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感想・レビュー・書評
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ロス疑惑とか、俺が小学校くらいの頃の事件じゃなかったっけ。市井の人が、メディアや司法の標的にされる恐怖がうかがい知れた。当時のメディアというのは恐ろしいな。ただ、それも売れるから、注目を集められるからという視点でいえば、それを求めた自分たち市井の人間のありようが問われるところだろう。ただ、安易ともいえる形でそれに乗った結果、今、マスゴミとか言われて、新聞やテレビ報道の信頼が失われた結果を招いているんじゃないだろうか。愚かなのは一般ピーポーであるにしても、そこから吹く風に乗っかっちまうと、いずれ自分が吹き飛ばされるのだろうな、と感じる部分もあった。そういや、安部英氏については昔、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』で読んだっけ。あれなんて、まさに安部英氏をカリカチュアしたマンガを多々だしていたものだ。その後、なんとなく面白くなく思えてきて小林よしのりのマンガを読むのはやめてしまった。今、あの作家さんも一時ほどの話題性はないだろう。
読んでいて、今の司法のありように怒りと恐怖を覚えた。標的になるような人は、その世界の第一人者であって、そういう人はどこかで無理をしている、だから冤罪を作る必要はなく、叩けば落ちるものだ、というのは佐藤優氏の本で述べられた話だ。そういった話が、現実にはゴロゴロしているんだね。
アメリカの影を感じるとしたくだりもあった。この著者の本として、最近ハードカバーの二巻本が出て、そちらも実は先に入手している。カルロス・ゴーンの事件について出てくるそうな。世界との対比もあわせて語られるのかと思う。ただ、なんというか、日本にしても、世界にしても、実は思っている以上に力がものをいう暴力的な世界なのだな、というのを感じてね。だからこそ、手続であったり、論理的な思考であったり、どんなに悪く思えても、相手を尊重する部分、自分が間違っているかもしれないという畏れの感覚は持っていなくてはいけないのだと思った。 -
一度検察官が起訴するときめれば、ほぼ100%有罪(刑事事件の有罪率は99.9%)になる。
では、冤罪で起訴に持ち込まれたら?冤罪被害者と一緒に戦う弁護士の話。
裁判官は、裁判での証言を重視しない。検察官が作成した調書が正しいことが前提。
よっぽどの矛盾が明らかでないと調書を採用する。
なのに、その調書をどう作成するか……それは代用監獄の中にとじ目とじこめられ外との接触を何日も絶ち、録音を認められない暗闇の中。
そんな何日もかけて追い詰められた状況でつくられる調書を裁判官は採用するのだ。裁判で調書の間違いを否定してもまず認められない。
これは陰謀論でもなんでもなく、ただの客観的な事実である。
自分は民事裁判であるが、間違った矛盾のある調書を作成され、加害者も間違いだと認めている調書を裁判で採用されなかったという経験がある。
本当に、裁判はおかしい。
もちろん、自白を強要し、冤罪をつくりだす検察官がおかしいことは事実であるが、それをとめるのが裁判官であるはずなのに機能していないことが何よりおかしい。
どうしても、組織の中にいると、組織の論理で動き、客観的に間違ってしまうことはある。それを中立的な立場で指摘するのは裁判官の役割だ。
拘束の日数を確認し不当な拘束を認めないことは裁判官の裁量だ。
拘束期間中の検察官との話し合いの最中の全ての録音・録画がない調書を認めないのも裁判官の裁量だ。
けれど、それをしない。これは裁判官の怠慢であり、司法が中立を保てていないことの証左である。
有罪か無罪かを決めるのは検察官ではない。裁判官だ。
例えば99%有罪にできるものしか基礎しないのだとしたら、それは検察官の越権行為だ。
被害者は証拠が集まらなかったから裁判すら受けられないということであるから……。そうではないはずだ。
日本の司法はおかしい。危ない。
それがよくわかる本である。
また、マスコミのおかしさ、影響力の強さもよくわかる。
マスコミによる冤罪を作り出した松本サリン事件は有名だが、著者が手がけた事件……エイズ事件、ロス事件、鈴木議員の汚職も、自分よく知らず、マスコミの影響でなんとなく起訴された人達が悪い人だという印象を受けていた。恥ずかしい。
自分は一般的な日本人の平均より警察や検察、事件について興味がありわりと調べている方だと思っているが、それでもこの有様では……きっとこの事件で起訴された人々は未だに多くの日本人からマスコミの影響で勘違いされたままだろう。悲しく嘆かわしいことだ。 -
警察や検察がいかに酷い組織であるかがよく分かる本。
刑事事件なんて無関係だと思っていた人がいきなり検察の描く絵に乗ってしまい、長く拘留され尋問されるなんて人権侵害も良いところ。
刑事裁判では勝てないって酷すぎる