八日目の蝉 通常版 [DVD]

監督 : 成島出 
出演 : 井上真央  永作博美  小池栄子  森口瑤子 
  • アミューズソフトエンタテインメント
3.77
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  • (10)
本棚登録 : 2464
感想 : 553
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4527427649347

感想・レビュー・書評

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  • 何も期待しないで観ましたがかなり良かったです。

    感動させる気満々の作品が私は大嫌いなのですが
    そういったいやらしい感じがなくて
    役者に演出に引き込まれ、不覚にも涙してしまった。

    キャストが最高だったと思います。
    永作、井上、森口各氏が良いのはもちろんですが
    小池栄子がかなり良かったなー。
    説明なくてもわかるキャラクターでした。
    井上さんも、ああいう役だと若い女優さんってどうもやりすぎてしまう感がありますが
    崩れそうで強い、とてもいい力加減だったと思います。すばらしい。

    最後はヘタに会いに行かなくてよかった。
    希望が持てて良かったと思います。

    しっかしあの薄っぺらいエンディング曲はなんとかならなかったんですかね。
    実にもったいない。

  • キャッチコピーは「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした」

    これは去年映画館に2度見に行きました。DVDになってからも3回は見た、好きな作品です。

    去年は母性をテーマにした作品が気になっていたらしくドラマのmotherも何度も見ました。

    犯罪が許される訳は無いけれど、頭では分かっているけれど、どうにか赦して貰えないのだろうかと

    願ってしまう。母性って何なんでしょうね?

    私は母親では無いので一生分かり得ないのでしょうが、考えます。

    永作博美に主演女優賞あげて欲しかったなぁ。

    永作博美さんって本当にベビーフェイスで、素敵。

    また小豆島に行ってみたくなってきました。感化され易いなぁ(笑)

    フェリー乗り場のシーンで泣かない女性っているのだろうかと思う程、私は100%の確率で泣きます。

    ドラマ版より、映画版が私は好きです。

  • もっとドロドロした暗い映画かと思っていたけど
    そうじゃなかった。

    特に小豆島での小さい薫がすくすく育っていくシーンは
    どの風景もきれいでやさしかった。


    ただ、みんな大切な人からの愛情を求めていただけなんだ。

  • 小説を読んだ後と同じ気持ちになった。設定は少し小説と違ったけど、そのぶん小説よりわかりやすくなっていたような。

    井上真央ちゃんが素晴らしすぎた。永作さんはわざとなんだとは思うんだけど・・・ちょっと期待しちゃったかなというかんじ。

    ただ、小説を読んだ時も、母親の気持ちよりも、娘がどうこの体験を克服していくかというところに重きを置いていたので、良かったのかと思います。

  • 「その子はまだご飯を食べてないの。よろしくお願いします」

    原作がいい分映画もいい。原作読んでる人をがっかりさせないだけで、映画としてよく出来てるんだと思う。
    上のセリフのところが一番泣いた。
    原作読んだときと同じ感想だけど、最後に野々宮貴和子と再開、みたいな超ドラマチックな展開にしないで終わるのがいい。

  • テレビドラマでやってた時見てたので、ストーリーは知っていたけど、井上真央も永作博美も森口瑤子も、何なら小池栄子も演技がすごくよかった。
    カメラワークが少々好きでないとこもあったけど、それが気にならないくらい素晴らしい内容、演技だった。

  • 女として、本当に考えさせられる映画でした。予想以上にいい、深いテーマで心を揺すぶられずにはいられなかった。本妻、愛人、娘。3人の女の誰に感情移入するだろう。どれも女の痛みがヒシヒシ伝わってくる。

  • 2011年公開
    監督 : 成島出

    不倫の果てに相手の実子を誘拐した女と、彼女を母だと思い育てられた少女の17年後のお話。

    重良かった。
    人を愛する事とか、誰かの為に生きようと思う事の、
    本質を問うような、えぐ味のあるプロットで、
    何かを突きつけられるような、つらい映画でした。

    最後に恵理菜がたどり着く逡巡の果ての心のありようが、
    人間としてとても尊いような気がして切なくて苦しい。
    誰かを大事に生きることの業を、あの瞬間に込めた、
    井上真央はいい役者さんやなあと思いました。

  • 2012/06/22



    導入部分からかなり吸い込まれた。最近色んな映画を見て思うけど、導入部分でどれだけ視聴者の心をつかめるかが大切だよね。小説でもゲームでも何でも。
    そしてこの導入部が、この映画の全てのあらましであり、ここを中間点とした事象が描かれるということで。うまい作りだと思ったね。そしてそれを醸し出すはやはり演技の上手さ。「愛」を描くことそのものは、単純にして、多分、最も難しいと思うから…。








    --印象的なシーン--
    ・雪の中で警察に駆け込むえりな 迎えに来るのは本当の両親。でも
    求めているのは別のお母さん
    ・包丁を取った母親 ヒステリックな演技すげえです。
    ・子役の演技がすばらしい
    ・エンジェルホームを脱出する二人をみつめるマロンの涙
    ・お星様の歌。「見上げてごらん夜の星を」幸せの絶頂期
    ・シナリオ的にもカメラ的にも、過去と現在との切り替えがすばらしいです。
    ・小豆島での全体。お遍路さん、天満屋の紙袋、瀬戸内の海…
    ・「色んなとこ行こう!色んなもの見よう!」
    ・お母さんと自転車に乗って、「ビューン!気持ちいいねえ!」
    ・小豆島で「おったことある」と方言で呟くえりな
    ・「薫~」思い出が、光景が、えりなに呼びかける
    ・海で二人寝転がってコチョコチョ~
    ・えりなと薫の対峙
    ・「その子はまだご飯を食べていません よろしくお願いします」
    ・「お母さんのところに帰ろうね」「ママ…!」すごい皮肉
    ・「ありがとう」





