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- / ISBN・EAN: 4988104077400
感想・レビュー・書評
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\*\ 男優二人の演技に陶酔 /*/
ホアキン・フェニックスの“あの眼力”にいつも魅かれるものを感じての観賞でした。
本作でもその期待を裏切ることのない彼の怪演は、先立って惜しくも逝去されたフィリップ・シーモア・ホフマンのこれまた力演と真っ向から勝負し、フレディ・クエルとランカスター・ドッドという男二人の
深層心理のまさぐり合いが、「これでもか!」といった感じで火花を散らしていました。
そこに花を添えている(??)のが女優:エイミー・アダムス。しかしながらこの彼女の役どころが一番の曲者といった趣きでして。。。
その楚々とした面構えに相反し、“カルトの「コア」は彼女なり!!”というオーラを放って、ストーリー展開と共に次第に見せつけてくる、
アダムスの堂々たる演技も本作を引き立たせていると思います。
荒野をバイクで突っ走るシーンも象徴的でした。
自分で宣言(決定)した地点まで《脇目も振らず目標に向かって行(生)き抜くということ》
そのサンプリングのようにし、ドッドとクエルがバイクのアクセルを噴かしていたのですが、ドッドはクエルを見て「速いなぁ」と感嘆の声をもらします。
この時のクエルの中に、危なっかしくも愛おしく、どこか憎めず、不器用にしか女を愛せないこの男の基盤が、バイクの形を借りて疾走しているかのようで。
2冊目の本が出版された時、ローラ・ダーン演じるヘレンがランカスターに対し、
“想起”を“想像”としたことに、自らの疑念をぶつけると、彼が激昂するシーンも実に印象的でした。
クエルを真に癒やせる者はドリスだったのだろうな…と思わせつつ、〝アルコール依存症から這いあがれないクエルの足掻き(怒りでしか自己表現ができない弱さ)〟と孤独色〟の表現が秀逸です!
《プロセシング》という怪しげな自己啓発のようなセミナーを開く【カルト教団:ザ・コーズ】
◆クエルの乗り込んだ運命の船は〝ノアの方舟〟それと も…??◆
フェニックスが演じるクエル。
芯はピュアで小心者なのだと感じさせるフェニックスの“背中の演技が絶妙”で見事です。
フェニックスがグウィネス・パルトロウと共演した作品である『トゥー・ラバーズ』
彼が演じたレナードという役柄と、本作でのフレディという役とが私の中で見事なまでに交錯し、
更にはホアキン・ファニックスと故・フィリップ・シーモア・ホフマンの両男優の演技に、陶酔、陶酔の138分でした。
*追記*
ここに慎んでフィリップ・シーモア・ホフマン氏の御冥福をお祈り申しあげます(合掌)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
■ストーリー (Amazonより)
新興宗教の教祖・マスター(フィリップ・シーモア・ホフマン)と教団の要であるマスターの妻・ペギー(エイミー・アダムス)。
2人はアルコール依存を抱え、人生に迷う元兵士フレディ(ホアキン・フェニックス)に出会う。彼の登場は教団の未来を左右するのだった・・・。
うぅーーん...
なんて書いたらいいのか迷います。
描かれている内容がわかったようなわからないような...
マスターとフレディの関係性がなんだかとても複雑。人は誰かに依存してしまう生き物だということなのか...
