここにも書いておきたい。
    作中いちばんの濡れ場王はロベルトです。奴はわりといい人生を送りました。

    1話:
    どこの職場でもこういうことはあるわけで、そう考えると転職したって、それでほんとうに公正な医療ができるのかと言われれば、また別ですよね。いまちょうど読んでいる本に、手術のミスで患者が死んだって、それは医者のせいじゃない、医療は人死にをゼロにする手術なんてそもそも提供できないんだ、という趣旨のものがあるのですが、それとはまた毛色が違って、助ける患者を地位ごとに振り分けて、その優先順位でオペをするのであって、けがや病の重症度に応じてオペをするのではない、そういう医療に対する市民からの講義と、主人公テンマの葛藤が描かれていました。どうなんでしょう、実際、こういうことって行われているのでしょうか。紛争地帯では、助かる見込みのある人間から助けるように、順序が設定されていますが、一般の病院ではやはり、重度の人間ほど優先される、気がするのですけど、ところによってはやはり、こういうこともあるのでしょうか。
    とりあえず重要な点をメモ。
    ●ヘルDR.ケンゾー・テンマ:日本人医師。親子二代で医師だが、父は日本で開業医、本人はドイツの勤務医。院長の娘エヴァと婚約関係にあるが、エヴァの父からは講演の発表原稿の執筆、オペの手柄、研究成果などを搾取され、また怪我や病の重症度より、院内の金回りや体面のためにオペの優先度を変更されることへの倫理的憤りから、1話で院長指示を無視、殺人事件に巻き込まれた少年のオペを強行する。
    ●エヴァ・ハイネマン:アイスラー記念病院院長の令嬢。「命の価値は平等じゃないのよ」という衝撃的な発言を放つ権力志向の強い女。父の下劣な経営方針にも賛成し、婚約者のテンマにも父の方法に積極的に協力、順調にキャリアを積むよう要求する。
    ●ハイネマン院長:オペの順序は政治的重要度と比例する、という考えから、腕のあるテンマを次々と要人のオペに充て、一方で、より緊急度の高い医療からは、それが要人のものでもない限り遠ざけるという打算的で冷酷な医師。権威主義的で、部下の功績も当然のようにわがものにし、そのかわりに地位を与えるえげつない采配をする。

    2話:
    汚いなあー! どの患者を優先するか、そこに緊急度の違いがないならば、先に来た患者を優先するべきだし、病院一優秀な医師が、より困難で、しかも先に来た患者を担当した、この一見まったくまともに見える優先順位の判断を、「オペの優先度はより政治的優先度の高いものから」という理念を持つ院長の指示に従わなかった=協調性がない、チームワークを乱した、と、そういう、問題のある性格をしている、という問題にすりかえて責め立てる。
    病院の経営のことを考えると、彼を助けたことで、より潤沢に資金が得られるが、あとから来た患者である市長と、彼を助けたことで、なんの見返りもないが、先に来たうえ、より困難な状況に置かれていた患者である少年と、このふたりを天秤にかけた場合、前者を助けると、潤沢に資金が得られるので、その後100人の患者を収容できるだけの入院施設を建てることができる、後者を助けると、資金援助が打ち切られ、収容人数も変わらず、経営が苦しくなる、そういうのちの判断まで考えると、そりゃあ市長を助けたほうが、結局多くの人間を助けられる、そういうメリットが生まれる可能性はありますから、この場合、どちらを選んだとしても、それはそれで、それぞれに正当な理由をつけることができます。テンマがどっちの手術を優先しようが、それぞれに妥当性がある。ただ、テンマの選択を責め苛む理由に、チームワークを持ち出してくる狡さというのは問題ですよね。
    ただ、私がいま上に書いた例は、すべての患者の命は平等であるという立場から書いたものであって、病院側としては、たんに目先の金のことしか考えていない判断で、より金の入る患者を救えというもの。そしてこの方針に従わない人間の出世も取り消し、論文ももみ消し、学界にも出させず、ろくに仕事をさせない、というやり方をする。医療の世界の重大な損失になるわけで、これでは医学は進歩しないし、救われる人間の数も増えない。そもそもなんでこういう考え方の人間が医者になっているのかよくわからない。金のためだけに医者になれるのか。金のことしか考えないで医者でいられるのか。
    不思議なのはエヴァも同じ。金のためにしか医療を行わない人間と、夫婦になって、楽しいのか。夫婦なのだから余計に、やさしさのある男と結婚したほうが、家族も自分も大事にしてくれると思わないのか。金のことしか考えていない男なんて、嫁だってどうせ、院長の娘という金づるとしか見ていないのだし、そんなお互いに金のことしか考えない夫婦生活は、夫婦生活とは言わず、ただのビジネス関係としかいえないのですけど、そんな夫婦関係の中、まともに子どもが育つわけもない。なに考えてんだろうなあ。
    ついでに刑事の側も理解できない。強盗殺人の犯人を暴くために、子どもの人格を壊してもなんとも思わない。
    ●リーベルト夫妻とその子どもの双子の兄妹:東独からの亡命者。もとは東独の高級官僚。亡命先の西独で強盗殺人に遭い、夫妻は死亡、兄の手術を1話でテンマが担当し、妹は強いショック状態で「殺して」とささやく。1980年代半ばの設定なので、ベルリンの壁崩壊前ですね。