    --連鎖と、母性と。--

    母性をテーマとしているならば、この映画はなんて皮肉ばかり敷き詰められた映画なのか。大人の理不尽さが子どもを苦しめ、その子どもがまた同じ事をしようとしている。
    それも、ほとんど同じ道をたどろうとしている。こんなに辛いことはあるだろうか。
    全てはお父さんが悪く、3人の女を、もしかしたらえりなの子どもまでも不幸にしてしまうかもしれない。岸田は父親にそっくりで、愛していると言っておきながら、本当に愛しているのは他ならない自分だけで、分が悪いことを諦めている。父親は親になろうと頑張っていても、それはやっぱりできなくて、自分をどうにか安心できる位置につかせて、親という立場から逃げようとしている。
    諦めていない母親も自己中心的だ。しかしそれは希和子とは違うベクトル…それこそ、自分しか見えていないヒステリックな自己中心なんだろう。
    でも、まあ
    母親は子どもと一緒に成長するものらしいから、途中からのスタートはどうしてもできないんだろうし、耐えられないよね
    ただ、包丁のシーンはどうしても、自己中心的のメタファーにしかとれなかったよ。


    本当の母親であっても、母親という素質があったのかといえば、恐らく希和子のほうが、単純に母親に相応しかったのだと思う。(家に赤ちゃんを残して外出するとか考えられないし)
    誘拐は許されざるべき罪である。けれども、美しい風景を見せたかった、美しい毎日を過ごさせてあげたかった。幸せを溢れるほど与えたかったという希和子の純粋さは誰も敵わない強い愛情だったと思う。
    それが、本当にいいことなのかはわからないけれど…。

    子どもができて、相手は駄目な男で、そして別れ、一人で育てようと決めたえりな、いや、薫。ある意味希和子と同じ道筋を辿ろうとしている。これもまた連鎖だ。母性を、愛情を、美しいものをしっかりと伝えてあげたいという強い思いの連鎖。
    皮肉だが、それを伝えてくれたのは誘拐犯だった。


    子育てのまさに絶頂期を体験した希和子。
    愛情を注ぎ、美しいものに触れさせ、たくさんのいろんなものを薫に与えた。まさしく「母」そのものだった。
    薫の本当の母親は別だとしても、4歳までの母親は誰でもない希和子だと断言できる。
    子どもにとっても、母親にとっても、幸せが続いた毎日
    その幸福の絶頂は、皮肉にも「幸福」を全国に知らしめたところで終焉を迎える。
    すごい皮肉。ここからもう見てられなかった。
    家族写真を撮り(ここで滝涙)
    フェリー乗り場に着いたところで、幸せは終わってしまう
    幸福の発着点でもあり終着点でもある。
    母親でない母親は、最後に
    「その子はまだご飯を食べていません。よろしくお願いします」
    と、言った。
    完全な母親だと、そう思った。
    この言葉が、愛情の全てだと思うのだ。



    --八日目の蝉--
    仲間が皆死んでいるのに、生きてしまった蝉
    そっちのほうが寂しいよね
    生きてしまったことに対しての後ろめたさ
    普通に生きられなかった、はみ出しものとして生きなければならない八日目の蝉
    孤独感と、背徳感と、そんな印象ばかりの蝉の話
    それが―他の蝉よりも少しだけ美しいものを見れる―という考えになるには、考え方はあったとしても、それを受け入れることは非常に辛い。
    この映画のタイトルは、この考え方を受け入れるまでの再生の物語として位置づけされているんじゃないかな。




    エンジェルホームのくだりは、安心と共にやはりカルト的な不信感を抱かずにはいられなかった。…まぁ、こういう組織をどう見るかは人々の違いがあるので、ここでどうこう言うべきではないと思うけれど。
    ただ希和子と薫を救った(と思われる)この組織は、千草から「男」に対しての色んな感情を奪ってしまっている。
    最近カルトに関して個人的に調べているので、ここの当たりは少し考えどころかなと思った。支配は一時の安心を与えても、全ての安堵を提供・保障するわけじゃないからね。

    千草の存在にはイライラしてしまった。独りよがりで、自己中心的で、誰かに頼らなくちゃ生きていけないような、昔のなじみだとしても図々しくて…。結果的に薫の記憶の旅を企画してくれて、再生への引導を渡してくれたのは千草だけど、でも、彼女の存在が劇的な意味を醸し出したのかっていったらそうじゃない。
    というか、喋り方、態度、その全てがあたしの苦手な人物像だったから受け入れられないだけだろうけど。。。



    …以上
    母親の愛情とはなにか。
    うーん、言葉に出来ない思いはちゃんとあるんだよ。
    希和子は社会的には悪だとしても、絶対悪じゃないんだよ
    最初の裁判を見返すとそう思うし。

    原作やドラマは結末が違うらしいし、また見てみたいと思います。

  • 原作もよいけど、映画もよいね。
    永作さん(きわこ)がかわいい。かおるもめちゃかわいい。
    「その子は、ご飯を食べていません。」という言葉にきわこの母性のすべてが集約されているようで、胸が苦しくなります。
    小豆島の暮らしをもっともっと見たかった。

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