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- / ISBN・EAN: 4532318401539
感想・レビュー・書評
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二人の姉妹は、親がカーニバルで働く間、7人の子供をもつシングルマザー・ガートルードのもとに預けられる。しかし、父母から支払うはずの送金が滞ったため、姉妹に対する虐待が始まった。
ガートルードの長女の妊娠騒動をきっかけに、いわれのない罪を着せられ、地下室に監禁される姉。遊び感覚で蹂躙に加わる子どもたち、見てみぬふりの近所、虐待は悲劇的な結末を迎えることに。
原題は"An American Crime"。どこでも起きうる、そういう意味で、anなんでしょう。
数々の映画祭に出されたにも関わらず本国でも上映されず、TV放映となった作品。それだけ重いというか酷さを含む作品。フィクションじゃないからなおさら。
死者の人生を構築しなおすようなこの手の映画は悪趣味だとは思いつつも、この事件については高校の授業でやったので借りてみたんですが。
これでも映像化控えた方だってんだから、文字通り想像を絶するし、進んで想像するところでもないと思う。
震えた。もののたとえじゃなくて、本当に震えた。やっぱり見なきゃよかったとさえ思うけど、受け取るものは私的にはあったので、レビューに乗せます。
大人の狂気の前に、子供ができることなんてないだろ。子供の集団の嗜虐心に、弱った子供一人で何ができる。
「人間の弱さ」とかそんなふわふわした言葉で表現できないです。そのとおりなんだけどそんなんで通過していいんか。
同時に、コミュニティの問題とかに視線がいって、この女の子の姿が消えてしまうのも、やるせない。
なんていうか・・・そもそもコメントできるような映画じゃないよこれ。
映画中の全証言は、実際の裁判記録から引用されてます。だからこそ怖い。
主犯で裁かれてるのはガートルードだけど、もはやコミュニティぐるみの殺人。ガートルードの子供たちも、史上最年少で少年院送致とかになってますが、基本的に、主犯で暴力をふるう人よりも、流れで暴力をふるう人の方が、私は怖い。
君は誰かに命令されたか?事情を知ってて止めようとは思わなかったのか?君はなぜおねぇさんについて誰にも相談しなかったんだ?なぜこんなことをしたんだ?彼女は泣かなかったか?なぜ彼女は死んだんだ?
I dont know sir. I dont know.詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
裁判シーンを挟んだり少女の語りが入ったりと淡々としたリズムがあり、テーマのわりに観ていてそれほど苦しくならない。虐待シーンもマイルドなので最後まで落ち着いて観られる。子どもを持つ母親としてはこのテの内容は心が乱れ過ぎてしまうんだけど、良い意味で一歩引いて考えられる。何かを訴えるための映画としては成功だと思う。
片親や貧困、子どものしつけや近隣の無関心等、どこの国でもある問題なだけにどこの国でも起こり得る事件(実際似たような話はあるし)である。警察や児童相談所が介入しても手遅れになっていることもあるけれど、周りの人の様子に気を配るなり、声を上げるなりすることは大事だ。たとえ取り越し苦労やお節介であっても。 -
鬱憤の捌け口として些細なきっかけで始まった暴力行為が
次第に狂気を帯び、無垢な残虐性とともに異常な心理状況に取り込まれてしまう…前回観た時もあまりの酷い話にゾッとしたが、今回も同じくゾッとする作品であった。
己の弱さを背負い込んで耐えてくれと頼まれてもねぇ〜
その被害者振りした振る舞いを見るほどにその悍ましさに慄く…
酷すぎる場面ばっかで思わず目を覆う…最悪な作品です。 -
「隣の家の少女」と同じインディアナポリスで実際に起きた殺人事件をテーマに扱った作品。当初、リメイクと勘違いして積んでいたんだけど、この「アメリカンクライム」と「隣の家の少女」はほぼ同時期に公開されており、前者は実際の事件記録や裁判記録を元に作られた映画で、後者は同名小説を元に作られた映画だった。
内容はほとんど同じであるが、一部ストーリーと描写は大きく異なっている。特に描写の部分は圧倒的に「隣の家の少女」の方がエグい。この作品は間に裁判のシーンを挟むことで、より起きている事の異常性を際立たせており、残酷な描写は控え目でも、そういう部分が見えないことで実際の虐待っていうのは見えないものなんだっていうことを観客に気付かせる手法とっている。地下室からシルヴィアの悲鳴が響く中、穏やかな日常の外へカメラが移るシーンなどは非常に印象的でした。
ラストの演出はドキュメンタリータッチでもあった前中半を考えると非常に映画的。救いのないループとも言える、実際は誰も知るすべのないシルヴィアの魂の行き先。本当に悲しくて、胸が痛かったけど、シルヴィアのような子を生まないために、周りの小さな変化、小さな異変に極力気付ける大人でいようと自分を戒めた。 -
(AN AMERICAN CRIME)
