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- / ISBN・EAN: 4548967075632
感想・レビュー・書評
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ギャッツビー家のパーティが、凄すぎて圧巻。眼底検査の後の如く。マツケンサンバも完敗。
男女混ざった会話のシーンを観ると これを文章で表現するのは難しいなと思う。小説は 少し説明不足の場面があって想像し難かったけれど、原文で読んだらここまでイメージ膨らむのかしら。
ギャッツビーのちょっと不器用さがキュート。ディカプリオがキュートなのかもうわかんないけど。
翻訳では読みきれないギャッツビーを拝顔しました。ラストは映画の全ての罪を背負った感が好みでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
F・スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」をバズ・ラーマン監督が、レオナルド・ディカプリオを主演に迎え、独自の解釈で映画化したラブストーリー。
ある日突然、人々の前に現れたミステリアスな大富豪ギャツビーの知られざる過去と、上流階級の女性との禁じられた愛が描かれる。 ある日突然現れ、毎夜のように豪華絢爛なパーティを開く大富豪ギャツビー。その素性はわからず、人々の注目を浴びるが、彼は隣人のニックに自らの生い立ちを打ち明ける。裕福な家に生まれ何不自由ない生活を送り、戦争では英雄として活躍。だが、両親を亡くし、天涯孤独な身だという。ニックはそんな彼の出来すぎた話に疑いの目を向ける。
最近の作品では、「インセプション」「シャッターアイランド」など苦悩する役が多かったレオ様が、ひさびさにラブロマンス映画に主演。しかも、「ロミオ&ジュリエット」以来のコラボレーションになるバズラーマン監督のラブロマンス映画だから、大いに期待して見に行きましたが、かなり大満足でした。
今回レオ様が演じたのは、ミステリアスな大富豪ギャツビー。彼は週末になると夜毎パーティーを大邸宅でひらいていたのだが、それにはギャツビーの謎めいた過去とある上流階級の女性に対する秘めた悲しいほどの愛があった。
ギャツビーが着ているスーツは、ブルックスブラザーズ。女優陣のドレスは、ミュウミュウ、プラダが担当。レオ様は、ミステリアスな大富豪ギャツビーの謎めいた過去のダークさや恋に全てを賭けるロマンチストの脆さや内に秘めた情熱を、見事に演じている。
ギャツビーが想い続けるデイジーを演じるキャリー・マリガンの初々しい魅力、トビー・マクガイアの献身的な友情、ギャツビーが自分の邸宅の反対側にあるデイジーの邸宅の桟橋の緑の光をデイジーの愛を追い求めた悲劇的な結末も見事でした。 -
『華麗なるギャツビー』、2013年のバズラーマン監督版。ディカプリオ主演、相手役がキャリーマリガン。1974年のレッドフォード版は、この映画が公開された2013年に観ました。
いわゆるジャズエイジ、狂騒の20年代、ロストジェネレーション……という言葉は74年版のこの作品で知りました。原作のフィッツジェラルドやヘミングウェイ。2013年版は『ロミオ+ジュリエット』の監督で、今風にアレンジされていてヒップホップなどが音楽に使われている。パリピの話。
「文芸作品は映画化には向かないの法則」が発動(青春小説は除く)。2時間20分ほどで長くて退屈、めちゃ眠くなった。レッドフォード版も上映時間はほぼ同じだけどアメリカンニューシネマ最末期で70年代の雰囲気が良かったし、ミアファローが出てたからわりと好きな映画でしたが、今作は微妙。文芸作品は原作を読んだ方が良いんとちゃう?と思っています。
ただし、これも昔の映画だとテンポが良いものもあって面白かったりするけど……「文芸作品だから立派に見せよう、重みを出そう」とすると長くなって退屈になるんじゃないかな。
しかし74年版に比べて今作の方が内容はわかりやすかったような(74年版はもう覚えてない)。今回思ったのは、「桟橋の緑色の光」っていわゆる「緑の光線」(緑閃光、グリーンフラッシュ)のことなのかなと……違う可能性もあるけど笑。元々の緑閃光とは違って、桟橋の灯は人工的な光。
