トランセンデンス [DVD]

監督 : ウォーリー・フィスター 
出演 : ジョニー・デップ  モーガン・フリーマン  ポール・ベタニー  レベッカ・ホール  キリアン・マーフィ  ケイト・マーラ 
  • ポニーキャニオン
2.90
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感想 : 83
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013079182

感想・レビュー・書評

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  • もし、コンピュータに
    科学者の頭脳を
    インストールしたら――


    TRANSCENDENCE

  • [2014年アメリカ映画、NETFLIX鑑賞]
     肉体が死んでも脳だけを生かせておくことができるのでは?と考えたことがあるけど、その実現形の映画。世界中の知的リソースをフル活用して進化を遂げ最後はモンスター化する。万能的能力で"神"に近づく様子は分かるが人類に害悪を及ぼす所までは描かれてないのでは?誰も殺していないし・・・

  • 方向性は違うけど、この映画見て、iPS細胞が発表された時を思い出しました。すごい技術だと思うし、病気になる前の細胞を作れるということはゆくゆくは人間の寿命がのび、人が死ななくなるじゃないか?と想像を巡らせたこと。
    この映画は脳のデータをバックアップをとれてしまうこと。人間を再生してしまうこと。

    便利になることで、こわい技術がたくさん出てきている事に危機感をおぼえました。

  • ノーラン製作総指揮でジョニデ主演だから普通に観に行ったんだけど、観賞後にネタバレの感想なんかチェックしてたらめちゃくちゃ酷評されまくって、今年のラジー賞有力候補にまでなってて正直驚いた。そんなダメな映画だったのかと自問自答したぐらいだ。

    だから、ぼくはここではあえて擁護派の感想をしたいと思う。

    ただひとつ言わせてもらえば、これはクリストファー・ノーランの作品ではない。ノーランは製作総指揮に関わってはいるが、それはこの作品が「ダークナイト」や「インセプション」で撮影監督を務めたウォーリー・フィスターの監督デビュー作だったからに違いない。ノーラン節はこの作品には込められていない。

    物語は比較的単純ではあるが、現実と照らし合わせると非常にツッコミどころは多い。それを多くの鑑賞者が酷評しているが、まあ所詮SFじゃんと割り切れるぐらいの見方はあると思う。

    ジョニデ演じるウィル・キャスター博士は、人間をも超える人工知能を研究開発しているが、それを脅威と考えているテロ組織によって瀕死の状態に陥る。そこでレベッカ・ホール演じる妻であり同じ科学者のエヴリンとポール・ベタニー演じる親友のマックスとで、ウィルが死ぬ前にウィルの意識をコンピューターにアップロードする。そして、エヴリンはそのウィルの意識データを研究中の人工知能に移してウィルの意識を復活させるのだ。

    果たして人工知能として復活したウィルは本当に生前のウィルと同じなのか。しかし、ことは次第にエスカレートしていく。ウィルとエヴリンは夢の実現のための城を築き始めるが、その城によってウィルは怪物化していきエヴリンさえも疑問に思うほどの異常さを見せ始める。

    そしてこの後、そのウィルの暴走を止めるべくいろいろあるんだけど、それはまあ興味があれば観てくれたらいいんだけど、結論から言うとぼくはこの作品が究極の愛の物語であったと思う。そしてふと似たような作品があったなと思い出す。それはブルース・ウィリス主演の「サロゲート」だ。ぼくはこの作品をSFをモチーフにした熟年夫婦の再起の物語だと嘯いた。

    《参考》「サロゲート」は熟年夫婦の再起の物語である

    このときも「ターミネーター3」のジョナサン・モストウが監督したと話題になったが大コケしたはずだ。今回の「トランセンデンス」もウィルがエヴリンの夢の実現のために神になって地球を救おうとし、エヴリンは自身の死を持ってウィルを信じることができたという、なんだか古典的すぎるぐらいのラブストーリーだったんだと妙に納得してしまった。

    そう言えば、一緒に観に行った妻が観る前に「人工知能になったあなたを自分は愛せるかしら?」と冗談めかして言っていたが、この作品はそのひとつの回答となったのだろうか。

  • コンピューターに科学者の人工知能を取り込んだ話。
    知能をもったコンピューターが次第に脅威となる・・

    思ったよりハラハラドキドキはせず、結局夫婦愛がテーマだったのか?それなら納得。
    反テクノロジー派もテロなど強行せずもっとほかの方法があったのでは?とも思った。

  • 人工知能研究が進んで、ヒトの意識の転写ができる(かも)という状態に至った世界が舞台の物語です。

    「知能」の定義にもよるわけですが、劇中のそれはサルやヒトの脳内電気信号を転写してそれっぽく機能させることができるというものですから、デカルトが発見した「我」そのものです。つまり単に人間のプログラムしたことをなすのではなく、自分の意志=目的にしたがってことをなす主体です。

    人間の神経系はおびただしい種類のI/O、内的な調整/フィードバック機構、ネットワーク型データベース、複数の原始的な判断回路と、その上に層をなすより新しい回路たちからなる高級なステートマシンにほかならないわけで、私たちの日々の行動の起点としている意志=目的もハビトゥスも、別の素材を使って人工的に一からつくりあげることも理論的にはできそうです。もちろんその人工知能は、基盤となるI/Oの種類も、必要となる調整/フィードバックも、データベースの構造も、判断回路も、そのレイヤ数も、すべてがヒトとは異なるわけでそっくりそのままというよりは別種類の自律的な主体です。

    ともあれ脳神経医療の研究でもあるような人工知能研究のなかで生まれた人工知能ですから、その上にヒトの意識の転写もできるだろうということになり(それにはステートマシンのコンポーネント同士を相互に対応付けるため相当な数のマッピング/コンバージョン情報が必要そうですが…)、その仮定を実行してみたらこうなった、という話です。

    そういう話なのですが、終盤には「やっぱり人間と機械はちがうんだ、機械は人間の命令を忠実に実行するだけなんだ」という昔ながらの予断の表明とも問題のすり替えともとれる結論に主要人物たちが到達しているところは残念な感じでした。。

  • 結局あれは、旦那さんではなく、自分を旦那さんだと思い込んだ人口知能だったのだろう。実はいい人だったんだよ、という終わり方に見えたけれど、それまでの過程で、人権を尊重できていなかったので、攻撃されても仕方ない。テロリストの女性が、最後ベタニーを人質に取るけれど、彼女はデップが人命優先するとは考えないはずなのでおかしい。悪人を悪人らしく描こうという製作者側の良心だろうか。とにかく、よれよれシャツで苦渋するベタニーを眺めているだけで楽しかった。

  • 意識をPCにアップロードできるレベルのテクノロジーを獲得した社会の割には、今と代わり映えがしなかった。

    量子コンピューターがただのスパコンのようなあんなナリでは、夢がない。

  • 2015.07.14.

  • 人の意識を人工知能に移植したら…というストーリー。あり得ないことがもし可能なら、という空想の先を楽しむ思考実験的な映画だと思う。人工知能の反逆を、悪意を持って危害を加えるのではなく、人類を超越しようとする行為と捉えるのがリアル。善悪はない。右と左の争い。

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