ホアキン・フェニックス出演の映画は『ジョーカー』に続いて2作品目なのですが どちらも怪演的な人物像。
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生きていく上で宗教であれ何であれ、なにかを信じて生きるのも、何をも信じずに生きるのも、自分を信じられるかどうかで幸福感を得られるかどうかが決まってしまう、そんな気がした。
フレディは一生孤独と無縁では生きられないだろう。ただそれは誰も同じこと。
彼はマスターに愛された過去で新たにまた誰かを愛することができ、生きていけるのではないだろうか。
同じ土壌では生きていけなくても孤独ではない。
この出会いに彼は救われたのだろうと思う。 -
映画評論家には受けがいいようだが、見どころがよくわからない映画。「ジョーカー」に求められたキャラと違って、ホアキン・フェニックスのアル中の過剰演技が逆に醒める。
『ザ・マスター』(The Master)は、ポール・トーマス・アンダーソン監督・脚本・共同製作による2012年のアメリカ映画。主演はホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス。アメリカ合衆国とカナダでは2012年9月14日にワインスタイン・カンパニー配給で公開される。プレミア上映は第69回ヴェネツィア国際映画祭で行われる。
同作品でポール・トーマス・アンダーソン監督はヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を獲得し、世界三大映画祭の監督賞を制覇した。他にホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマンがヴェネツィア国際映画祭最優秀男優賞を授与され、アカデミー賞にもノミネートされた。
あらすじ;
第二次世界大戦後のアメリカ合衆国、カリスマ的な素質を持った一人の聡明な男が大衆の信望を集めていた。その男、ランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)に興味を抱いた青年フレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、次第に彼の思想に傾倒して付き従うようになる。
やがてランカスターの周囲に熱心な人々が集い、集団は大きな力を持ち始める。だがそれと並行するようにして、フレディは次第にランカスターの言葉に疑問を抱くようになる。(ウィキペディア) -
うーん、薄っぺらい。あまり印象に残らず。
作中の宗教の教祖のように多くの人をなんらか導くのもマスターだし、それを裏でコントロールするその奥さんもマスターだし、主人公みたいに破天荒で回り道をしても、宗教という大きな船に乗らず、自ら人生を主導していくのもマスター
それぞれが違う生き方だからこそ惹かれ合い、それでいて、別れを告げなければならない。
別れを告げた時がスタートで、充足を伴った自分の船旅が始まる。 -
制作年:2012年
監 督:ポール・トーマス・アンダーソン
主 演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン
時 間:138分
音 声:英:ドルビーデジタル5.1ch、日:ドルビーデジタルステレオ
第二次世界大戦末期。海軍勤務のフレディ・クエルは、ビーチで酒に溺れ憂さ晴らしをしていた。
やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結。
だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。
ある日、彼はたまたま目についた婚礼パーティの準備をする船に密航、その船で結婚式を司る男と面会する。
その男、“マスター”ことランカスター・ドッドは、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。
フレディはこれまで出会ったことのないタイプのキャラクターに興味を持ち、下船後もマスターのそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。
マスターは“ザ・コーズ”という団体を率いて力をつけつつあった大物思想家だった。
独自の哲学とメソッドによって、悩める人々の心を解放していくという治療を施していたのだ。
1950年代。社会は戦後好景気に沸いていたが、その一方では心的外傷に苦しむ帰還兵や神秘的な導きが欲されていた時代であり、“ザ・コーズ”とマスターの支持者は急増していった。
フレディにもカウンセリングが繰り返され、自制のきかなかった感情が少しずつコントロールできるようになっていく。
マスターはフレディを後継者のように扱い、フレディもまたマスターを完全に信用していた。
そんな中、マスターの活動を批判する者も現れるが、彼の右腕となったフレディは、暴力によって口を封じていく。
マスターは暴力での解決を望まなかったものの、結果的にはフレディの働きによって教団は守られていた。
だが酒癖が悪く暴力的なフレディの存在が“ザ・コーズ”に悪影響を与えると考えるマスターの妻ペギーは、マスターにフレディの追放を示唆。