    3話:
    ハイネマン院長、ポッペンハイム外科部長、Dr.ボイラー殺害事件。硝酸系の薬物(筋弛緩剤)入りのキャンディで死亡。双子の病室にあった、市民からの贈り物のキャンディに毒が含まれていた。
    3人が亡くなったことで、2話で降格され未来も閉ざされていたテンマは、一躍昇進、外科部長へと上り詰める(このとき、テンマはすべて自分とは関係のない、大事だとも思いたくない理由で自分が振り回される件で、無力感を味わっている。一方、患者や看護師には、病院に残ってくれ、辞めないでくれと、いまの病院を辞して日本に戻るつもりだったテンマへひきとめの声がかかっている)。
    そして舞台は9年後、1995根年。テンマは外科部長としてアイスラー記念病院に勤務し続けている。
    一方統一後のドイツでは、中年の子どものない夫婦ばかりを狙った強盗殺人が連続発生、おそらく複数犯によるものとみられ、その鍵開け要員と目されていたユンケルスが、何者かに追われる最中、車にはねられ、その手術を担当したテンマは、9年ぶりにルンゲ警部と再会する。
    ルンゲ「テンマ以外にアイスラー記念病院殺人事件で利益を得た人物はいない」
    ユンケルス「モンスターが来る」
    以上が今週のあらすじ。
    エヴァに復縁を迫られるシーンで、テンマの顔から徐々にカメラが引いていく演出がとてもよかった。エヴァの言葉もすべて遠いことに感じられる、エヴァの求めているものは父親でも恋人でもなくて、金でしかなかった、その現実にすうっと冷めていっている、そういう演出でしたね。よかった。
    ●ルンゲ警部:独連邦捜査局の捜査官。頭にすべての情報を叩き込むといって、常に指がタイプするように動いている神経質そうな細身の男。
    ●ユンケルス:中年夫婦連続殺害事件の重要参考人。