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ガツンときた。1960年代に起こった実話です。ラストのエレンペイジの表情が痛い。
子供はごく限られた世界が自分の生活の全てになってしまうから、すぐ先にある逃げ場なんて分からないんですね。
当たり前と思っている生活だって紙一重で信じられない世界へ変わってしまう。
自分が今大人の立場に居るだけに考えます。心に残る作品になりました。 -
悲しくて痛ましい児童虐待の実話。
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後味悪いぜ!(悪い意味ではなく)
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エレン・ペイジが凄く可愛いかったけど、この映画は実際より全然甘いのだと心底思う
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映画「アメリカン・クライム」は2007年に公開されたアメリカ作品である。
ガートルードは6人の子供を女手一つで育てる。唯一の収入源は内職である衣服のアイロンがけと長女のバイト代のため、生活は貧しい。そんなある日、ガートルードは毎週通っている日曜参拝で出会った家族の娘二人を引き取ることになる。報酬は毎週20ドルという二カ月ほどの託児アルバイトだ。新入り二人を迎えた一家9人は順調な生活を続けるはずだったが、姉妹の両親から届く予定だった20ドルが一日遅れただけで新しく入ってきた姉のシルヴィアが虐待を受けることになる。
作中で始まった一人の少女への虐待は、家族からネガティブなラベルを貼られたことでスタートした。シルヴィアは実際に嘘も盗みもしていないのにガートルードからうそつきや盗人と呼ばれ、周りの人に散々このような事をしたと思われ、彼女自身もその渦に飲み込まれていく。 彼女は近所の子供たちからも拷問を課せられ、彼女と周囲の人々の関係にスティグマ――差別や偏見が生み出す社会的な関係が生まれる。シルヴィアは仮の母親とその子供たちから受けている扱いを最初は不当に感じるが、彼女はうそつきや盗人などの社会から軽蔑される様なアイデンティティを次第にラベリングを通して受け入れざる負えなくなり孤立し、最後には死に至ってしまう。
そもそも何故このような残酷な事件が1960年代のアメリカで起こってしまったのだろうか。理由は幾つも考えられるが、一つは資本主義社会の到来だと私は考える。まず、シルヴィアと妹のジェニファーを両親が他人の家に置いていった理由は、カーニヴァルで仕事をしなければいけないからだ。そして、ガートルードがシルヴィアに対して虐待を始めた理由は、彼女の両親からの報酬が来なかったからだ。これら二つの行動の裏にはお金が絡んでいる。彼らはお金がないと生き残れない社会に属していて、人々は自らの利益を優先するあまりに周りの人との繋がりを拒み始め、ゲゼルシャフト――共同体が崩壊した社会にいるのだ。近所の人たちもシルヴィアの叫び声を聞いているだけで、なにもしようとしない。むしろ、他人と関わるのが面倒くさくて聞こえていないふりをする。そして、事件から45年たった現代でも、轢き逃げされた少女を通行人らが見殺しにした広東省の悦悦ちゃん事件が起こった。またもや、面倒に巻き込まれるが嫌なために見て見ぬふりをする人々である。私たちが住むコミュニティは崩壊していくばかりで、1965年に起こった残酷な虐待事件から一体人々は何を思い、何を学んだのだろうか。 -
「アメリカン・クライム」は2007年に公開された映画だ。インディアナ州史上最悪と事件を担当した検察官に評されるバニシェフスキー事件を基にしている。裁判での証言記録を使い、忠実に事件を再現した映画となっている。
シルビアとジェニー・ライキングス姉妹は離婚した母親と一緒に暮らしていた。父親は全米各地のカーニバルで屋台を経営している。ある日、父親からのお願いで両親が協力し、一ヶ月程カーニバルで屋台を開くことにする。シルビアとジェニーと教会で仲良くなったバニシェフスキー家が彼女らを引き受けてくれると申し出てくれる。金銭的に困っているシングルマザーで子どもが六人いるガートルードは一週間、二十ドルで姉妹の世話をすると言い、ライキングス両親は承諾する。全て順調に進むが、ライキングスの最初の小切手が遅れると、ストレスが溜まっているガートルードはシルビアに暴行を加えるようになる。少しずつエスカレートする虐待はシルビアを殺してしまう。
「アメリカン・クライム」には主演のキャサリン・キーナーの名演技が欠かせない。「マルコビッチの穴」で見せた積極的で爆発力のあるマキシーンとは百八十度違う。初っ端からやつれた顔を全面に押し出し、まるで自分を根本的に否定しているかのようだ。――ガートルードの複雑な自己矛盾をうまく表現している。母親としての彼女は、いくら子どもに対して怒っても自ら生んだ六人の子ども全員を心から愛しているのがスクリーンを通して伝わってくる。
