美しき魂の告白 (1951年) (角川文庫〈第69〉)

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感想・レビュー・書評

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  • 18世紀、ドイツ宮廷に属するお姫様といってもいい女性の魂の自立の物語。
    宗教的なところは少しもなくて、でも見えない力を信じて自立していく様子は現代にも通じる。

    ダンスやトランプ遊びにうつつをぬかす華やかで、浮ついた社交界で許婚との恋愛にしていたヒロインが『自分の魂に対して無知でな』くなる。
    『自分の魂のまっすぐな方向が愚かな暇つぶしやつまらぬことにかかずらっているため妨げられている』こんな姿が自分ではないと。
    その後許婚とわかれて、18世紀ですから現代女性の自立とはちがい修道女となりますが収入も得て、魂をも浄化させていくのです。
    実際にモデルがいて、ゲーテとも交友あり、失意の彼の魂を慈愛をもって理解と慰めを与えたそうです。

    このような封建的な時代にも、女性が人間として苦しみながら、精神的に自己解放していたのか!と感動します。

    私が影響を強く受けた、犬養道子氏の「ある歴史の娘」にも道子氏が、当時の上海の華やかな社交界のむなしさから自身が解き放たれる過程が延べてあり、オーバーラップしそれも印象的でした。

    もう、廃刊になっている本かもしれません。でも過去のある時代には好まれたと思いますよ。

    *****

    すごく心に響く言葉がありましたので、書き留めます。
    田口ランディさん流にいうなら言葉がシンクロしたので。

    ヒロイン「フィリス」を、分別のある知的な趣味人の叔父が誉めながら、いろいろと話してくれる場面で

    『自分の欲するところをはっきり知っていて、絶えず前進する人、目的に達する手段をのみ込んでいて、それを捉え利用することを心得ている人を尊敬するのだ。』

    『一つのもののために他のものを犠牲にしたり、一つのものを捨てて他のものを取ることをわれわれに命じるものが、理性であろうと感情であろうと、人間において最も尊ぶべきものは決断と遂行だとわしは考えるよ。』

    『人間というものは狭い境遇に向くように生まれついていて、単純で卑近な、きまり切った目的なら見通すこともできる。すぐ手に取れる手段なら、それを利用することにもなれている。だが、広いところに出ると、たちまち自分がなにを欲しているか、何をなすべきか、分からなくなってしまうのだ。』

    ただ書き写しただけですけど、今の私にズシズシンと響いてくるので。

  • 井上正蔵訳, 1971, 旺文社文庫のものを読みました。アマゾンの商品検索ではヒットせず、おそらく絶版したものと思われます。
    旺文社のこの文庫では、表題の『美しき魂の告白』に加えて、『ミニョン物語』と銘打ったもう一編が収録されています。これは、ミニョンが登場する箇所をいくつか抜粋し、註を足しながら、その一生をひとつの小説としてまとめたものであると、解説で述べられています。また、この旺文社版では、ゲーテの一生と主要作品の位置づけについて、かなりページを割いて解説しています。訳者の井上正蔵氏にとって、ゲーテは類まれな天才というより、奔放だが、誠実でひたむきな天性の作家として映っていたように感じられます。
    本書で収録されている2つの作品は、本来は独立しているものではなく、ウィルヘルム・マイスターシリーズにおける一種のインタールードとして置かれている作品である。どのような文脈でウィルヘルム・マイスターがこの人間の手記を手に取ったかはわからないが、彼女のような生き方はやはり美しいというより他ない。それは信仰に裏打ちされているからではなく、ただ、大いなる自由の下で、彼女が一途に信じた生き方を自由にしたというところだと思う。自由とは、好き勝手にあれやこれやをすることではない。真に自由であるということは、何にも目移りすることなく、ひとつの善さを求めて生きられるこの存在の事である。
    この手記は、その性質上、どうしても話がとびとびになったり、婉曲した言い方で出来事がぼやかされてしまっているため、この手記を書いた人物にどれだけの出来事がふりかかったのかは、想像するより他ない。だが、かなり重大な決断を迫られる場面であっても、彼女は自分に善いと思われることを信じて行動した。それが、やはり「うつくしい」のである。
    この手記が読んだであろうウィルヘルム・マイスターにどれほどの影響を与えたかはわからない。解説を見る限り、こうした彼女の生き方がゲーテにとって一種の皮肉であったという見方がされているが、そうではないと思う。もしこの生き方が皮肉であるとするなら、ミニョンという存在はどう考えたらいいのか。
    ミニョンは、手記上に存在する人物ではなく、ウィルヘルムと共にある物語内では実在の人物である。中性的で、謎に満ちた出生、しなやかな身体にひたむきな情熱。このミニョンもまた、美しい心根をもった人物として描かれている。どちらの人物にも共通しているのは、自由に美しく生きていった点である。もはや、このとき、性別なんてものは関係ない。ウィルヘルムにとってどちらも、自分ではない理想として心の片隅にいつも存在していたからこそ、ひかれて病まない存在なのだ。ゲーテにとって、彼女らの生き方は皮肉なものではなく、ひとりの人間が愛してやまない美しく生きるための輝きとしてあるのだと思う。ゲーテは、ひとりの人間が生きるということをじっと追い続けていたに違いない。どのような道をたどり、何を感じて、どこへ向かっていくのか。そこには、美しく生きた人間もいれば、そうでないひともいる。そんな人々と共にあって、生きていくのが人間だ。ウィルヘルムは、ひとりの人間代表として、彼女たち美しき魂に触れるのだ。