重要な「神の目」、これも「眼科医の看板」であることが面白い。「神は全てを見ている」という、アメリカがキリスト教社会(特にWASP、プロテスタント)であるのと同時に、看板というのはコマーシャルと同じで大量消費社会の象徴。
ギャツビーは、まあ当時のアメリカそのものみたいなキャラ。アメリカンドリームと成金、しかし城の中には愛がない王様。74年に作られたのはアメリカンニューシネマだから。では2013年版はというと、やはりリーマンショック後だからだと思う。
すごいのは、1925年なのに、1929年の世界恐慌以降に書かれているように感じてしまう点。出版直後よりも世界恐慌以降の方が、読んだときに面白かったのではないだろうか。
この頃のディカプリオの顔はマーロンブランドや石橋凌、ジャックニコルソンに近づいている。『タイタニック』『キャッチミーイフユーキャン』『アヴィエイター』、そしてこのあとの『ウルフオブウォールストリート』と、共通点がある役をずっとやっていると思う。 -
もう二度と "自由な神の心に戻れなくなることは彼にも分かっていた”
そう、彼はもう引き返すことが出来なくなっていたのだろうな
男は元に戻そうとさて
女は先へ進もうとする
必ず後悔する時が来ることは二人とも知っていてそれでもどうしようもない事もまた分かっている
こんなストーリーを身近で見ているのは辛い
辛すぎる
辛すぎるよ -
Blu-ray
小説的なモノローグ説明がとても多いので、時代背景やレッドフォード版では暗喩されていた事実が簡明に分かる。その分演技はあっさりしていて、キラキラしたファンタジックな雰囲気に包まれている。
引き立て役のはずのトビーマグワイアとベイカー役の女優が美しすぎやしないか…。レッドフォードは世界一白タキシードと白バラの似合う男だったけど、アラフォーのディカプリオに白バラ背負わせるのは無理があったのかランに変更されてるし…。と勝手に心配していたけどさすがレオ様、観ているうちに段々とプリンスの風格が笑
ミアファローの名演技を見た後だと、どうしてもデイジー役の女の子が a beautiful little fool にしか思えなかった。 -
THE GREAT GATSBY
2013年 アメリカ 142分
監督:バズ・ラーマン
原作:F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』
出演:レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/エリザベス・デビッキ/ジョエル・エドガートン
カウンセリングを受けているニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)は、医者の勧めで、かつて人生で出会った最も印象的な人物ジェイ・ギャツビーについての回想録を書くことに。1920年代のアメリカ、作家志望のニックの引っ越し先のご近所に豪邸を構えていたのが謎の大富豪ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)だった。実はギャツビーは、ニックの従妹で現在はトム・ブキャナンの妻であるデイジー(キャリー・マリガン)とかつて恋人同士で、今もデイジーを取り戻そうとしている。ニックはギャツビーとデイジーの間を取り持つことになるが…。
有名な原作は未読。いつか読もうと思いつついまだに読めていないので、そうだ先に映画を見てしまえ!と(笑)ビジュアルをイメージしやすくなることで原作へのハードルを下げるつもりだったのだけど、結果、映画でだいたいの筋書きと雰囲気はわかったのでもう原作は読まなくてもいいかなーという本末転倒な感想を抱いてしまった。なるほど、ギャツビーとはこういう人物だったのか。
余談だけど、原作の原題は「THE GREAT GATSBY」なので、直訳だと「偉大なるギャツビー」となりそうなものなのに、これを「華麗なる」とした最初の翻訳者さんのセンスが凄いなあ。
さて本作は監督が若き日のディカプリオ版ロミジュリでおなじみバズ・ラーマンなので、くだんのロミジュリと同じく、古典的名作の映像化ながらファンタスティックな演出で、おとぎ話感があるのが良い。華やかなセレブのパーティっぷりなどがもはやテーマパークばりのエンターテインメント。
