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感想・レビュー・書評
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発刊当時は斬新であったろうが、今読むとそれほど印象に残らないと思う。
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安吾の代表作だけあって魂のこもった文章だった。
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堕ち抜かなければならないらしい。
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・・・・・・っということで、作家である以上その時代の雰囲気の影響を受けざるを得ない。
否、受けているからこそ、受ければ受けるほど後世まで残ることが出来るのであろう。
坂口安吾という人物は戦中戦後をその多感な時代を過ごしたのであろう。
堕落の反対はピュアだろうか。
彼の目には戦争中の方がピュアに見えた。
そして、戦後から日本人は堕落していった様に見えたのだろう。
かれは言う、人間は考えるから、そして自由を与えられたから堕落するのだと。
戦争中はその両方がなかったからピュアだったのだと。
人間は生きる限り堕落する。
それは人間だからであるとする。
これは分かる。
人間生きていく限り汚れるしかないのは事実だ。
ピュアであろうとすれば、自殺するしかない。
それもまた良しと彼は肯定する。
美しいものを美しいまま保つことは不可能である。
しかし、堕落するなら正しく落ちなければならないという。
それは自分自身が落ちきるところまで落ちきり、そこで初めて自分自身を発見でき己を救うことが出来ると説く。
この論法は分かったようで分からない。
だが、老子の無為自然に通じるような気がする。
堕落しきることが即ち、無でありゼロである。
そこからしか己の再生の原点はないのではないか?
・・・・・・っと思う。
こんなことを考えることが出来るのは、やはり戦争に負けたという事実からだろう。
日本は戦争に負けてよかった・・・と逆説的に思う。
しかし、坂口安吾が感じたような危機感に現代人は共鳴できるであろうか?
なぜならば、正しく堕落していないからではないだろうか。 -
文庫で持ってるにもかかわらず、
kindleでも。
就寝前の読書用。 -
第二次世界大戦後に書かれた作品。kindleで読んだので、難しい言葉とか言い回しを調べながら読む事ができた。
人間の愚かさを受け入れて生きてくことを伝える作品と、自分では解釈した。 -
「堕落論」
坂口安吾が考える堕落とは。
堕落とはなんだろうか。戦争未亡人が死を選ぶことは堕落なのだろうか(戦争中は、文士は恋愛を書くことを禁止されていた)。松永弾正が切腹を拒み、鉄砲で死んだことは堕落だろうか。はたまた、欲に溺れ、欲に死ぬことは堕落だろうか。
〝人は永遠に自由ではあり得ない。人は生き、また死ななくてはならず、そして考える。人間は、変わりはしない。戦争がどんな凄まじい破壊と運命を持っていても、人そのものをどう為し得るものではない。人は変わりはしない。ただ、人は人に戻ったのだ〟
この言葉から坂口安吾の思う堕落とは、一体どんなものだと思いますか?
「堕落は○○である」と直結せず、人を軸に堕落というものを考えている彼の視点は「人間失格」の描く堕落とは全く違うもの。例えば、「人間は可憐であり、脆弱であり、愚かなものである」という彼の言葉からは、哲学の空気を感じ、とても小説家っぽくは無い。
「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」
全く、堕落にも政治(家)が出てくるのか。 -
戦争という生死近接状態の非日常が人を気高く、美しくするのではないか、と。終戦後の平和な人々の姿に堕落を見出すのはある意味自然ではある。この論旨は「お前ら平和ボケじゃ」的嘆き節に似ている。しかしこういうことを言う時は、自分自身も突っ込みの対象に入れるべきだ。
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潔い語り口。研ぎ澄まされた文章。キレが良い。