    4話:
    ヨハン鬼だわ……ヨハンのあのじわじわとした責任転嫁、すさまじいものがある。しかしあのキャンディは、少なくともヨハンが子供時代には市民から送られてきたもの、つまり毒入りキャンディはヨハン宛だったわけですよね。とすると、未開封のキャンディだったようだし、あれはヨハンの殺人ではないのでは?
    「あたたかくて、気持ちのいい日だな。もう、しゃべれるんだろう? こういう日は、本当に、生きててよかったと思うよ。たまにはこういうときがないと、やりきれなくなるんだ。毎日毎日、人の生き死にを目の前にしているとね。だから医者は、出世や自分の研究のことだけ考えているほうが楽なのさ。私も以前はそうだった。出世して自分のやりたい研究をする。手術を成功させるのは、地位を固める手段だ、ってね。でも、ある男の子の手術がきっかけで、私は変わったんだ。双子の兄弟のお兄ちゃんでね、頭部を銃撃されたその子を助けることで、私は、医者の本分に立ち返ることができたんだ。人の命の重さはみんな一緒だ、医者はその命を助けるのが仕事だ、ってね。人間はやり直せる。今からでも遅くない」
    テンマの解釈では、もしかすると、あれから9年も経っているし、院長たちも、院内で行われる生死のやり取りの厳しさに呑まれてしまった人たち、という認識に変わっているのかな。
    「先生、先生と俺、あんまり年、違わないけど、先生は俺の親父みたいだ。先生は俺の命、救ってくれた。俺の親みたい感じがする。俺、子どものとき、欲しかったんだ、からくり時計。あの、こう、ちょうど時刻になると、ぴょこぴょこ、くるみ割り人形が飛び出してくるやつ。毎日毎日それが欲しくて、時計屋のショーウィンドウに顔を引っ付けてた。いちばん最初にやった錠前破りが、その店さ。そのときはすぐに捕まって、時計は手に入らなかった。でも、それから錠前破りが、俺の仕事になった。最初は、あの、時計が欲しかっただけなんだ。ただ、あれが欲しかった、だけなのに、俺は」
    ユンケルスの少年時代のこのエピソードを、とつとつと語る感じが好きです。お金も親もなかったのだろうなと背景がしのばれるわけですが、この、ぶつぎれでつむがれる言葉が、滔々と語られる、流れるような、知的なテンマの語り口と対照的で、このふたりのこの対話シーンがすごく印象的でした。
    「僕の過去を知っちゃいけないんだ。あの4組の夫婦も、リーベルト夫妻も、でも先生は別だよ。先生は僕を助けてくれた。先生は僕の親みたいなものだもの。だって先生がいなければ、僕はここにいないんだから」
    「先生、あの事件のあと、すぐに外科部長になったんだね。ほんとうによかった。先生が外科部長に昇進して。院長や外科部長やチーフが死んだから、今の先生があるんだろ。ほんとうによかった」
    「だって先生が言ったんじゃない、先生が望んだんじゃない。僕の意識が戻った時、先生は言ってたじゃない。あのひとたちを、殺したいほど憎んでたじゃない。先生の望みどおりにしてあげたんだよ」
    そしてこの一連の台詞のインパクト。
    今週の重要と思われる情報メモ。
    ・ユンケルスの仲間は皆殺しにされている。
    ・ユンケルスの病室の前でキャンディによる、ユンケルスを監視する警察官の殺害、その後ユンケルスが病室から逃亡、廃ビルにてヨハンと遭遇、射殺される。
    ・テンマにとっては、ヨハンを助けたことで、自分の正しさを確信した。
    ●ヨハン:9年前にテンマの助けた双子の兄のほう。4組の中年夫婦殺害をユンケルス一味に依頼、依頼を達成すると高額の報酬を振り込む。東独の政府高官の息子というのは仮の肩書で、正体は彼曰く「知っちゃいけなかったんだ」ためらいもなく人を殺す殺人鬼、MONSTERと呼ばれる。