ディカプリオは本作の頃はすでにロミジュリの美少年期をすっかり脱して現在のジャック・ニコルソン寄りに移行している過度期。個人的にはもうちょっと若いときにやってほしかった気もするけれど、まああの年齢だからこそのあの演技だとも思うので難しいところ。
ギャツビーは貧しい生まれから才覚ひとつで成り上がり何もかも手に入れたのに、たった一人、最愛の女性だけを手に入れられなかった。ビジネスにおいては剛腕を発揮する彼も、デイジーの前では初恋の中学生のよう。そこがたまらなくチャーミングな反面、結果的にそれは彼にとって唯一の弱点でもあり、最終的にはデイジーゆえに彼は破滅する。
よく取り沙汰されるのが、果たしてデイジーがギャツビーのそれほどまでの愛に値する女性かどうかという点だと思うけれど、結局その大したことない女のために破滅するとこも含めてギャツビーの悲劇性というのは際立つのだろう。デイジーがもっともっと素敵な女性だったら、ギャツビーの破滅もロマンチックなだけだけれど、あんな俗っぽい女のために…と読者に嘆かせるのがたぶんこの物語のキモなんだろうな。
本作のデイジーは、キャリー・マリガンが演じているので、絶世の美女ではないけれどきっと男性なら放っておけなさそうな魅力がある。ただ言動はかなり俗物で、結局お金のある男に依存したいだけの女性にしか見えない。まあそういう「ずるさ」も含めて、文学的な女性なのかもしれない。映画はまだキャリー・マリガンの可愛さで許せたけど、これきっと原作読んだらめっちゃムカつくタイプなんだろうなー。
ビジュアル的には、エリザベス・デビッキのジョーダン・ベイカーが圧倒的に美しかった。『テネット』で見たときはやたらと背の高い女優さんだとしか思わなかったけど、今作のようなスタイルの良さが生かされるファッショナブルな役だと素晴らしい。トビー・マグワイアのおひとよしっぷりも可愛かった。
総じて目の保養にはなるし、とても面白く見れた。なるほど、ギャツビーとはこういう人物だったのですね。 -
原作は超有名な小説「グレート・ギャッツビー」フィッツジェラルド著です。。。。まだ積んでて読んでませんが(笑
映画化は5作目らしい。男子の一途なピュアな女子への思い=ギャッツビーといわれるくらい有名(って、私の中でだけ?)
1920年代のアメリカ、アメリカンドリームというのが体現できてた頃のアメリカ(住んだことないから知らないが)何をやったか知らないけど大金持ちになったギャッツビー(ディカプリオ)がが大好きなデイジー(キャリー・マリガン)を取り戻すために夜な夜な豪邸でド派手なパーティーをするってお話。
ニック(トビー・マグワイア)の語りでお話は進みます。
トビー・マグワイアはマイブラザーで狂気のお兄ちゃん役だった人。いいねぇ。
なんせパーティーが狂瀾すぎて、、、そしてデイジーに感情移入ができずに(昔のお嬢様ってこんなのかね?)映画としてはぱっとしなかったけど、ま、これはこれでいいのかな?って感じ。
昔、日本のソープドラマで超流行った「愛の嵐」を彷彿とさせる感じでした。
まぁ、とにかく男子は女子より一途でピュアだってこと。 -
レオ様は凄く演技力のある役者ではないけど、華があるので、この役は似合っていた。
トムが愛人やその友達と繰り広げるパーティも、ギャッツビーがセレブを招いて開くパーティも、本質的には同じではないかと思う。ギャッツビーのほうはバンドの演奏やダンサーの踊りが入って衣装や調度品が派手なだけで、どちらも飲めや騒げやのばか騒ぎ。しかしギャッツビー邸で開かれるパーティのバブル感は半端なかった。
ギャッツビーが哀れで惨めだ。それはデイジーに裏切られたりトムに利用される以前のイケイケの頃から。過去に固執する人間はシアワセになれない…そんな気がした。 -
何度でも見たい映画。
くっそ面白かったー。純粋に恋するただの男じゃん。ギャツビー(ディカプリオ)もぇ~。原作で詰まったけど、これで再読できそうだ。よい映画をありがとう!
ディカプリオも歳を取ったね。レオ様と言われていた頃が懐かしい。だけどこれはこれで渋い味が出ててよかった、ディカプリオにとって役得の大きい作品だと思いながら鑑賞した。個人的に何度でも見たい映画にランクイン。
ニックもデイジーもトムも人間味があって吸い込まれるように見てしまった。好き。