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- / ISBN・EAN: 4580189028478
感想・レビュー・書評
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(情景描写の筆力がないので、具体的設定描写は省略します)
ビクトルに魅せられた。
この男、自分の隣人にはしたくないが、たまに食事をしたくなるタイプ。
レオナルドが一般的な言い訳を用意して、ビクトルの譲歩を促そうとしたり、手強いビクトル本人には向けられない怒りを認知症の父親にぶつけたときのビクトルの切り返しが見事で、居合術の様さながらの短かな言葉と、迫力の表情で形成が一気に逆転する。
私が惹かれたのは、この形勢の逆転テクニックを身につけたかったのではないかという気もしてきた。
では何故、ビクトルはこんなことができるのかということを観終わったあと詮索してみた。
①レオナルドが一般的な世界で通用する理屈(正攻法)で言い訳を考えたり、自分の形勢の挽回を図ろうとするのに対して、ビクトルは彼独自の世界観で挑んでくるから、一般的な理屈の上に成り立つ世間的妥協や公正さで解を導く公式が通用しない。(ビクトルはその外の世界を見つめているので)
②レオナルドをはじめとして、一般的な人々が求める“良き隣人関係”とは違ったものをビクトルは描いている(一般人より強く、深いもの)が、その違いをレオナルドも妻も、そして彼らの周りの人達も見えない。
ビクトルの様な人は世間では“厄介な人”と括られるが、世間の凡庸さに毒されずに、世の中を見つめ、吸収してきて出来上がった少数派ともいえる。
ビクトルは社会を乱す理屈持ち出すこともない。あっ、それにあの『指ダンス』なんともセクシー。ああいうことができる人が人の心を掴むことができる、その証拠に24歳の若い彼女のハートをしっかり掴んでいた。
まったく相容れない考え方が存在するときを感じることがある。それが“何か”までは判らなくてもいいが、その違いが存在しうることがわかっていれば、最後の2人(レオナルドとビクトル)のカットは違ったものになっていた筈だ。
あの表情はビクトルのどんな言葉を観る者に想像させようとしているのだろうか。
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2009 アルゼンチン
開放的な家で心を閉ざしながら住む主人公夫妻と、窓もない部屋で広い心を持って暮らす隣人。
他の誰かをいいわけに利用して、決して矢面に立とうとしない主人公と、常に堂々として、大切な人が傷つけられたときには立ち向かう勇気を持つ隣人。
両者の対比がおもしろい映画だった。
娘に嫌われているのも当然だ。
隣人を見捨てたことで、和解は不可能になったな。