    5話:
    いきなりテンマがヨハンの消息を辿っていたので驚きましたが……しかも無精ひげで……病院はどうしたの……
    フランツ、ミハエル、複数の名を使い分けて子どものない夫婦の家を短期間に転々としていたヨハンは、頭がよく礼儀正しかったが、彼を養った子どものない夫婦はいずれも、のちの中年の夫婦連続殺人の被害者である。ヨハンは病院から失踪しているので、病院で消息を辿ることは不可能でしょうから、いきなり、殺された夫婦の家々の周辺を訪ね歩いて、もしかして少年を養っていたことはないのか訊ねていったのでしょうね。
    ヨハンの賢さは、12歳にして複数の言語を操るレベル。ただし人間の恐怖に強い興味を示すなど、残虐な異常性を持っていた。
    もしかすると、東独の高級官僚も双子の養い親でしかなくて、養い親を自ら殺したヨハンがその後、偽装のために、あるいは自殺のために自ら頭を打ち抜いた、そういうことでは。それが4話での、「僕はあのとき、死んでいるはずの人間だった」という言葉につながり、ヨハンの手術直後、ニナと引きあわされたとたん、ニナが絶叫しておかしくなった、以後ニナの記憶はない、ということでは。
    ●ニナ・フォルトナー:10歳以下の記憶のない19歳の大学2年生。頭脳明晰で、将来は検事を目指しているが、20歳になると彼女はいまの養い親の子供ではないことを明かされる手はずになっている。加えて、20歳になるとヨハンが迎えに行くと決めており、最近は差出人不明の、一見ロマンチックな、でもよくよく考えるとどう考えてもおまえを棺桶に入れてやるよと言っているとしか思えないメールを受け取る日々。

    6-9話:
    ニナの入院中の名前はアンナ。ニナが兄を撃ち殺していた。あと病院は長期休暇を取っていた。
    エヴァの現在ですが、父親の遺産はともかく、離婚の慰謝料で生計を立てているってすごいな……! 離婚3回もするくらいだったら、その父親の遺産で医者になるなり看護師になるなりして生きたってよかったのに……因果応報を絵に描いたような人生ですけども、働いてやるなんてしゃくだったのかな。これまでだって父親の金に依存して生きてきた、夫に恵まれないからって自立したら負けだわ、とかそういう……
    あとテンマの行動も極端ですよね。彼の中で、ヨハンを撃ち殺すことへの決心ってついてるんだろうか。あれほど人の命の重さに違いはないと思っていた人が、そう簡単にヨハンを、本心から、殺すべきだと思えるんだろうか。

    10話:
    なるほど、ヨハンを殺せるのは、ヨハンを怪物だ、人間ではない、と思っていたからか。信念ある殺人を犯したテロリストは人で、楽しむための殺人を犯す人間は怪物でしかない。テンマの人殺しの動機を語らせるためだけのエピソードでした。

    11-12話:
    双子はふたりきりでチェコ・スロヴァキアの国境近くで保護される。その後、兄だけが511キンダーハイムで育てられたが、そこは厚生省と内務省の両方が管轄を持つ、東独の実験施設でもあった。511キンダーハイムの中で行われていたのは、子どもたちを完璧な兵士にする計画および、院内の子供同士の派閥争いの観察が目的。最終的には院内で院長の変死体が見つかり、大人たちの派閥争いが始まり、それによる監督者の不在から子供たちが殺し合い、ヨハンと精神科医ハルトマンを除き、生存者ゼロ。精神科医ハルトマンは、この騒動を引き起こし、自分では手を下さないまま、ただ悠々と殺し合いを眺めていたヨハンに魅せられ、孤児院崩壊後も厚生省役人として孤児を預かり続け、虐待を繰り返し、ヨハンのような少年をつくりだそうとしていた。
    「この世の終わりにたったひとり生き残ること」、これがヨハンの当時の目標。おそらくですが、ヨハンの世界には争いしかなく、この争いこそが真実なのだと自分のこれまでを肯定したかった、だから彼の想定している通りの現実を出現させてはほくそ笑んでいた、ということでしょうね。
    モンスターとは先天的に生まれるのか、後天的に生まれるのか、そういう問題提起のエピソードでした。

    13-14話:
    ルンゲの家庭環境、冷え切っていましたね。仕事も軒並み失ったようですが、彼、結果を出していなかったのだろうか? 猛烈に仕事をしている描写はありますが、仕事の出来不出来に関する描写はない。
    あとエヴァも相当無理して生きていますよね。気持ちがわからないでもないだけに、見ていてしんどいキャラクターだわ。

