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感想・レビュー・書評
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訳者:大井浩二氏による「卑俗と高尚、虚と実のいりまじったベローの自由闊達な文体」という言葉に全てが集約されていると思う。
例えば、死についての形而上的問題を長々と頭で考えているかと思えば、直後に若い愛人のベッドテクニックを思い描いたりする。
この作品は全編、主人公であるチャーリー・シトリーンの独白体で綴られ(すべて「わたし」が語る形で進行する。)所々に会話が挟み込まれる。
「わたし」は文壇の成功で名誉を得、ブロードウエイでも成功して大金持ちになった。アメリカ流の成功者であり、人生は幸福の色彩で満たされるべきはず。しかし現実生活は、どうもそんな感じではない。
例えば、自分が金持ちになったとたんに群がってくる奴ら。離婚訴訟と、それによる財産の没収。ヤカラを入れてくるチンピラ。愛人を体よく弄んでいるつもりが、逆に振り回されているわたし。全世界・全時代があこがれた地位を獲得したのに、このわずらわしさは何か?
ようやく生と死や魂についてじっくり考える余裕ができたはずなのに、世俗の汚らしい手で引きずり下ろされなきゃいけないのか?それとも元からしょせん泥の中でもがいているだけだったのか?
そうするうちに現れた「フンボルトの贈り物」はわたしにとって宝物か、あるいはクズか。他人にとってどうか、なんてどうでもいい。わたしにとってどうか、が大事なのである。
生と死・老い・物質的豊かさと精神的豊かさなどの文学的ファクターを縦糸に、情事・ボッタクリ・ペテン・暴力・離婚…といった人間的所為を横糸に組み合わされた大作。
日本では縦糸だけか、横糸だけの作家しか見当たらないけど。
(2007/3/20)詳細をみるコメント0件をすべて表示