フレディにも断酒を迫るが、彼はそう簡単にはアルコール依存から抜けることができなかった。
やがてフレディのカウンセリングやセッションもうまくいかなくなり、彼はそのたびに感情を爆発させ、周囲との均衡が保てなくなっていく…。 -
カルトについて考えさせられた。マスターの家族や信者の言動に気味の悪い思いを感じつつも、その神秘主義を批判し、警察沙汰にしようとする側にも嫌な感じを抱いた。主人公は戦争のトラウマを抱えた、精神的に問題のある男で、カルトの鉄砲玉を自ら担う一方で、カルトのお荷物でもある。洗脳の怖さより、洗脳しきれない人間の心の深さが怖かった。
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もう一回見ないとなぁ。
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時計仕掛けのオレンジよりも此方の方が良作。
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鬼才ポール・トーマス・アンダーソン監督が新興宗教を題材に、カリスマ教祖と迷える復員兵の愛憎入り交じる関係性を俳優陣の重厚な演技で描き出した人間ドラマ。出演はホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス。
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第二次大戦の帰還兵がPTSDになる話。なのかな。
音楽が壮大すぎるのと、フィリップ・シーモア・ホフマンの歌がよくわかんない。 -
これまでのPTA作品に比べて少し地味…?と思いながら観てたけど、ラスト20分で一気に引っくり返されてしまった。PTSD持ちのぶっ壊れ青年フレディを演じるホアキン・フェニックス凄い。彼の表情は終始顔面左側のみで構成されていて、本音が顔に出ているはずなのにそう見えないという危うさが込められている。フィリップ・シーモア・ホフマンはもうその存在だけで胸にこみ上げてくるものがある。疑似家族的な関係に終止符を打った二人の最後はそこに真の友情が立ち現れたからこその必然だ。何かを克服したホアキンの笑顔が忘れられない。
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第二次大戦直後のアメリカ、新興宗教の教祖の男とその男に惹かれた青年を描く。
教祖様がだんだん信じられなくなりましたなんて単純な話ではなくて、最初っから二人の間には複雑な感情が入り乱れている。その姿はまさしく親子。
俳優の力にしびれる作品である。改めてフィリップ・シーモア・ホフマン はすごい。 -
主演二人の演技が見事。
カリスマに心を奪われた男の話。 -
ちょっと小難しくて、評価されてるほどのものを感じることができなかった。
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俳優の熱演は間違いないけど、きっと何回観ても理解できそうにない…
フィリップ・シーモア・ホフマンの声、ホントにかっこいいな〜。歌声もよかったな〜。 -
(2012年作品)
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難解過ぎた。
観ながら6,7回寝た。
考察サイトを貼っておく。
http://mina821.hatenablog.com/entry/20130329/1364538310 -
たぶん取れないのだろう眉間のしわが縦に一本入っていて、俳優フィリップ・シーモア・ホフマンに気をとられていた。
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すごく正直なところを言えば、よくわからない映画。
多分話の流れとかあまり考えずに味わう映画。
でも私はやっぱり物語がほしい! -
ホアキンとホフマン上手過ぎ。
町山さんによるとゼイウィルビーブラッドから製作方法が変わって、それまでの緻密に計算された脚本通りではなく、撮りたいシーンだけ撮って編集で無理やり繋ぐから分かりにくいスタイルに変えたようだ。前の方が好きだったな。 -
みんな圧巻
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マグノリアでもコカイン中毒で精神が不安定な女性が顎関節症だったし、今回のホアンキンも上顎と下顎がずれている。狂気がすぐそこにあることを知り尽くしているはずのPTAだからこそ、顎のズレと神経の繋がりの深い関係に気づいてるんだろうな、などと細かいとこでも関心した。
この映画はシーンごとにとってあとでつなぎあわせたり、アドリブが中心らしいが、だとしたらマジホアンキンすげーよ
役者すぎる。
実際マスターがやる質疑応答みたいなのは、神経にギリギリ近づいてきてこわかった。そして奥さんがやるのでは、目の色が奥さんがいうがままに変わっているように見えて驚いた。
宗教なんてのは捉える側の精神状態によるよね。
救いのない日本、これから宗教が増えるかもしれないけどみんな心をしっかり持って生きていきたいよ人間よ