  • 漫画を読みハマってからアニメを観る。
    ハマリすぎて次から次へと4時間とか平気で続けて観てた。
    こわ面白く終わりに近づくのが哀しかった。(まだ観ていたい!という意味で。)
    奥が深い。終わった今でも謎が残る…。

  • 原作は読了。原作にかなり忠実で違和感がなかったです。
    あ~やっぱり奥が深い話だ。
    全編通して『人間の命の価値は平等か?』が問われているが、
    やっぱ『怪物』の問題の方が胸が痛みました。
    子供を実験台にして、その子の人格を弄ぶ大人達。
    それによって育ってしまった怪物。
    でも「本物の怪物」は、恐ろしい人格改造の実験施設ではなく、
    あの選択をした母親だった。
    子供にとって守ってくれる絶対的存在の母親の行動が、
    子供の心に闇を作り怪物にしてしまう。
    あのラストは本当に衝撃的です。
    ヨハンの最後の行動は、母親に会いに行った。
    自分への愛情の証でもある名前を教えてもらう為と思いたい。

  • 原作に忠実。
    声もピッタリでした。
    特にグリマーさんが好き。

  • 浦沢直樹原作の本格ミステリーアニメ。

    ■あらすじ。
    1986年、西ドイツ(当時)・デュッセルドルフのアイスラー記念病院に、頭部を銃で撃たれた重傷の少年ヨハンが搬送されてくる。天才的な技術を持つ日本人脳外科医・Dr.テンマは、院長の命令を無視してオペを担当し、ヨハンの命を救う。院内の政治力学によって、テンマの順風な状況は一変。医師として自分は正しかったと信じるテンマだが、苛立ちを隠せない。そんな中、院長、外科部長らの殺害事件が発生。同時にヨハンが失踪する。

    数年後の1995年、テンマと遭遇したヨハンは、巨大な“怪物”に成長していた。テンマの患者ユンケルスを目の前で何の躊躇もなく射殺し、過去の殺人を告白するヨハン。自分の中で何かが弾けたテンマは、怪物ヨハンを追跡する。
    [ウィキペディア参照。]


    ■アニメ感想文。
    私はまだこの原作漫画を読んでいません。

    タイムリーに読むことができた世代なのに読んでないとは自分を叱りつけたい気持ち満載ですが、私はアニメからこの作品に触れました。

    現在もDVD-BOX Chapter3を鑑賞中なので、結末を知らずにこのレビューを書かせて頂いていますが、この作品ですごいと思ったのは内容やテーマの深い部分も然る事ながら、構図とカット割りの秀逸さに驚かされました。

    私も映像表現に携わっている身の上故によくわかるのですが、こういったセンスは才能がないと作れません。
    見せられてこういうものかと納得したり、これくらいなら作れるよ、といった事は誰でも感じてしまうものかも知れませんが、ゼロからこの感性で見せつけることが出来るような制作チームはざらにはないものです。

    しかも、これほどこった作品で期間も1年半に渉るアニメーションの制作現場では、余程緻密に計算されつくして企画段階から取り組まなければ成し得ないクオリティーの高さなのです。

    「〜ながら見」禁止のテレビかぶりつきでぜひ皆様にも見て頂きたいと思います。

    ■第一話〜十五話までで好きなキャラは「老兵のヒューゴー・ベルンハルト」です。

    ■Chapter2以降で、またこの作品に惚れてしまった熱き想いを述べさせて頂きますので、よろしければそちらも読んでいってください。

  • 人の命は平等か?名前とは?存在とは?教育と洗脳の違いは? 
    主人公は何を経験しても、根源的な問いにどんなに心が揺れても、頭でっかちな人が見失いがちな”良識”から決して外れない。その安心感も魅力の一つ。それはフィクションが示す事ができる希望だと思う。

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