  • 日本の本ばかり読んでいるので、キリスト教というものの
    存在に気がつかないが、この本を読みながら
    キリスト教や聖書について 充分な知識がないと
    この作品の良さを味わうことができないのだろうと
    おもった。

    ゲーテの信仰心がより強固であり、現在のキリスト教の人たちに
    どのように受け止められるかも知りたい気がする。

    神という存在が けだかく 人生さえも拘束されて
    しまう存在であり、そのもとで 生きていくことの意味を
    しっかりと 告白している。
    それが 美しい魂なのかどうかがよくわからないが
    信仰というものを 客観的にとらえようとしている。

    その様々な人間との交流と
    神との交流が絡み合って、一種独特の雰囲気を出している。
    仏教的な思考や日本人の持つ思考では
    充分に甘受できない部分もありながら、
    共通している部分もあるのだなと思ったりした。

    心の平穏、そして 死に対して恐れない
    というところまで 自分を高めていく。

  • ゲーテの長編小説『ウィルヘルム・マイステルの修行時代』の一部分であり、とある修道女の内的精神性を描いた作品。

  • 090114(m 091022)

  • 魔が差して読んでしまった。

    「ヴェルヘルム・マイステルの就業時代」全8巻の6巻目。
    ここだけ独立しているとのことで、1冊の小説として発刊されているもの。
    裏表紙にそう書いてあったので、10年ほど放置していたのですが、魔が差
    して読んでしまった(^-^;;

    確かに、ヴィルヘルムは全く出てこないので、独立してそうです。
    「私」ことフィリスの一人称でつづられる彼女の生涯の精神と生活の物語。

    果たして、はじめて読むゲーテがこれで良かったのだろうか?
    と疑問に思ってしまった。
    教養小説と書かれている通り、短いのにちょっと(?)難しい。
    自分らしく生きること、そして信仰。

    時々「いい事いうなぁ」「わかる〜」ってのもありましたが、あまり心に
    刺さりませんでした。
    いつか「ヴィルヘルム・マイステルの修行時代」を読みましょう。

    (H21.9 自)

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著者プロフィール

ゲーテ

Johann Wolfgang Goethe 一七四九―一八三二年。ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれる。ドイツを代表する詩人、劇作家、小説家。また、色彩論、動植物形態学、鉱物学などの自然研究にも従事、さらにワイマール公国の宮廷と政治、行政に深く関わる。小説の代表作に『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』など。

「2019年 『ファウスト 悲劇第二部』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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