長女ポーラが結婚している男性と不倫関係にあるのを止めようと努力するが、ポーラは十八歳で妊娠してしまう。自分と同じ道を長女が歩んでいるのを止められないのがガートルードとして一番苦しいのだろう。怒り狂っている間に時折見せる母親としての責任を果たしていない表情に切なさが染み出ている。娘の歩んでいる道への責任感と自らのみすぼらしい人生を否定する反動のようにシルビアへの虐待を続ける複雑なガートルードの心境をキャサリン・キーナーは迫真の演技で見せつける。 -
18.7
「アメリカン・クライム」は、2007年に公開された実話に基づいている作品である。
ある日、1人で6人の子供を育てているゲートルドにライケンズ姉妹は2ヶ月間預けられることになる。当初は少女達はその家の子供たちと一緒に暮らすことに問題はなかった。ところが、姉妹の親が預け代を払うのが遅れ、ゲートルドは鞭打ちを二人に食らわす。次第にゲートルドのたががはずれ初め、シルビア・ライケンズはしていないことや言ってもいないことを理由に暴力を加えられるようになる。そしてゲートルドを初め6人の子供たちだけではなく、近所の子供たちまで暴力に加担し始めて、虐待はエスカレートしていく。
1960年代にアメリカのインディアナ州で起こった残虐な殺人事件。担当検察官は、「インディアナの犯罪史上で最も恐ろしい犯罪」と述べたと伝えられている。だがこれはアメリカの犯罪史上最も恐ろしい事件だということを作品のタイトル「アメリカン・クライム」は、示唆しているのではないだろうか。
この事件が起こったのはアメリカのどこにでもありそうなごく普通な町である。平和の一言で説明できるこの町で恐ろしい犯罪が起こったことは、全米を震撼させたと言われている。これがもし、犯罪が多発する大都市のシカゴ、ニューヨークやロサンゼルズだったら人々は驚かなかったかもしれないこの事件がアメリカの「ハートランド」である米国の保守的で伝統的な価値観が支配的な地域で起こったからこそ、人々は怖くなった。もしかしたら、隣の家の地下でも同じような虐待が起こっているのかもしれないという思いが脳裏を過ぎっただろう。そして度を越えた残虐性に驚きを隠せずにいたはずだ。
シルビアは人間の醜さを世に伝える悲劇のヒロインとなった。小学生までが非人間的な暴力を振るうことが正常化してしまうおかしさ――自分だったら、このような暴力に反対するとこの事件を知ったとき思った人が大半だろう。だが、シルビアを含んだ彼女の周りの人たちは誰も異常な暴力を止めようとはしなかった。では、彼らが異常だったのだろうか?あの環境に入れられたら多くの人々はシルビアに危害を加えていたのではないだろうか。この事件の数年後にアメリカのフィリップ・ジンバルドーが行ったスタンフォード監獄実験(1971年)が示唆しているように、環境によって人間はその言動を変えられてしまう可能性が高いのである。 -
1965年のシルヴィア・ライケンス事件に材をとった映画。シルヴィアの虐待死は痛ましすぎるが、加害者のガートルード:7人の子を抱えたシングルマザーで、体調もすぐれない彼女の苦しい生活が、教会からも学校からも地域からも行政からも全くサポートされることなく、やがて子供たちも巻き込んだ悲惨な事件にエスカレートしていくのを誰も止められなかったのが、もどかしく、やりきれない。今のアメリカは、日本はどうなのか? と考えさせられる。
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[トピックス]
アメリカで実際に起きた“最も残忍で恐ろしい犯罪”を忠実に描き、物議を醸した問題作!1965年アメリカ・インディアナ州。カーニバルの巡業で働く夫婦の娘たち、姉のシルビアと脚の不自由な妹ジェニーが、7人の子供を持つシングルマザーであるガートルードの家に預けられることになる。しかし、夫妻が毎週支払うはずの20ドルの送金が滞ったことをきっかけに、ガートルードの態度が一変して…。
[監督] トミー・オヘイヴァー
[出演者] エレン・ペイジ、キャサリン・キーナー、ジェームズ・フランコ、ヘイリー・マクファーランド、アリ・グレイノール、ブラッドリー・ウィットフォード
[脚本] トミー・オヘイヴァー、アイリーン・ターナー -
「隣の家の少女」の元となった実際の児童虐待死事件の裁判記録などから映画された作品。誰か個人(預けた父母・預かった母・周りの子たちや大人たち)だけの資質の問題として考えないで欲しい。こういう作品を映像化する狙いは訴求力だと思うのだが、それゆえにそれぞれが社会から何を抱え込まされ、何に怒りを抱き、それを罪の無い(よそ者の)子どもに対してぶつけたか?の最も重大克つ大切な部分が描写不足だ。個々人の責任は個々人が負う。しかし、そこに追いやった社会や、それを作っている私たち一人一人の罪を改めない限り、また幾度でも新たな被害者が生まれ出るのだ。だから、本作の題名が「アメリカン・クライム」なのである。
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こんなもんか
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登場人物の多くが異常人格者のため、胸糞が悪かった。実話が基だと言うから驚き。